第6話 お嬢様、はじめての……
「今日からこの寮で生活することになるのね」
セレスティアとアスカがこれから住むことになるアーウェイン騎士学校の女子寮へ辿り着いたのは、昼を少し過ぎた時間だった。
騎士学校の女子寮は迷宮都市アーウェインの西側に建設されており、男子寮は少し間を開けてその隣。同じ敷地内に建てられている。
外観はいたって普通。
フラルタリア王国の標準となる木造の建物だ。
ただ、騎士学校には男女合わせて約五百人という大人数が就学しており、女子はそのうち二百人ほど。
それだけの大人数が住むために、学生寮は迷宮都市内でもそれなりの大きさで作られていた。
建物は四階建てで、一階部分が食堂と浴室、歓談所など。二階が第一学年生。三階が第二、四階が第三学年生用に割り振られている。
第一学年生として入学するセレスティア、一つ年上だがセレスティアの従者として特例を認められたアスカの自室は二階だ。
「そうでございます。お嬢様がお使いになる部屋は二階となっております」
「分かっているわ。学校――初めてだけど、楽しみね」
「はい」
アスカとしては今まで屋敷暮らしだったセレスティアが集団生活を送る事ができるのか不安だったが、何事も経験だと気持ちを入れ替えて主従は視線を寮の庭へ向けた。
まず目につくのは、春先に咲くスズランやガーベラが植えられている花壇だ。数人の女生徒が花に水やりを行っている。
中庭には他にも高級そうな見た目のテーブルや椅子、ベンチなどが置かれており、まだ肌寒い風が吹く季節だというのにお茶会を楽しんでいる面々も。
「始業式にはまだ少し日程があるはずだけど、結構な数の生徒がもう生活しているのね」
「いえ。あちらの方々は皆、上級生の先輩方かと」
セレスティアはアスカに言われて彼女達の服装を見る。
上は赤に裏地が黒のブレザーに白のブラウス、下は丈の短いスカートというのは制服を支給されているセレスティアも見覚えがある。
ブレザーの左胸にはフラルタリア、メルカルヴァ、クリシュマリスいずれかの国章が飾られ、その左肩には金糸の飾緒。
生地は厚めで小さなナイフ程度の刃なら簡単に防ぎ、燃えにくい材料が使われている。
上級生と下級生を見分けるのは、首元のネクタイの色だ。一年生は赤。二年生は黒。三年生は青と分けられている。
今、女子寮の中庭で思い思いに過ごしている女生徒たちの首元にあるネクタイの色は黒か青。
一年生であることを示す赤色のネクタイは一つも無い。
彼女達はセレスティアとアスカを特に気に留めていないようだった。
当然だ。この時期は新入生が寮へ入ってくる季節。去年一昨年の自分達がそうだったのだからと、周囲をあまり気にかけていない。
彼女達が気に掛けるのは、大陸にある四国の要人たち。
噂では王位継承権から外れた遠縁の姫や要職に就く者の娘などが新しく入学してくると聞いていた彼女達は、こうして寮の外で偶然を装って待っているのだが――綺麗だが質素なドレスを纏い、たった一人の従者だけを連れたセレスティアは彼女達の御眼鏡にはかなわなかったようだ。
「そうみたいね」
挨拶をしておいた方が良いだろうと思ったが、両手に荷物を持って声を掛けるのも失礼だろうと思いなおし、セレスティアは寮内へ。その後をアスカが追う。
入り口は豪奢な絨毯と小振りながら煌めくシャンデリアで飾られ、左右には美に疎いセレスティアでもなんだか高価そうだと思うくらいに古ぼけた絵画や壺などが置かれている。
(お金を使っているのね)
学校とは勉学に勤しむ場所だと思っていたセレスティアが受けたのは、無駄な金だな、という印象だった。
美意識を学ぶためだと理由付ければ高価な調度品の意味も分かるが、柔らかな高級絨毯と無駄に明るいシャンデリアなどは学生が過ごす場所には不要だろう。
