第4話 主人公、奮闘する


「いっったい!?」


 季節は秋。

 一面が黄金色に染まった麦畑の傍で、そんな大きな声が響いた。

 ここはアーウェイン領の片隅にあるアルリア村。麦の収穫と酪農で生計を立てる田舎の村だ。

 建っている家も二十軒に届かず、村の皆は顔見知り。

 もちろんその大きな声の主を、村の全員が知っていた。


「キーラ! お前はまた家畜の散歩をサボってるのか!?」

「違うって、父さん!?」


 赤みがかった茶色の髪に紺色の瞳。顔は素朴で、どこにでも居るような青年キーラ。

 それが、大声の主の名前だ。

 年齢はまだ十六歳だというのにその身長は大人と並んでも遜色しないほどに高い。

 身体は全体的に細身に見えるのだが、服の袖から見える二の腕には無駄な贅肉がほとんど無く、筋肉で盛り上がっている。

 全体的に“大きい”と感じる青年だ。大人でも、正面から目を合わせるとその圧力で目を逸らしてしまうだろう。

 それに輪を掛けて周囲から一線を置かれてしまっているのは、その眼付きが原因だった。

 長い前髪は目元を隠しているが、その下には怖いもの知らずの子供すら一目見て泣き出してしまいそうなほど鋭い三白眼の瞳。

 身長が高くて体格もがっしりしている。そのうえ目つきも鋭いとなれば、大人だって黙ってしまう。現に、こうやってキーラに声を掛けてくれるのは肉親くらい。

 同年代の子供はおろか、村の大人たちでさえ必要が無ければキーラに声を掛けようとはせず、いつも遠巻きに眺めているような関係だった。

 ……ちょっと目付きが悪いというのは、彼の秘かな悩みだ。

 そんなキーラだが、彼は今、涙目になりながら頭を押さえていた。理由は手にある木剣に見立てた木の枝と、その足元。

 遊び半分で小石を木の枝で打ったのだが、それが不思議に思えるほど奇妙な軌道を描いて額に直撃したのだ。


(そこまで運動神経は悪くないはずなんだけどな)


 キーラはそう思うと、頭の中で自分の身体能力を調べたいと思った。

 すると不思議な事に、紺色だったキーラの左目が僅かに輝いたように見え、次の瞬間にはキーラの視界に“数値”が見えたのだ。


「ステータスは結構育てきたな、うん」

「くぉら、キーラ! サボってないで家畜の誘導をちゃんとしろっ! 晩飯抜きにするぞ!」

「分かってるよ! まったく、父さんはせっかちだな」


 数値として現れたのは自分の能力――そして、父親の声に反応して視線を向けると、父親の能力も見えていた。

 レベル、HP、MP……現実にはあり得ない、人間のステータス。

 まるでゲームのようだ。

 しかし、これは現実。ここはキーラにとってよく知る『ゲームの世界』だった。

 五年くらい前に流行したダンジョンを探索してキャラクターを育て、レアアイテムを集めるハックアンドスラッシュ型RPG。それがこの世界の真実だ。

 どういうわけか、ゲームとして楽しんでいた世界にキーラは迷いこんでしまっているけれど。

 それでも、キーラはこの生活を楽しんでいた。

 ゲームの世界。しかも自分の役割は田舎の村から段々に出世して、最後には世界を救う英雄となる役割――主人公なのだから。

 ゲームの始まりは、このアルリア村から始まる。

 世界観の説明があった後に初めての戦闘が発生するといった、チュートリアル後にゲーム本編が始まる。アルリア村での生活は、プロローグ部分だ。

 ゲームだとそこに女神からの使者と名乗る天使が色々と説明してくれるのだが、残念な事にキーラの目にはその天使の姿は見えない。


(結構可愛かったんだけどな、あの天使)


