ドアが開きます。ご注意下さい。
いつもの帰り道。いつもの駅。
――ドアが開きます。ご注意下さい。
ドアが開き、電車の中がよく見えるようになる。私が乗ろうとしている車両には、誰も乗っていなかった。
この電車は快速だ。ここで私が乗ったら、終点である私の降りる駅まで電車は止まらない。誰も乗ってこない。乗ってこれない。
電車の中で一人きりになってはいけない。とくに今日みたいに天気が良くて、暖かな日には。
しかしこの電車を逃したら、次まで一時間以上待たなければならないのだった。起きてりゃいいんでしょ、と、私は電車に乗り込む。
――ドアが閉まります。ご注意下さい。
入ったドアの方から見て一番左端の席に腰掛け、鞄を肩からおろす。
イスは柔らかく私の体と重い鞄を受け止めた。ふんわりと、包み込むように。重みを、受け入れるように。
ガタンゴトン ガタンゴトン
電車の走る音だけが、規則正しく響いている。
電車の中で眠ってはいけない。とくに天気が良くて暖かで、おまけに車両の中に一人きり、なんて時には。
私は眠くならないように本を読むことにした。この間のフリーマーケットで100円で買った詩集を開く。
≪静かになった部屋々々の
あかりを私は悲しく一つ一つ消して行く。
庭の中の風だけが麗しげに
黒い木立と語っている。≫
そこまで読んで、ぱたんと本を閉じた。
電車の中で眠ってはいけない。わかってはいても、眠い。眠いったら、眠い。
ちゃんと降りる駅で起きりゃあいいんでしょ、と、私は左の壁に頭を預けた。
壁は初めからそのためにあったかのようにしっかりと頭を支えた。おかげで頭も首も痛みを感じなかった。
ガタンゴトン ガタンゴトン
私の寝息は電車の音が全部かき消してくれるだろう。そもそも誰もいないから、聞かれる心配なんてないけど。なんて思いながら。
私はゆっくり、まぶたを閉じた。
≪いつかまた目ざめようという
願いを私はもう感じない≫
ガタンゴトン ガタンゴトン
――ドアが開きます。ご注意下さい。
(引用元:ヘッセ詩集 高橋健二訳 新潮文庫)
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