第5話 お嬢様、物語の舞台へ


「まあ、まあ!」


 その日、“意地悪な貴族”セレスティア・アーウェインは迷宮都市『アーウェイン』へと辿り着いた。

 緑豊かな自然に囲まれていた屋敷や近隣の村々とは違う、木々は伐採され、平地が広がり、人々の往来が道となって出来上がった一つの街の姿。

 それは狭い世界しか知らなかったセレスティアには新鮮で、彼女は街へ着くと子供のように目を輝かせながら馬車の窓から外を眺めていた。


「お嬢様、はしたないですよ」

「構わないだろう、アスカ。往来を歩いている人は皆、馬車など見ていないさ」


 それもセレスティアが感動している一つだ。

 村を訪ねれば貴族の機嫌を伺うように馬車を注視していた人々の姿と、迷宮都市で生活している人々の違い。

 村の人たちは日々を生きるために畑を耕し、家畜を飼い、のんびりとした気風だった。

 けれど、他国から商売の為に訪れている商人、その商品の品を見定める貴族、『迷宮』で一攫千金を狙う探索者、そんな人達を客として扱う施設の人々。

 彼らの表情は一様に活力で満ち溢れていて、誰もが前を見て邁進しているようにセレスティアの翠色の瞳に映る。

 彼女は興奮していた。

 屋敷にも村にも無かった人々の顔だった。

 その表情は本当に楽しそうで、自分にその笑顔が向けられると胸の奥が温かくなる――とアスカは感じながら、咳払いを一つ。


「人が多いですね」

「ああ。こういうのを雑多というのだろうな」

「……ですが、お嬢様。口調にもう少しお気を使っていただけるとアスカは大変嬉しゅうございます」

「誰も聞いていないのだからいいだろう?」

「誰も聞いていないからこそ努力する事が肝要かと」

「むう――ええ、分かっているわよアスカ」


 街の雰囲気に充てられて興奮したセレスティアは男らしい口調になり、しかしすぐに隣に控えるアスカに注意されてしまい、不満そうに口調を正す。


「それよりも、アスカ」

「なんでしょう、お嬢様?」

「私も街を歩きたいわ」

「お荷物を寮に預けてからなら」

「……意地悪」


 セレスティアは唇を尖らせたが、アスカとしては見知らぬ街を馬車の案内無しで歩くとなれば確実に迷子になると判断しての事だ。

 アスカは記憶力が良い。

 一度歩いた道は忘れないと自負している。

 今も、街の雰囲気を楽しんでいるセレスティアと違い、どの店を目印にして進めば街の入り口から騎士学校の寮まで進めるかをちゃんと確認していた。

 屋敷から近隣の村までの道筋や、セレスティアの我儘で森の奥へ進んだ時などの帰り道はアスカに任せっぱなしだった。

 アスカは何でも知っている、と思い込んでいるというべきか。

 この辺りは長い付き合いからの甘え、とも言えるのかもしれない。


「じゃあ、荷物を預けたら一緒に買い物へ出ましょう」

「それでしたら構いません」


 そう言った時、ちょうど馬車が甘味処の前を通過した。

店内には人が多く、店の前を通り過ぎる人々も……その中でも女性が多く、店の看板を見ているところから人気の店なのかもしれない。

 一瞬だけ、アスカの視線が窓から後ろに流れていくその店を追った。


「美味しそうなお店ね」

「はい」


 その視線を見逃さなかったセレスティアが感想を言うと、アスカも同意する。

 直後にしまったと思ったが、もう遅い。


「ふふ。アスカも街の雰囲気を楽しんでいるみたいね」

「いえ、その。私も、屋敷を出たことはあまり多くありませんので」


 ほとんどセレスティア専属のメイドであるとも言えるアスカだが、彼女はアーウェイン家に仕えるメイドだ。ちゃんとメイドとしての仕事があり、屋敷にいた時も四六時中セレスティアに付き従っていたわけではない。