 ただ、ありきたりなツンデレキャラで、口が悪かったから結構なプレイヤーからはあまり良く思われていなかったけど、とも思う。

 まあ、現実にツンデレキャラなんて居ても疲れるだけかと、この世界での生活に順応し始めたキーラはすぐに諦めていた。

 キーラがこの世界を『ゲームの世界』だと認識したのは一週間前だ。

 両親が言うには、キッチンの高い所にある鉄の鍋を取ろうとして失敗、その鉄鍋が頭に直撃して気絶した……そして目が覚めたら、この世界が『ゲームの世界』だと認識していた。

 今は前髪で隠れているが、額にはその時の怪我が深く残っていて、それが一層村人たちを遠ざける一因になっていたりする。

 なにより、その非現実的な思い込みを“これは現実なのだ”と知らしめたのは、この左目だ。

 自分だけではなく、この世界に生きている全員のステータスを見る事が出来る左目。ちょっと中二臭い言葉を使うなら、『能力を看破する魔眼』。

 そして、自分のレベルが一週間前は『1』で、今は『2』に上がっていた。


(自分でも変な感じだけど、これから何が起こるかは分かるんだよなあ)


 未来予知というには鮮明に。頭の中に、映像としてではなく知識として浮かんでくるものがある。

 本当に、文字通り未来を知っているのだ。自分は。キーラはそう思う。

 数日後……正確な日時は分からないが、これから村が魔獣に襲われて、それから二日後に運よく近隣を哨戒中だった騎士と一緒に討伐する。最初の戦闘だ。

 キーラは、ゲームの主人公はその騎士に才能を認められて騎士学校へ通うことになるのだ。


「うーん。どうするかなあ」


 液晶画面越しに見ていたのは、データ上で精巧にモデリングされた映像の世界。

 風に揺れる木々、現実と同じく朝夕に合わせて色を変えていく世界。本当に生きた人間のように言葉を交わすAI達と、そんな世界を旅する主人公。

 現在ではありきたりになったファンタジー的世界観でしかないRPGが世界的ヒットを叩きだした理由は、当時では圧倒的に優れていたAI技術が理由だった。

 NPC達は自分の意志を持ち、主人公である現実の人間の選択によってその性格は変わっていく。

 主人公の受け答えは選択肢から選ぶものなのだが、その選択によって口調が変わり、選べる選択肢が増減するという物。

 本当にありふれた、どこかにありそうなRPGだったけれど、それが昔ながらのゲームが現代の技術で正当に進化したみたいな雰囲気で多くの人から受け入れられていたのだ。

 それに派手な魔法に、格好良い必殺技。


「やっぱり魔法は使えるようになりたいな。せっかくのファンタジー世界だし」


 これからの事を考えて若干興奮した緊張感の無い声でそう言いながら、キーラは木の棒を持って立ち上がった。

 父親に言われた通り、家畜の世話に戻る。

 この木の棒を振って家畜……豚みたいな、けれど現実の豚よりも一回り大きい食用家畜『ピッグ』を小屋まで誘導するのがキーラの仕事だ。

 ちなみに、ピッグとは英語で豚であり、安直な名前で覚えやすい。

 キーラの左目に見えるのは腕力、体力、敏捷と知力、精神に運といった六つの身体能力。

 それにレベルとHP、MP、SPという基本的なゲームのステータス。

 身体能力の初期値は全部が『5』で、今は腕力と体力が『8』と『6』に成長している。

 自分のステータスを見ながら、キーラはまだまだ弱いと思った。

 このゲームはやり込み要素が多く、身体能力は最高で三桁まで伸びるのだ。

 まあ、それはゲームをクリアした後に現れる隠しダンジョンを何度もやり込む必要があるのだけれど。

 キーラはすべての能力を、ドーピングアイテムを使って最大値の『999』まで鍛えた当時の事を思い出していた。

