魅入ら


 夜の学校。うちの学校には校門がないから、校庭まで入るのは簡単だ。あとはフェンスをひょいと乗り越えれば、プールに忍び込むことが出来る。


 鞄から、筆箱と同じくらいの大きさの木箱を取り出す。中には、身長10センチほどの人魚のミイラが入っている。


 カサカサに干涸らびた肌。閉じられた瞳。骨だけになっている、尾ひれ。どこをとっても醜い。ただし月を思わせる金色の長い髪だけは、この状態でも美しい。


 それをそっと、プールに入れる。とぷん、ゆらゆら。頭から、ゆっくりと沈んでいく。


 尾ひれの先まですべて沈んだ途端、、変化が訪れる。


萎びた腕に、顔に、体に、潤いが戻り、あっという間に大きくなる。尾ひれもかつての姿を取り戻し、美しい翠緑の鱗が水中で光る。


 「こんばんは、いい夜ね」


 普通の人間と同じくらいのサイズになり、水の中から顔を出した彼女は、真っ赤な唇で魅惑的に笑った。


 「ええ本当に」


 僕がすまして答えると、彼女はふふっと笑い、再びぽちゃんと水に潜った。そして気ままに泳ぎ出す。


 その姿はとても幻想的で、美しい。静かに、なめらかに泳ぐ人魚。月明かりできらきらと光る、金色と翠緑。


 しばらくその姿をうっとりと眺める。一度この光景を見てしまって以来、僕は普通の女の子に全く興味を持てなくなってしまった。


 「もっと広いところで泳ぎたいものだわ」


 気がつくと、彼女は僕のすぐそばに来ていた。


 「ねえ坊や、今度は海に連れて行ってよ」


 「嫌です。そんなことしたら、あなたはそのままいなくなってしまう」


 彼女を失った毎日なんて、僕はもう考えられない。


 「ねぇ、歌ってください」


 頼むと、彼女は水からあがり、プールサイドに座った。そして静かに息を吸い、歌い出す。


 「~♪ ~~♪」


 その歌声がどんなものかなんて、僕にはとても説明出来ない。こんなに素敵な音を他で聞いたことがないから、何かに例えることが出来ないのだ。


 美しい、なんて言葉じゃ足りない。綺麗、麗しい、でも足りない。知っている限り全ての賛辞を並べても、とてもこの歌声のすばらしさは表現できないと思う。


 僕は目をつぶって聞き惚れた。


「~~♪ ~♪ ……♪…… ………」


 しかしやがてその声は枯れ、小さくなっていく。


 僕はゆっくりと目を開ける。彼女の体が、みるみるうちに水分を失って萎び、小さくなっていく。


 やがて歌声は完全に失われ、彼女はまた、小さなミイラに戻ってしまった。


 それを拾い上げ、木箱に戻す。明日もまた僕はここに来るだろう。彼女の姿を見に。彼女の歌声を、聞きに。


 何気なく自分の手を見た。小指の先が、干涸らびていた。

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