 屋敷の清掃や食事の用意、そして時々は屋敷を出て近隣の村や町へ買い出しに出た時もある。

 セレスティアよりも社会経験は豊富だと思うアスカだが、これだけ活気のある街は初めてだった。

 その雰囲気に興奮するセレスティアと、迷子になったら大変だなと思うアスカ。

 この辺りの対極な思考が、この主人と従者が友人と呼べる関係となった要因の一つだった。


「それより、お嬢様。騎士学校の寮が見えてきました」

「え、どこどこ?」

「……お嬢様、もう少し慎みと落ち着きをお持ちいただけるとアスカは嬉しいです」

「もうっ。せっかく屋敷を出たのに、堅苦しいわよアスカ」

「私はお嬢様の使用人であると同時に、お嬢様がちゃんと『貴族』として立ち振る舞えるかを見守る監視役でもありますので」


 それは、騎士学校へ入学するために屋敷を出た日にアーウェイン家の当主であるセレスティアの父親に言われた事だった。

 セレスティアを見守り、彼女が昔のように周囲へ無茶を言わないように観察する事。

 そして、週に一回でもいいから近況報告の為の手紙を書くようにと。

 ただ、長年アーウェイン家に勤めているアスカは、その言葉が「セレスティアの学校生活を見守り、それを報告してほしい」といった風に捉えていた。

 むしろ、そちらの考えで間違っていない。

 小難しい言葉をセレスティアの父親は並べていたが、その根本は『親ばか』だ。昔はヤンチャだった娘が心配で、筆不精な娘の代わりに手紙を書いて寄越すようにとお願いしただけ。

 けれど、それを口実にセレスティアへ『貴族としての振る舞い』を要望する辺り、強かというかなんというか。


「分かっているわよ。これ以上お父様にご迷惑はかけられないもの。それに、学校への入学金は村の皆からの税金だし。ちゃんとするわよ、ちゃんと」

「はい。そのお気持ちを忘れないでください」


 子供の頃に散々迷惑を掛けた村の人たちからの税金で学校へ通うのだから、それに見合う成果を出したいとセレスティアは思う。

 期待とは違うのかもしれない。

 村人が貴族へ税を納めるのは義務だ。

 土地を貸す代わりに、その土地から生まれる稼ぎの一部を収めるというだけの事。

 それでも、期待されていなかったとしても、セレスティアは何らかの形で恩を返せるよう学校で学びたいと考える。

 人間は一人では生きていけない。

 どこかで、人は誰かに支えられていると知ったから。

 だから自分も、いつか誰かを支えられる存在になりたいと。強く思いながらセレスティアは荷物から一冊の古びた絵本を取り出した。

 子供の頃は胸に抱えるほど大きかった絵本だが、成長した今ではちょうどセレスティアの手に収まるくらいの大きさ。


『ヴァデルハイトの英雄譚』


 セレスティア・アーウェインが『変わる』切っ掛けになった絵本。

 学校の寮へ着くまでのわずかな時間、もう何度も読んで内容を覚えている絵本を、セレスティアはもう一度読み始めた。



 アーウェイン騎士学校の寮へ着く前に、セレスティア達が乗る馬車は渋滞に巻き込まれていた。

 迷宮都市の大通りは人の通りが多く、同じくらい馬車を利用する人も多い。というよりも、人ごみに揉まれることを良しとしない貴族達は人通りが多いと分かっていても馬車を利用しているのが原因だ。

 その事を知らなかったセレスティア達は馬車内で困惑し、御者から理由を聞くと納得していた。


「こんなことなら、街に着いたら歩くようにすればよかったわね」

「ですが、寮への道が分かりませんので」

「こんなに人が多いのだもの。聞きながら歩けば着くでしょう?」

「……お嬢様」


 中には女性二人しかいないと分かれば不埒な行為に及ぶ人間も居る……と訴えようと思ったが、せっかく初めて見る町の風景に気分を良くしているセレスティアに水を差すのもどうかと思って黙る。