 良質なキャラクターデザインと、優れたAI。オフラインという閉じられた世界で自分の好きなように物語を進める事が出来る自由性。

 マイペースな自分の性格に、このゲームは非常に相性が良かったのだ。

 そのマイキャラの名前は何だっただろう。

 キーラはこの一週間で何度か考えた思考を、しかし思い出すことなく放棄した。


「剣と魔法で悪魔をぶっ倒して……マジでここ、ゲームの世界なんだよなあ」


 キーラには不安な事もあった。

 ここが『ゲームの世界』だと認識しているし、自分にはゲームを最後までクリアした記憶もある。

 けれど、自分が何者なのかは思い出せなかった。

 キーラという主人公の出で立ちはそのままに、現実の知識だけが頭に入り込んでいるような違和感。

 けれど、それを不安には思わない。

 ただ、この世界を楽しもうと思っている。せっかくのファンタジー世界なんだから、と。


「それくらいで良いんだろうな、深く考えないで」


 夕焼け空の下、木の棒を振ってピッグを誘導しながらキーラはそう考える。

 どうして自分が『ゲームの世界』に居るのか。現実の世界に自分は戻れるのか。

 そもそも、この世界で死んだらどうなるのか――。

 考えなければいけない事は沢山あるけれど、キーラにはその不安があまりない。危機感が無いわけではなく、考えても無駄だと割り切っていた。

 その三日後も、キーラは家の手伝いしていた。

 家畜の世話や家事の手伝いをしてステータスを鍛え、悪魔と戦うために強くなっていく。

 キーラのレベルは『4』まで成長していた。

 村に住む同年代の子供達のレベルは『1』か『2』。大人だってレベルは『3』だ。能力値は初期値に多少プラスの補正がなされた程度。

 だからか、レベル『4』で能力値が初期値の倍以上にまで成長しているキーラは村の中で一番強い存在となっていた。

 見た目は十六歳の子供。身体だって見た目は少し鍛えているように見える程度。

 けれど、二百キロ近い体重がある大人のピッグだって持ち上げる事が出来るし、走れば村の誰よりも早い。

 そんなキーラと言えば……。


「早く次のイベントが起きないかな」


 そう思いながら、一日の仕事を終えて就寝。周囲の村人たちが、身体が少し大きい程度で普通の人間と変わらないキーラが村一番の怪力を発揮したりする様子を見て怖がったりしていたが、そんな事は気にしていなかった。

 余計に周囲から距離を置かれていることに気付く事無く、キーラはマイペースに次のイベントを待っていた。

 そして次の日に、問題が起きた。村の家畜が魔獣に襲われたのだ。ちなみに、キーラの家である。


「ふっざけんな!」


 普通はここ、別の家だろ!

 と、キーラは心の中で悪態を吐く。寝食の世話をした家畜が無残に殺されたのだ。

 朝起きたら清潔だった豚小屋は血まみれで、壁や窓には内臓が飛び散っている様子にキーラは声を荒げた。

 十五頭いたピッグのうち、十頭が殺されてしまっていた。

 これにキーラの両親は悲しみ、キーラは激怒した。改めて、魔獣を絶対に倒すと心に誓う。


「これは魔獣の仕業じゃ……このように大きな爪痕を持つ獣など、この土地には住んでおらん」


 村で一番長生きしている村長が村の住民にそう説明した。

 魔獣。

 夜になると見る事が出来る大地から溢れる魔力の光。これは、フラルタリア・メルカルヴァ・クリシュマリスの三大王国が存在するこの大陸の地下にある『迷宮』。その最奥に存在する『魔王』の死体から漏れ出る悪魔の力。魔力。

 その魔力を多く取り込んでしまった獣が変質した存在が魔獣である。

 通常の獣よりも凶暴で、強力。特別な個体――ボスになると、その肉体が巨大化する。家畜どころか、人間だって餌にするモンスター。

 けれど。


(戦うのは『グシオン』だったよな。レベルは『6』)


