第9話 初めてのダンジョン探索1


「こんなにたくさんの生徒が、一斉に試験を受けるのか……」


 セレスティアがリーベと知り合ってから数日後、彼女は迷宮都市アーウェインの中央広場にあるダンジョンの入り口に居た。

 周囲は子供などが間違って入り込まないように大きめの柵で囲まれ、入り口には見張りとなる数人の兵士が立っている。

 その入り口は――巨大な、悪魔の口を模していた。

 先日、場所を間違えないようにと下見した時も思ったが――。


(なんとも悪趣味な造りだな)


 と、セレスティアとアスカは思う。

 『悪魔の口』。『地獄への入り口』。『異界へ通じる門』。

 他国のダンジョン入り口もそうだが、どこもバケモノの口を模した形状をしていて、様々な陰口で住民から呼ばれている。

 その場所は、まずその見た目から新入生を篩(ふるい)に掛けているようだった。

 セレスティアが周囲を見回すと、二百人近い新入生の中にはダンジョンの入り口を見ただけで気分を悪くしたのか、顔を青くしている者もちらほらと。

 全員が白を基調とした騎士学校の制服に身を包み、その手、もしくは腰には各々の武器を持っている。

 店売りの武器もあれば、セレスティアのように鍛冶師に頼んで武器を用意した者、もしくは運良く迷宮都市の外に生息する魔獣がドロップしたレア武器を装備した者も。


「お嬢様、大丈夫ですか?」

「アスカこそ大丈夫? 私に付き合って無理はしなくていいからね?」

「ふふ。ありがとうございます」


 初めて見た時は入り口の異様な雰囲気に気圧されたセレスティアとアスカだったが、二度目となれば慣れてくる。

 どんなに厳つい見た目でも、所詮はただの門。取って食われるわけではないのだから。

 気持ちを奮い立たせるために、セレスティアは腰にある剣の柄に指を添えた。

 そこには路地裏の鍛冶師、リーベがセレスティアの為に打ってくれた幅広のブロードソードが吊られている。

 店に売られているブロードソードよりも刀身は眺めで、幅が広い。けれど厚みがあり、普通の剣よりも頑丈に作られた剣だ。

 その分、重量もあるのだが、幼い頃から体を鍛えていたセレスティアには普通の剣の倍近い重量も苦ではない。むしろ、小柄な体躯では持ちえない『重量』を補えるからと扱いやすくすら感じるほど。

 セレスティアが望んだ通り、彼女の体格に合った『セレスティア専用の剣』である。

 そして、アスカも同じようにリーベが打った打刀がその腰に差されている。

 こちらも長身のアスカの意見を聞いて刀身の長さなどを整えた彼女専用とも言える逸品だ。


「では順番に並び、回復アイテムを受け取ったらダンジョンへ潜るように!」


 セレスティアとアスカの気持ちが落ち着くのを待ったかのように、そう声が上がった。

 聞き覚えのある声だ。

 声の方を見ると、ダンジョンの入り口傍に立つ長身の男性騎士が回復アイテムを受け取る場所を指示している。

 ラシュトン・アーウェイン。セレスティアの兄である。ラシュトンの他にも、騎士服を纏った数人が、この場には居た。

 試験の最中、生徒と一緒にダンジョンへ潜り、危険だと判断した生徒を外に出し、また、ダンジョン内での行動を監視して点数を付けるのは彼らの役目だった。


「お声を掛けなくて宜しかったのですか?」

「私は騎士学校の生徒で、お兄様は騎士だもの。ここで声を掛けてもご迷惑だと思うから」

「……そうですね」


 アスカは、ここ数年でずいぶんと妹に優しくなったラシュトンなら、セレスティアが話しかければ表面では厭な顔をするかもしれないが、内心ではきっと喜んだだろうと思った。

 長年この兄妹を見ていると、夢に邁進する妹と、そんな妹を口では悪く言い、けれど内心では誰よりも心配している兄という図式がよく見えていた。

 だからこそ進言したのだが、セレスティアは少しも迷う事無くそう言い切ってしまう。

 でも、と。


(兄が試験官で妹が生徒。それで試験前に親しく話していたら、確かに邪推する人が現れるかもしれない……か)


 実際には、きっとラシュトンは誰よりも厳しくセレスティアに接するだろう。

 妹想いだからこそ、兄妹の父親と同じく、見目麗しいセレスティアには騎士のように物騒な道に進んでほしくないと思っているだろうし、と。


(親子というのも複雑ですし)