けれど、生徒の多くが貴族である騎士学校の寮となれば、こういった所へ気を使わなければいけないのだろうとセレスティアは思いなおして足を進める。
入って右手側には食堂が。左手側には浴室へ通じる通路。
食堂の入り口にはアスカよりも背の高い木製の像が二体、入室する者を品定めするかのように入り口側を見下ろす形で立っている。
その木像には見覚えがあった。
唯一迷宮都市を持たないカルメリア神聖国が崇める、大地創造の女神だ。
その奥には百人が一斉に並んでも余裕のある広さが用意された大食堂が見える。今は食事時ではないので人はまばらだが、並んでいるテーブルの数は百。
そのいくつかには中庭と同じように生徒が座り、お茶会を楽しんでいる。
「それじゃあ、私達の部屋は二階だったわね」
「はい」
階段にも絨毯が敷かれ、足音がほとんどしない。
セレスティアは自分が住んでいた屋敷よりも豪華な造りの女子寮の内装に感嘆の息を吐き、見たこともない不思議な風景を描いた絵画を楽しみながら二階へ。
二階の通路も、一階、入り口部分とそう大差はない。
天井には小振りなシャンデリアが並び、通路の左右には壺や絵画が飾られている。
窓の額は不思議な意匠が施され、それがなんとも“綺麗”だった。
カーテンは薄い絹地で、所々で空いている窓から入り込む風で柔らかく揺れている。
活力に溢れていた街中とは違う、静謐な空間だ。
人影はなく、まるで世界に自分とアスカの二人だけになったような気がして、セレスティアはそんな感想を抱いた自分に苦笑した。
「どうかなさいましたか?」
「いや、静かすぎて他に誰も居ないような気がした自分が可笑しかっただけだ」
「そうですね――ですが、人の気配はいくつか」
「同級生、というやつだな」
「はい」
ただ、自分達が使う部屋以外にいきなり尋ねるのも失礼だと思い、セレスティアはとりあえず自分に宛がわれている私室へと移動した。
二階の一番奥。
アーウェイン領の息女として一番人通りが少なく安全な部屋として割り振られた部屋だ。
確かにセレスティアと兄であるラシュトン、そして彼女の両親は数年前まで数多いる田舎貴族の一人でしかなかった。
けれど、今は違う。
偶然とはいえ領内にダンジョンという金源が出現し、その管理を任されている一族の長女という立場。それはセレスティア自身が思っている以上に周囲へ影響を与えてしまうものだった。
何故なら、この大陸に住む人類の生活レベルを大きく逸脱した機能を持つ『魔道具』を唯一入手できる場所、ダンジョン。その管理者は土地の所有者であるセレスティアの父親だ。
その立場から、セレスティアへ害をなして『魔道具』を不正に入手しようとする輩が現れないとも限らない。
他のダンジョンなら王族が管理し、金に目の眩んだ貴族などにも財力と武力を以て対応するが、アーウェインにはそれだけの財も力も無い。
だからこそ極力、まだ自分の身を守る力が無いセレスティアには最大限の安全を確保しようとした結果だった。
セレスティアとアスカがこれから一年間を過ごす部屋。
今まで通ってきた廊下とは全然違う。
木造の床が丸見えで、家具はテーブルが一つと椅子が三つ。衣装棚が一つと勉強机が一つ。そしてベッドが二つ。
机の上には小型の魔力灯が置かれているだけと質素な部屋だ。
とても貴族が住むために用意された部屋とは思えない。
しかしそれにも理由があった。
「随分と……一階や廊下と比べると質素だな」
「女子寮で生活している間に、ダンジョンへ潜って資金を稼ぎ、街で気に入った家具をご自分が稼いだ資金を使って室内を飾る事ができるように、不要な物は置かれていないそうです」
「なるほど。それと、一人部屋なのか」
「お一人は寂しかったですか? でしたら、夜の間は一緒に過ごしますが」