 キーラはその魔獣が何なのかをすでに知っている。

 グシオン。魔力を取り込んで凶暴化した猿の魔獣だ。

 キーラが知るゲームでは、魔獣、モンスターの名前はソロモン七十二柱の悪魔で統一されていた。

 グシオンとはその十一番目で、秘密を発見することに長けた悪魔。ゲーム内では『人間の大切な物を見抜く』という特殊能力を持つ。

 これは、入手日が古い物を優先して盗むという能力でゲーム内では表現されていた。

 今回はイベントなので人間……キーラたちが家畜を大切に飼っている事を知って襲ったのだ。


「魔獣は我々の手に負えん。迷宮都市『アーウェイン』へ救助を求めようと思う」

「賛成だ」


 村に住む二十人程度の住民全員が村長の提案に同意した。


「俺も賛成」


 キーラも村長の意見に同意して、救助を求めるための資金として家にあった僅かな蓄えの半分を寄付した。

 けれど、その資金が使われない事を知っていたので、特に何も思わなかった。数日後には、村の周辺を哨戒中の騎士が魔獣討伐の為に来てくれる。

 この日から毎日、夜になると家畜が襲われ、畑が荒らされた。ときには民家に侵入し、家具や貴金属の類も奪っていった。

 キーラは空いた時間は木剣に見立てた木の棒を素振りして過ごし、戦いの準備をした。

 村の周囲で採れる薬草を集めて煎じ、最も安価な回復薬『ポーション』を作成。

 木の棒は握りやすいように握り込む部分に布を巻く。

 不格好だが木の板で簡易の盾と鎧も作った。アイテムの作成、クラフトもこのゲームの醍醐味の一つだ。装備によってプレイヤーの姿は変わり、特定の武具をそろえて装備するとステータスにプラス補正が付くものもある。

 ただ、一番簡単に作る事ができる木製の武具は、傍目から見ると物凄く『格好悪い』装備なのが問題だった。


「これはなあ……」


 キーラは、自分で作った武器と防具を家の庭に並べて苦笑した。

 握りやすいよう取っ手を加工した木の棒と、簡単に壊れてしまいそうな薄い木製の盾と鎧。


(ゲームだと、もう少し見栄えが良かったはずなんだけどな)


 自分のレベルが低いからなのだろうと思う事にしておく。

 けれど、魔獣『グシオン』と戦うと決めたキーラは、その格好悪い装備でも構わなかった。


「家畜を殺されて黙っていられるか」


 魔獣討伐は危ないと両親から止められたけれど、キーラは本心からそう答えた。

 ストーリーの流れというのもあるけれど、世話をしていた家畜の敵を討ってやりたいという気持ちも本当だった。

 その翌日、キーラの知識通りに救援が来た。三人の騎士だ。


「近隣の村にも被害が広まっている。村人に被害は出ていないか?」

「はい、襲われたのは家畜や畑だけです」


 三人の中で一番『位』が高いであろう豪奢な鎧を纏った馬上の騎士の質問に村長が応えると、騎士の男は兜を外して馬から降りた。

 黄金を溶かしたような美しい金色の髪が風に揺れて広がり、碧色の瞳が髪の隙間から覗く。

 女性のように美しく整った容姿と、武骨な鎧の上からでも分かる鍛えられた肉体の男性騎士。

 ラシュトン・アーウェインだ。

 ラシュトンはその名前の通り、このアルリア村があるアーウェイン地方の土地を管理する貴族の長男だとキーラは覚えていた。


「後は我々騎士団に任せると良い。数日のうちに片付けるゆえ、安心して待っていてくれ」

「よろしくお願いいたします」


 ここからだ。

 キーラは村長と騎士達が話している間に、村の近くにある深い森へと手製の武器防具を装備して向かった。


(うぅ、緊張してきた……)


 レベルは『4』。ラシュトンと協力してグシオンと戦うには十分なレベルだ。記憶にある知識を元に自分は大丈夫だと言い聞かせるが、それでもこれから初めて戦うとなると緊張してしまうのは生きている人間として当然だろう。