 英雄になりたい妹と、穏やかな人生を歩んで幸せになってほしいと願う父と兄。

 複雑なのか、それとも単純なのか。

 一歩引いた場所から眺めているととても分かりやすいのだけれど、とアスカは苦笑する。


「そろそろ順番ね。行きましょう、アスカ」

「かしこまりました」


 セレスティア達が並んでいた列が動き出し、アイテムの受け取り場所に向かって人の波が流れていく。

 ちゃんと試験を受ける全員が規律良く並んでいたからか、二百人近い生徒の数だというのに混乱は起きていない。

 道具屋が出張してきている場所は、露店というよりも屋台といった様相だ。

 人が二人も入れば限界といった程度の大きさしかない木造の建物の中で、店員一人が忙しなく動き回っている。

 どうやら荷物が建物の奥にあるようで、配るアイテムが無くなるたびに奥へ取りに行っているのが原因なのだろうとセレスティアは思う。

 なんとも要領がよくないというか、悪いというか。

 セレスティアがぼんやりとその店員の動きを眺めながらそう思っていると、あっという間に自分の目の前の生徒がアイテムを受け取ってダンジョンの入り口へ向かって行く。


(要領はあまり良くないみたいだけど、動きは機敏なのね)


 セレスティアは店員の動きをそう評価して、アイテムを受け取るために手を伸ばし――。


「あら」

「え、あ?」


 セレスティアが声を上げた。

 今までの生徒は無言でアイテムだけを受け取っていたからだろう、彼女の声に釣られてアイテムを手渡していた少女のように童顔の女性が顔を上げる。

 セレスティアとアスカにはその女性の顔に見覚えがあった。女性の方もセレスティア達の事を思い出したのか、ぽかん、とした顔で見つめ返してくる。

 先日、二人が初めて迷宮都市へ来た際にぶつかった青髪の女性だ。


「貴女はあの時の」

「あ、そ、その。その節はご迷惑を……」

「いや。こちらこそぶつかってしまって悪かった。ちゃんと謝罪も出来ず……」

「いえっ、いえっ! こちらこそっ」

「お嬢様、後ろが閊(つか)えています」


 突如始まったアイテムを配るために道具屋から出張してきた女性と貴族の少女の謝り合いに順調だった列の波が淀み、試験官の目に留まる。

 もちろん、セレスティアの兄であるラシュトンにもだ。

 アスカは険しい視線を向けてくるラシュトンの気配を感じセレスティアを急かす。


「あ、ああ。すまない、正式な謝罪はまた後日に」

「いえいえっ。そのようなっ――あ、これっ。回復アイテムのポーションと、帰還用の『翡翠の耳飾り』ですっ。お気をつけてください、アーウェイン様っ」


 セレスティアが生徒の波に押されるようにして会話を終え、そのまま流れに沿ってダンジョンの入り口へ。

 アスカもアイテムを受け取り、すぐに合流する。


「中々、彼女とお話をする機会に恵まれませんね」

「そうね」


 実際、もう一度会って、今度はちゃんと話をしようと探した事は何度もあった。

 けれど彼女の事を調べ、務めている店を訪ねても不在だったり、試験用の武器を作るための素材を集める為の資金を手に入れるために路地裏の武器屋でアルバイトをしていると時間を作れず、今日まで会う事が出来なかったのだ。


「また会えると良いのだけど」

「お名前はメルテだそうですよ」

「聞いたの?」

「はい」


 まあ、セレスティアと青髪の少女――メルテのように出合い頭に謝罪し合わなければ話す時間くらいは作れただろう。

 その辺りは、セレスティアも要領が悪かったとしか言いようがない。


「いや、私だってね。ここに居ると分かっていれば、こう。なにを話すか考えていたのよ? この前の事を謝って、お名前を訪ねて、時間があれば本の話とかをできたらいいなあ、って」

「それよりもお嬢様、試験に集中された方が宜しいかと」

「……ええ、そうね。その通りよ、もう」


 試験前にちょっとしたことで動揺する自分の弱さが恥ずかしい。

 セレスティアはそんな動揺を隠すように、メルテから手渡されたアイテムに目を向けた。

 瓶詰の飲み薬『ポーション』は飲むことで一時的に傷の痛みを和らげ、肉体の回復能力を高める物。薬草を独自の技法で煮詰めて作られたものだと書物で読んでいたが、詳しい製法を二人は知らない。