「ああ、いや。そういう意味じゃなくて――少し、その、夜が楽しみだ」
ずっとアスカが一緒だと思い込んでいた、とはさすがに口に出せなかった。
初めての寮生活に、セレスティアは自分でも気付かないうちに少しだけ不安な気持ちを抱いていた。
「私の部屋は隣ですので、何かございましたらお声掛け下さい。部屋の壁を叩くだけでも構いません」
「ああ、分かった」
なんだか子ども扱いされたような気がしてセレスティアは乾いた笑みを浮かべると、奥のベッドの上へ荷物の入った革バッグを置いた。
「それで、アスカ」
「まずは荷物の整理を。お手伝いいたしましょうか?」
「ぅ、あ、ああ。いや、違う。大丈夫、私一人で出来るとも。もちろんだとも」
「さようでございますか」
アスカは明らかな強がりの言葉に内心で微笑みながら綺麗に一礼すると、隣にあるアスカ自身の部屋へ。
片付けに慣れた彼女はすぐに荷解きを終えて、セレスティアの部屋へ戻ってくる。
彼女が持ち込んだのはメイド服の替えと、事前に支給されていたアーウェイン騎士学校の制服。そして僅かな日用品だけだった。
そしてセレスティアが持ってきていたのは――。
「……お嬢様、またそのようなものを」
主人の部屋へ戻るなり、アスカは従者にあるまじき低い声でそう呟いた。
元から無表情で少し怖い雰囲気があるアスカだが、半眼になって呟く様子は長年一緒にいるセレスティアでも結構怖いと感じてしまうすごみがある。
そのアスカの視線の先にはベッドの上に広げられた色とりどりな数着のドレスと下着、装飾品など……は、ともかく。
床に広げられているのは小柄な少女が持つには少々物騒というか武骨というか、言葉にするなら『似合わない』物。
『10』という数字が書かれたダンベルや固定用のベルトの付いた重し、縄跳び用の紐など。
沢山の健康器具、身体を鍛える道具が床に転がっていた。
「お嬢様。そのような物は屋敷に置いてくるようにと何度も申し上げたではありませんか」
「だ、で、でもな。身体を鍛えるのに便利じゃないか」
「身体を鍛えるのも大切ですが、ここは屋敷ではないのです。淑女にあるまじきそのような道具を持っていると知られてしまったら、周囲からどのような目で見られるか……旦那様も心配なさっておられたはずです」
「う、ぅう」
そう、これらの道具は全部セレスティアが雨の日に身体を鍛えるようにと、屋敷や近隣の村に立ち寄った旅の行商人から両親に内緒で購入したものだった。
流石に貴族の娘がダンベルなんかを飼うのは恥ずかしいと思っているのか、最初はアスカにも内緒にしていたほどだ。
だが、狭い屋敷の中。
健康器具を隠す場所など限られ、相手は屋敷の中を隅から隅まで掃除するメイド。その存在はすぐに気付かれ、もう少し淑女らしい生活をしてくれと父親から厳重に注意されたことはセレスティアも覚えている。
その後も内緒で器具を増やしている辺り、そしてこうやって持ち込んできているのだから、あまり反省はしていないのだが。
「あ、アスカ。この事はお父様には内緒に……」
「それは今後の、お嬢様の行動次第かと」
「は、はい」
自分の従者へ下手の態度を取りながら荷物を片付けようとするセレスティア。
しかしそこは初めての片付け。
健康器具はタンスの奥へと押し込め、日用品はテーブルの上へ乱雑に広げる。高価なドレスも適当に箪笥のハンガーへ引っ掛けようとしたところで、アスカも手伝う事にした。
「お嬢様、手伝わせてくださいまし」
「ありがとう、アスカ」
“荷物を片付ける”という初めての経験に喜び、嬉々としてバッグの中身を取り出すセレスティア。小柄な体躯も相まって、その様子は面白い玩具を目の前に並べる子供のよう。
その様子を微笑ましく思いながら、アスカはテキパキと要領よく彼女の荷物を片付けていく。