(今日はいつもより森が薄暗く感じるな)


 それも緊張からだ。

 この森の入り口付近には、キーラは何度も足を運んでいた。

 木の実や薬草なんかを集めるためだ。

 甘い木の実は小腹が空いた時のおやつに。怪我をした時や腹痛になった時に使う薬草はこの世界で生活していく上で必需品。

 それらは森の入り口で手に入り、今もキーラの腰にある荷物袋の中には薬草から作ったポーションとして入っている。


「よし」


 準備は万全。できうる限り、持てるだけのアイテムを用意した。

 キーラは手作りの木剣を持つ手に力を込めながら森の奥に進んでいく。ゲーム内でもそうだったように、森の奥、グシオンが縄張りにしている場所までは目印となる者がいくつか用意されていた。

 ゲーム内では不自然だったソレは人があまり立ち入らないとはいえ温暖な気候のフラルタリア王国では見掛けない毒々しい赤色の花。

 これは、グシオンのような魔力の影響を強く受けた魔獣や悪魔の力を糧にして咲く悪魔の花だ。

 悪魔や魔獣討伐の際にはこの花を目印にして探索し、そして花の大きさによって力の強弱を図る。

 その知識があるキーラは迷うことなく森の奥を進み、半日もしないうちにグシオンの住処へと辿り着いた。

 住処と言っても、村人の大切な物――装飾品や家具、そして家畜を集めただけの場所だ。

 木々に囲まれた森の奥、その地面には木々の隙間から差し込む陽光を反射して煌めく装飾品が適当に置かれ、木製の食器などが乱雑に転がされている。

 問題なのは家畜だ。


「……ぅっ」


 魔獣にとって、食料となるのはモチーフになっている悪魔の能力源。グシオンなら『人間の大切な物』を奪い、手元に置いておくことだ。

 必然、自由気ままに動き回る家畜は邪魔でしかなく――グシオンは奪った数十頭にもなるピッグを一匹残らず殺していた。殺したまま、食べる事なく地面に転がしている。

 あるピッグは腹を裂かれて内蔵を零し、あるピッグは首を刎ねられ、あるピッグは放置されている死体に虫が集り始めている。

 ゲーム上でも映像として表現されていたが、しかし現実となれば感じるものも違ってくる。

 データ上の物語を盛り上げる演出と現実に起きた惨劇の差は衝撃的で、キーラはしばらく指一本すら動かせずに立ち尽くしていた。


(あれが悪魔)


 今まで感じていなかった“冷たい物”が心に生まれる。

 キーラはグシオンの住処の前で呆然と立ち尽くしたまま、しばらく何も行動に移せなかった。

 幸運だったのはグシオンの姿が無い事だ。

 餌場の下見に行っているのか、騎士の気配を察したのか。


(ゲームだとどうだったんだっけ?)