 世の中、善人ばかりではない。

 両親に売られたアスカは、それをよく理解していた。


「ここからなら屋敷、じゃなくて寮も見えているし。歩きましょうか」

「寄り道をしないと約束していただけるなら」

「だ、大丈夫よ。ちゃんと寮までまっすぐ行く……これでいいでしょ?」

「はい。英雄は」

「口にした事を決して裏切らない。でしょ?」


 『ヴァデルハイトの英雄譚』にある一節を口にして、セレスティアは子供のように明るく元気いっぱいの笑みを浮かべた。

 その笑みにアスカは何も言えなくなってしまう。

 こうなるとセレスティアは何を言っても折れないし、アスカ自身、セレスティアのその笑顔が大好きだったから。

 アスカがその旨を御者に告げ、二人は荷物を持って馬車を下りた。

 セレスティアの分は小柄な少女が両手で抱えるほどの大きさがあるバッグが三つ。アスカは最低限の着替えだけを入れた小さなバッグ一つだけ。

 本当ならその荷物を全部アスカが持つべきなのだろうが――。


「それじゃあ行きましょうか、アスカ」

「はい」


 六年。

 セレスティアが変わり、自分を鍛え続けてきた年数だ。

 少女のようにも見える外見からは想像もできない怪力で、セレスティアは大きな三つの荷物を軽々と持ち、歩き出した。

 セレスティアがここまで運んでくれた御者にお礼を言って先へ進むと、御者台の男は目を剥いてセレスティアを見た。

 人形のように美しいメイドからお嬢様と呼ばれていた美少女。

 その彼女が軽々と重い荷物を運んでいる光景に驚いたのだ。馬車へ荷物を載せる際に手伝い、その重さを知っているからこそ御者台の男は混乱していた。

 その後ろへ控えるように、こちらは小さな荷物一つだけを持つアスカが歩く。

 これではどちらが主人で使用人なのか……。


「お嬢様、一つ持ちます」

「いいのよ。これも修行よ、アスカ」

「いえ。主人に荷物を持たせるとなれば、使用人としての立場に関わりますので」

「変な事を気にするのね、貴女」


 けれど、使用人としての立場も大切だと思いセレスティアが立ち止った時。

 反対側から歩いていた少女とぶつかってしまった。

 余所見をしていたのだろう。大荷物を抱えているセレスティアが見えていないようだった。

 むしろ、ぶつかられて微動だにしないセレスティアの体幹がしっかりしていて、少女の方が勢いよく後ろへ跳んでしまう有様だ。


「あいたっ」

「あら、ごめんなさい。大丈夫?」

「お嬢様、お怪我はありませんか!?」


 アーウェインの街の雰囲気に知らず、気が緩んでいたのか。

 少女の接近に気付かなかったアスカは慌ててセレスティアの無事を確かめ、セレスティアの方はぶつか田少女に手を差し伸べた。

 色素が薄い、光の加減で青色にも見える不思議な髪の色の少女だった。

 身長はセレスティアよりも少し高く、アスカよりも低い。セレスティアと同年代程度だろう、幼さの残る顔立ちは真っ青になってしまっている。

 理由は簡単だ。

 セレスティアが来ているドレスと、背後に控える使用人の姿。それだけで、自分がぶつかってしまった相手が貴族だと理解したからだった。


「もっ、申し訳ありませんっ」

「え?」

「とんだ粗相をっ。どうか、どうかお許しくださいっ」


 青髪の少女は姿勢を正すと土下座する勢いで頭を下げ、セレスティアに許しを請う。

 驚いたのはセレスティアの方だ。

 まさかこんなことになるとは、と。

 貴族と平民の立場の違い。この国では、それは顕著だ。

 中には、平気で平民を雇って奴隷のようにこき使う貴族も居ると、セレスティアも知識でだけは知っていた。

 幸運な事にセレスティアの両親はその辺りには厳しく、平民を雇うにしてもちゃんと賃金を払い、使用人という立場を持って接していたが。

 中にはこうやって『貴族』というだけで恐れ、頭を下げる人も居る。

 その事に驚いたセレスティアは、しかし声を掛けても余計に怖がらせてしまうだけだろうと思った。

 そうしている間に周囲を歩いていた人たちの視線が集まり、悪い意味で視線を集めてしまう。

 セレスティアはどうしたものかと蒼紙の少女が落とした荷物を見やり、その中で見知った本を一冊見つけた。


「……あら、貴女」

「なっ、何かしましたでしょうかっ!?」

「そうではなくて、貴女が読んでいた本よ」

「これはただの絵本で――」

「ええ。その本、私もよく読んでいるのよ」

「……へ?」


 その言葉を聞いて、そこでようやく青髪の少女は恐々と震えながら顔を上げた。

 髪と同じ青みが駆った瞳には涙が浮かび、顔は蒼白。

 そんなに怖がらなくていいのにと、それを見たセレスティアの方が少し申し訳なく思ってしまうほど。

 その事に苦笑しながらセレスティアは荷物を地面に置くと、落ちて居た絵本を手に取った。

 『ヴァデルハイトの英雄譚』の第二巻。

 購入したばかりなのだろう。真新しい表紙からは、新品の紙とインクの匂いが僅かに香った。