作業への慣れという事もあり、アスカが加わったことで片付けが早く終わったのも必然だ。
「……早いな」
「お嬢様、口調」
「二人っきりだからいいだろ、今くらいは」
二人っきりという表現にアスカは僅かに口元を緩め、しかし次の瞬間にはいつもの感情の起伏が読み取れない無表情に。
内心の喜びを気付かれないように気持ちを引き締めると、セレスティアが私服へ着替えるのを手伝う。
セレスティアは屋敷では露出が多いという理由で着用を禁止されていた動き易い服装を選び、洋服を選択した。
上は白いレースのノースリーブと着崩したファー付きの黒い革ジャケット。下は黒のスパッツにホットパンツという活動的な格好。
長い金髪は首の後ろで結ぶと、活発な少年にも見える。
確かに貴族らしくない格好だとアスカは思ったが、活動的な主がスカートを履けばどうなるかというのも理解しているので、その恰好をあまり強くは否定できなかった。
「それじゃあ行きましょう、アスカ。まずは武器屋よ!」
「……お嬢様。それよりも先に教材の受け取りを済ませておいた方が宜しいかと」
始業式が行われるのは、まだ十日ほど先だ。
しかし、セレスティア達にはやることが多い。教材の受け取りに制服の採寸合わせ。騎士学校の授業の一つであるダンジョン探索の際に使う武具の注文に、迷宮都市の地理の把握。
そしてなにより、他国から入学してくる生徒達と親睦を深める事。
アスカの言葉は間接的にセレスティアへ今後の事を思い起こさせるのには十分で、疲れた顔を浮かべた。
「私は早くダンジョンに潜ってみたい」
「それも、準備を完璧にしてからが宜しいかと」
「本物の真剣を持って、早く悪魔と戦いたいな」
それは本当に子供がわがままを言う口調に似ていて、アスカは目元を僅かに緩める。
「それも、お嬢様と私の二人では危険です」
「わかってるとも。まったく……でも、楽しみだ。凄く」
「そうですね」
アスカもまた、セレスティアを退屈させない為だったとはいえ、この三年間で鍛えた自分の技量がどれほどなのか知りたいという欲求があった。
ダンジョンとは今の人類では未知の技術である『魔道具』を体内に納める悪魔が徘徊する場所。
そこは真剣を手に、自分の技量を頼りに命のやり取りを行う戦場だ。
自分がどれだけ戦えるのか。
武術を学んだ二人がこの迷宮都市において、最も興味を惹かれる場所だというのも当然の事なのかもしれない。
危険と隣り合わせな分、ダンジョンへ入るためにもいくつかの資格が必要となるのだが、騎士学校の生徒なら浅い階層になら進む事が出来るという特典があった。
つまり、どれだけダンジョンへ入りたいと思っても、騎士学校の入学式を済ませていない二人にはまだダンジョン侵入の資格が揃っていないのだった。
「とにかく。まずは武器屋、教材はその後に……」
「お嬢様。武器屋で身体を鍛える器具を買うようなことは」
「さーて。街の雑踏というのはどういう感じなのかなー」
セレスティアはアスカの言葉が聞こえなかった風を装って廊下へ出ると、そのまま足早に玄関へ向かい、アスカが溜息を吐きながらその後を追う。
そんな二人だが、その足取りは軽い。
革のブーツが小気味よく木の床を蹴って、女子寮の一階へ。
途中、窓から外を見ると空は快晴。
まるで、これから外出する自分を祝福しているようだとセレスティアは思った。
両開きの扉を勢いよく開けて、外へ――。
「さあ行きましょう、アスカ」
「はい、お嬢様」
セレスティア・アーウェインは外に出た。
知識として調べた。勉強した。
けれど、何も知らない外の世界へ。本当の意味で、その一歩を踏み出した瞬間だった。
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