 そのポーションが一人につき五つ。

 そしてもう一つは耳飾りだった。

 セレスティアの小さな手の平に乗るサイズの、小さな耳飾り。羽を模した銀の飾りに、その中央には緑――翡翠の宝石がはめ込まれている。

 ただ、その飾りは全体的に荒く、目利きがあまり得意ではないセレスティア達にもそれほど高価な物には見えなかった。


「騎士学校の案内書に書かれていた……これが帰還用のアイテムという物なのね」

「そのようです。お失くしにならないよう、気を付けてください」

「大丈夫よ。大丈夫」


 普段の、誰かから言われなければ部屋の片付けもあまりしないセレスティアの私生活を知っているアスカはその言葉だけでは不安だったが、一緒に行動する自分も同じアイテムを持っているのだし大丈夫か、と思う事にした。

 それに、この帰還用のアイテムはダンジョン内の悪魔が時折落とすのでそれほど高価でもない。

 見栄えが良いように銀の羽で飾られているが、帰還するために必要なのは中央の翡翠だけ。

 耳飾りが壊れても宝石が無事なら帰還できるというのは、ダンジョン探索が本格化した数百年も前から発見されている。

 ただ、使い方は分かっているが、複製方法は分かっていない。

 しかも、帰還用のアイテムは『見付かったダンジョン』でしか利用できない。

 この翡翠の耳飾りはアーウェインのダンジョンでしか使う事は出来ず、他国のダンジョンで使用しようとしても使えないという謎があった。

 『魔道具』。

 試行錯誤の末に利用方法は分かったが、その原理、製造方法は謎の『悪魔の道具』である。


「やっと来ましたね、セレスティア」


 屋敷や迷宮都市の至る所にあった『街灯型の魔道具』ではなく、初めて自分の手の中に納まった『魔道具』の存在に少し興奮しながらセレスティアが歩いていると、頭上から名前を呼ばれた。

 誰だろうと顔を上げると、すぐに驚きに表情が染まる。


「シェザリエ先生!?」

「……気付くのが遅いですよ。ちゃんと集中しているのですか?」


 そう言ったのは、美しい銀髪を三つ編みに束ねた長身の女性だ。同年代の中では一番身長が高いかもしれないアスカよりも頭半分は高い。

 シェザリエ・カームベル。三年前までセレスティアに剣の技術を教えていた女傑である。

 美しい銀髪に白磁のようにきめ細かな肌。纏っているのは白を基調とした騎士団の制服で、裏地が赤のマントを羽織っている。

 理知的な目元には大きめの縁の無い丸眼鏡。目元の泣きホクロが女性らしさを際立たせ、騎士団の制服の胸元を大きく盛り上げる胸が男子生徒や男性騎士の視線を引き寄せているようでもあった。