「貴女もこの絵本が好きなの?」

「あ、え……は、はい」

「そんなに怖がらなくても平気よ。ドラゴンみたいにとって食べたりしないぞ、私は」


 冗談めかしてそう言いながら絵本を少女へ手渡し、その手を引いて立たせる。

 次に地面に座り込んで汚れたスカートを手で払ってあげると、怪我をしていないかの確認もした。

 その間も青髪の少女はきょとんとした顔で、胸に絵本を抱いたまま微動だにしない。動いたら怒られるかもとか考えていた。


「うん、怪我もしていないな。痛い所は無いか?」

「だ、大丈夫ですっ!」

「そうか、それは良かった」


 その元気な声に安心してセレスティアが笑うと、少女は驚きに顔を赤くした。


「その本、買ったばかりなのか?」

「え?」

「真新しい紙とインクの匂いがした。良い匂いだな。その匂いを聞くと知らない本を読むんだと私は興奮するんだが――君もその絵本の内容を想像して興奮していたのか?」

「お嬢様。絵本で興奮する人は少ないかと」


 事の成り行きを見守って背後に控えていたアスカが呟くと、セレスティアは振り返る。


「そうか? 私はヴァデルハイトがどう行動するのか、今度はどんな騒動に巻き込まれるのか、それをどう解決するのか……想像すると凄く興奮したぞ」


 それが物凄く子供っぽいと自覚しながら、けれどその感情こそが絵本の醍醐味だとセレスティアは思っていた。

 そうしてセレスティアが自分なりの「絵本の良さ」を語ろうとした時だった。


「そこまでにしておきなよ」


 野次馬の中から一人の青年が出てきた。

 赤みがかった茶色の髪の、周りの大人達と比べても遜色ない長身の男子だ。それが自分とあまり変わらない年齢だとセレスティアが気付いたのは、着ているのが騎士学校の制服だからだった。

 それが無かったら大人の一人と思っただろう。

 誰とも知らない大男の物言いに危険を感じてアスカがセレスティアの前へ出ようとすると、それをセレスティアが手で制した。


「怖がってるじゃないか。貴族だからって、あんまり市民を虐めるなよ」

「ええ、そうね。怖がらせてしまったわ――本当にごめんなさい」


 赤髪の青年、キーラの言葉にセレスティアは反論しなかった。

 それが一方的な思い込みのようなものだったとしても、自分の存在を青髪の少女が怖がらせてしまったのは事実。

 アスカと青髪の少女が何かを言うよりも早く、セレスティアはちゃんと青髪の少女の目を見ながら謝罪の言葉を口にして頭を下げた。

 これには周囲を囲んでいた野次馬たちも驚いた。もちろん、声を掛けたキーラも、青髪の少女も驚いて固まっている。

キーラはこれが『ゲームのイベント』だと認識していた。

 我儘な貴族であるセレスティアは迷宮都市の混雑に苛立ち、進まない馬車を降りると歩いて寮の自室へ移動しようとして道具屋の娘である夢見がちで気弱なヒロイン『メルテ』とぶつかり、今までの苛立ちを晴らす為に絡むイベントだ。

 メルテを助ける選択肢を選ぶとセレスティアとアスカの二人を相手にする戦闘イベントが発生するはずだったのだが……。


(あれ?)


 セレスティアは謝罪すると、その場を後にした。

 本当は初めて見つけた『ヴァデルハイトの英雄譚』の購読者と話をしたかったのだが、これだけ野次馬が集まってはそれも難しいと気付いたのだ。

 貴族にぶつかって怒られると思っていたメルテは、逆に謝罪の言葉を口にされて驚き、ちゃんと市民にも謝る貴族というものを始めてみた野次馬たちも驚いてセレスティアへ道を開けた。

 結果、セレスティアとアスカはその場を後にして騎士学校の寮へと向かって行った。

 残った野次馬たちも騒動が収まればすぐに消え、それに紛れて騒動の渦中だったメルテも帰路につく。

 キーラは。


「選択肢を間違えたのかな?」


 と頭を掻いていた。

 あの場で発言すれば、イライラしていたセレスティアはキーラに絡んでくるはずだった。

 物申したキーラを貴族に逆らったという理不尽な理由で悪だと断じ、配下のアスカをけしかけてくるというシナリオだったはずなのだが……ものの見事に的は外れ、むしろ物事が収まりかけた時に介入したキーラの姿は空気の読めない男そのもの。

 ただ。


「ちょっと失敗したかな。まあ、次だ、次。次は寮で親友キャラと知り合うんだったはずだ」


 キーラは一つのイベントを失敗しただけだと軽い気持ちで歩き出した。


「あ、せっかくだからセレスティアとアスカのステータスを見とけばよかったな」


 彼は今日一日、そんな感じだった。

 この後にこれから三年間を助け合う親友キャラ、同じく貴族ではなく田舎の村から武術の才能で入学を認められた『フォルカ』と知り合い、買い物に出た先の料理屋で看板娘の『テスラ』と仲良くなった。

 アルテのイベントは失敗したが、それ以外は知識通りだったので、『どうして失敗したのか』とキーラは考えなかった。


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