 キーラは混乱していた。

 家畜の死体の山という光景はこの世界を“ゲームの世界”だと思っていた彼にとって衝撃的過ぎた。

 途端に、手に持っている不格好な木剣と木の盾が頼りないものに思えてきてしまう。

 そしてそれは、突然だった。

 反応出来た事は幸運以上の奇跡。

 額に滲んだ汗を拭こうと木の盾を持っていた左腕を上げた時、木の上から侵入者の様子を伺い、隙を狙って襲い掛かったグシオンの爪を偶然にも防いだのだ。


「ひっ!?」


 キーラは引き攣った悲鳴を上げ、左腕に力を込めて攻撃者を弾き飛ばす。

 一メートルにも満たない、けれど猿というには二回りほど大きな巨体。焦げ茶色の体毛に、手は皮膚が厚くなって黒く染まっている。

 猿とゴリラを混ぜたような姿だが、その瞳だけはまるで血か紅玉でも溶かし込んだかのような深い赤。

 その瞳と目が合うと、金縛りに遭ってしまったかのようにキーラは動けなくなってしまった。

 殺意と敵意に満ちた瞳だ。キーラの人生で、向けられたことのない感情を孕んだ瞳だ。

 キーラは生唾を呑み込み一歩下がるが、すぐに背中が大きな木の幹に当たった。

 その衝撃が、キーラの意識を現実に引き戻す。固唾を呑んで、覚悟を決める。

 逃げ道は無いのだと、背中に感じる木の幹が告げているような気がした。


「グゥルルルル」


 木の盾で吹き飛ばされたグシオンは空中で器用に体勢を整えて木の幹に掴まり、キーラを睨みつけながら狼のような低い唸り声を上げた。


「う、お……これが魔獣、か」


 ゲームだと自分より小さな猿で、すばしっこいのとアイテムを盗んでくることが面倒なだけだった魔獣。

 けれど現実に相対すると、その大きさは明らかな脅威となってキーラを威圧していた。


「よ、よし」


 キーラは緊張しているけれど、負ける気はしていない。

 先ほどの一撃。猿とはいえこれだけの巨体からの攻撃だったというのに、盾で受けた左腕はなんともないことに気付いたからだ。


(全然効いてないっ。俺の防御力なら大丈夫だっ)