「先生もこの街に来られていたのですねっ」

「ええ。貴女が今年から騎士学校へ通う事は知っていましたが、挨拶も行けずにごめんなさい。試験官として、試験前に生徒と会うのは禁止されていたの」

「いえっ。こうやってお話しできただけでも、凄く嬉しいですっ」

「ふふ――もう少し話したいけれど、後ろが閊えているわね。試験が無事に終了したら、また話しましょうね?」

「はいっ」


 そう言ってシェザリエは、セレスティアとアスカに一通ずつ手紙を手渡した。


「ダンジョンの中に入ったら開きなさい。中に試験内容が書かれているわ」

「分かりました」

「アスカ――ラシュトン殿から聞いたけれど、貴女も随分と腕を上げたとか。セレスティアと一緒に頑張るのよ」

「はい」


 守れ。庇え。

 そうではなく、一緒に戦えという言葉にアスカは深く感謝した。

 二人は揃って一礼し、ダンジョンの入り口へ。

 遠くからでも『悪趣味』だと感じていた入り口は、近付くとその口部分に当たる場所から流れてくる風が今までいた『外』よりもずっと冷たいような気がした。


「お嬢様、耳飾りの使い方は覚えていますか?」

「大丈夫よ。ダンジョンの外――入り口を思い浮かべて戻りたいと強く願う、でしょう?」

「はい。何かあった時はすぐに逃げられるように……」

「ええ、分かっているわ」


 セレスティアは耳飾りを左耳に嵌めた。アスカはスカートのポケットに納める。


「……くれぐれも落とさないように気を付けてくださいね?」

「だって、こっちの方が格好良いんだもん」


 左の人差し指で耳飾りを軽く叩く。その感触が心地良かった。

 その理由にアスカはため息を吐いたが、耳飾りなのだから耳に嵌めるのも当然だと思う事にする。


「では――」

「随分と余裕なんだな」


 ダンジョンへ足を踏み入れようとした時、背後からそう声を掛けられた。

 セレスティアとアスカが振り返ると、そこには三人の生徒が立っている。

 一人は大柄だ。赤髪の大男――そう表現するのが最も似合っているように感じた。身長の高いアスカよりも頭一つ、いや一つ半は大きい。

 もう一人は小柄……大男と並んでいるからそう感じるだけで、こちらも同年代の男子生徒とそう変わらない身長くらいだろう。

 三人目は女性。こちらも同年代なのだろう、セレスティアやアスカと同じ騎士学校の制服姿で、その背にはセレスティアの身長ほどもある大きな樫の杖がある。先端には二人が見たことも無い大きな宝石がはまっていた。


「余裕なんてないわ。今も緊張で、心臓が高鳴っているもの」

「下賤な平民……へ?」

「緊張よ、緊張。初めてダンジョンに潜るのだもの、余裕なんて抱いている暇なんてないわ」


 赤髪の大男――キーラはそんなセレスティアの言葉に驚き、しばらく固まっていた。

 そんな彼の後ろでは、フォルカとテスラが固まったキーラの反応に困っている。

 それはそうだ。

 いきなり苦手な貴族に話しかけたと思ったら固まったのだから、二人としては不必要に貴族と関わりたくないというのが本音だった。


「ほら」


 セレスティアはそう言うと、キーラに向けて右手を差し出した。

 握手の形だ。


「むう――ふむ、お前も緊張しているじゃないか」


 けれどキーラが反応しなかったので、セレスティアは自分から彼の手を取って握手をした。

 確かに、セレスティアの手の平は緊張で強張り、僅かに汗が滲んでいた。

 しかしそれはキーラも同じだった。

 だがそれは、『知識に無い反応』をするセレスティアに向けたもの。けれど――。


「だがそれでも、私達は一位を目指すぞ。沢山の悪魔を倒し、第一階層の最奥を目指す」

「ぅ、あ、ああ。じゃない。ふん。貴族なんかに負けるか……一位になるのは俺達だっ」

「ふふ。ああ、お互いに頑張ろう」


 なんとか『知識通り』のセリフをセレスティアが口にした事でキーラは落ち着きを取り戻し、そう言い返した。

 そこからの返しはまた『知識』とは違う物だったが、キーラはダンジョンに潜っていくセレスティアの後ろ姿を見送る。

 ただ、いきなり現れて無遠慮な言葉遣いをしたキーラを、アスカは横目で睨みつけていたが。


「いきなり何をしているのさ、キーラ!? よりにもよって、あのアーウェインの令嬢に声を掛けるなんてっ」

「いや、まあ。だって、勝ちたいじゃん。相手が貴族でもさ。お前だって、連中の鼻を明かしてやりたいとか、思わない?」

「それはそうだけど……」

「だろ?」

「もう……貴方と一緒だと寿命が縮むわ……」

「大丈夫だって。装備も固めた、レベルも十分。死にはしないよ」


 テスラが「レベルって何よ」と呟いたが、適当に話を濁してゲームの主人公であるキーラもダンジョンへ進む。

 主人公と悪役令嬢の第二戦。

 セレスティア・アーウェインはこのクラス分け試験で、目障りな主人公を退学にしようと御付きのメイドであるアスカを使って邪魔をしてくるのだ。

 アスカは刀スキルの使い手で、現時点ではかなりの強敵。レベルは『14』。

 本来なら負けイベントだが、勝てばアスカの好感度が上昇する隠し要素もある。

 彼女はセレスティアの横暴にはついて行けず、内心ではどうにかして止めて欲しいと願っているのだ。

 けれど奴隷として売られる立場から救われた恩義があり、アーウェインに逆らえない。そんなバックストーリーを持っている。


(この装備なら負けはしないさ)


 セレスティア達は鍛冶ランク『2』の、ただのブロードソードと打刀。

 対するキーラ達は鍛冶ランク『4』の属性武器。

 キーラは雷属性の片手剣『サンダーソード』。

 フォルカは風属性の槍『風車』。

 テスラは火属性の杖『陽炎の杖』。

 そのどれもが第三層序盤の素材で作られる武器である。しかもこちらは三人なのだから負けるなどありえない。

 正式に仲間になるのはまだまだ先だが、と。

 ヒロイン全員と仲良くなりたいと考えるキーラは、そのヒロインの内の一人の事を考えながらダンジョンに足を踏み入れた。





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