雪融け水
――こくり。一口目は冷たい。初めて会った時の、ツンとすましていた彼女。
いつものようにばあちゃんの家に行ったら、知らない女がいて驚いた。髪も肌も真っ白で、瞳だけが空の色。
ばあちゃんが言うには、「本物になってくれたらよいと思いながら雪で娘を作ったら、本当に本物になった」とのこと。ちなみに瞳にはビー玉を使ったらしい。
そんな馬鹿なと思ったが、湖に斧を落とした奴が金と銀の斧を手に入れたり、桃から男の子が生まれたりする世の中だ。雪の像が本物になることもあり得なくはないのかもしれない。
よろしく、ととりあえず挨拶してみたが、ふいとそっぽを向かれてしまった。なんだこいつ、とあのときは思ったが、今思えばあいつは照れていたのだろう。
――こくり。二口目は甘い。初めて見た彼女の笑顔。または、初めて触れた、唇の味。
「いいものを見せてあげる」
いつものようにかわい気のない平坦な声でそう言って、彼女は俺を森の奥に連れて行った。
寒い、凍える、と文句を言う俺に、「情けないわね」と返しながらどんどん進んでいってしまう。
俺はお前と違って雪から出来てるわけじゃない、寒さには強くないんだと訴えようとしたとき、目の前に広がった光景。凍りつき、時を止めた滝。その迫力と勢いは、流れを止めていてなお健在。
「すげー……すげーっ! すっげ~なこれ!」
寒さも忘れて滝にかけ寄り、はしゃいだ声を出して勢いよく振り返ると、彼女は微笑んでいた。
いつも冷たい印象を与えていた彼女の白が、この時はとても柔らかで。
「よかった。喜んでもらえて」
いつも最低限にしか動かない唇がこんな風に笑みを作るのか、と思った瞬間、俺は彼女を引き寄せていた。
そのとき初めて、彼女の白い頬が、赤くなることもあるのだ、と知った。
――こくり。三口目は儚い。私はね、春になったら融けるのよ。と告げた時の、彼女。
「どんなに人に近く思えても、しょせん元は雪だから。命も冬の間だけ。
短い人生だから、神様は私に美しさを恵んでくれたんでしょうね。
それでね、私が融けて水になったら、あなたに飲んで欲しいのよ。
綺麗なグラスでね。
いつも使っているような、適当なコップじゃあ嫌よ」
信じたくなくて、昔の絵本を引っ張り出してきて読んでみた。
『「あ……!」たき火を飛び越えようとした雪娘は悲しい声をあげ、溶けて消えてしまいました』
子供向けのお話の中でさえ、彼女の命は春前までだった。
だから俺は市場に行って、上等なグラスを買ってきた。外国で作られた高価なもので、雪の結晶の模様が彫られている。それを見せると彼女は喜んだ。
「いいわね、これ。私が想像していたのより、もっとずっと素敵だわ」
――こくり。最後の一口は暖かい。桜の木を見上げ、「もうすぐ春ね」と柔らかく微笑んだ彼女の気持ちは、俺には一生、わからないだろう。
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