 心許ない木の盾も、グシオンの一撃を受けたというのに小さな傷がついた程度。

 ゲームには武器防具に耐久度が設定されていたが、それはどの装備にも平等だ。平等に“耐久度が残っているなら壊れない“。


「グシオンっ、家畜の仇だっ!」


 いまだ木の幹に抱き着いたままのグシオンに向かって突撃。

 キーラは手作りの木剣を振り上げるが、その間にグシオンは場所を移動した。振り下ろすと、木剣は勢いよく木の幹を叩く。


「あ、あれ?」


 木の幹を蹴って別の木へ移動。

 戦い慣れていないキーラはその動きを目で追えず、それは正に目の前で消えてしまったかのようにキーラには映った。

 見失った猿の魔獣を探して周囲を見回している間にグシオンは別の期の高い位置まで登り、枝を使って体勢を整える。

 場所はキーラから見て右側。その位置からは、グシオンが居ない周囲を見回すキーラの姿が丸見え。

 その隙だらけの姿を一瞬だけ観察し、グシオンは木の上から音を立てないように落下。

 猿がするにはあり得ない、爪を伸ばして今度こそと頭部を狙った必殺の一撃がキーラの頭部めがけて振り下ろされた。

 確かにその一撃はキーラの頭部を捉え、彼は頭上からの一撃に膝から崩れ落ち、顔面を地面に伏せる。


「いってぇ!?」

「グギャ!?」


 驚いたのはグシオンだ。

 それは鍛えた騎士でも必殺となる一撃だったはずなのに、キーラは「痛い」と言いながら頭を上げる。

 死ぬどころか、気絶すらしない。強いて言うなら、キーラにしか見えないHPバーが二割ほど減った程度。

 頑丈という言葉では足らないその異常さにグシオンは驚き、キーラはようやく傍に降り立ったグシオンを捉えて木剣を横に薙いだ。

 動体視力に優れるグシオンだが、仕留めたと思った相手からの反撃に驚いてその攻撃を腕で防いでしまう。

 すると、不格好な木剣はグシオンに右腕の骨を砕き、人間と比べれば小柄なその身体を吹き飛ばした。


「グギャアア!?」


 すごい勢いで木の幹にぶつかり、魔獣グシオンが悲鳴を上げる。

 その声で完全にグシオンの気配を捉え、キーラはもう一度攻撃。さっきは避けられた、見え見えの上段からの振り下ろし。

 けれどグシオンは傷の痛みで動けず、避けられない。

 その一撃は木剣というにはあまりにも強力だった。グシオンの頭はザクロのように潰れ、肉片を飛ばし、周辺を地に染める。

 もちろん、殴った本人であるキーラの頬に持ち肉が飛び、彼は慌ててグシオンの死体から数歩離れた。


「うおっ!? く、クリティカルってやつか……?」


 自分でも驚くほどの威力に頬を濡らすグシオンの返り血すら気付かないでいると、離れた場所から拍手の音が響いた。


「素晴らしいな。先に戦っている者が居るからと観察させてもらったが、悪くない動きだったぞ、少年」

「え、えぇ?」


 そこに立っていたのは一緒にグシオン退治をするはずのラシュトンだった。

 すぐ後ろには、背後を守るようにして二人の騎士の姿もある。こちらは兜を外していた顔は見えない。


「いつからそこに?」

「君がグシオンの巣を見つけて、立ち尽くしているところからだが?」

(最初からじゃん!?)


 だったら一緒に戦ってくれたらよかったのにとキーラは思ったが、それは口に出さなかった。

 何故かラシュトンは上機嫌で、これからストーリーを進めるなら機嫌を損ねない方が良いかな、と思ったのだ。

 ゲームでは、主人公とラシュトンの付き合いは長くなる。

 序盤ではお助けキャラ。中盤以降はパーティメンバーとして。進め方によって複数存在するラスボスの半分以上に通用する能力を持っているのだ。

 この世界での生き方を考えた時、キーラの中では最終メンバーの候補に挙がっている。

 なので、ここでの選択肢――会話で好感度がどう変動するかが大切だとキーラは考えていた。


「剣は、誰かに師事したことがあるのかい?」


 ラシュトンは周囲の警戒を二人の騎士に指示し、キーラにいくつかの質問をした。

 戦い方はどうやって学んだのか、魔獣が怖くなかったのか、などだ。

 キーラは戦い方なんか教わっていないし、魔獣と戦うのは怖かった。けれど。


(ステ差のおかげか、少し痛い程度だったんだよな)


 途中から怖さは消えていた。

 流石に『ステータスが見える』なんてことは言わなかったけれど、ラシュトンからの質問には本心で答えるキーラ。

 それに満足したのか、二人の騎士が周囲の警戒を終える頃には、ラシュトンの興味はキーラから移っていた。


「家具や装飾品などは、後で村人に取りに来てもらうことになるが……君が居れば森の道中も安全だな」

「ど、どうでしょうか」


 確かにグシオンは倒せたが、戦ったのは一匹だけだ。それに、自分じゃなくて村人を襲われたら今のキーラのレベルでは守れるか怪しいとキーラは思う。

 というか。


(さっきの戦い方って、そんなに強そうに見えたのかな?)


 キーラとしては、グシオンの動きは全然見えなかったし、攻撃が当たったのは運が良かっただけとしか思えなかった。

 けれど、それでラシュトンの好感度が上がるならいいかと、変に訂正しない方が良いだろうと黙っておく。


「そうだ。君は今、何歳かな?」

「俺……自分は十六です」

「はは。堅苦しい言葉遣いはいいよ――」


 そこからはトントン拍子に話が進んだ。

 記憶にあるゲームのメインストーリーと変わらない。

 魔獣討伐の技術を見込まれたキーラはラシュトンから騎士学校へ入学することを勧められる彼の父親が治める土地で三年前に発見された『ダンジョン』。

 そのダンジョンの上に造られた最も新しい『迷宮都市』の騎士学校へ。

 入学するのはまだ数か月先。他の生徒達の進学と合わせて、外部からの編入という形だ。


(やった)


 その日の夜、キーラは家のベッドの上で何度も寝返りを打ち、自分の記憶……ゲーム知識通りに物事が運んだことを喜んだ。


(やっぱり俺の知識は間違っていないんだ!)


 そして、主人公もまた舞台に向かう。

 脇役と主人公が出会うのは、メインストーリーが始まるのは、もう少し先である。



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