第3話 お嬢様、家を出る
それからさらに年月は流れ、セレスティアはこの国で成人となる十六歳に成長していた。
少女から女性へと変わり始める時期。
その美しい成長を本来なら喜ぶべきなのだろうが――六年という歳月を経ても英雄への憧れが色褪せていないセレスティアの姿に、彼女の父親は頭を悩ませる日々。
英雄などという物騒な夢ではなく、もっと女の子らしい夢を持ってほしいと思うのは、悪童ぶりに頭を悩ませていた頃からするととても幸せな悩みだろう。
そんな父親の苦悩はさておき。
セレスティアにとって、今日はとても重要な日だった。
本来なら十歳になった時に通うはずの学校施設。
六年遅れだが、“悪童”セレスティア・アーウェインは他の学生が中等部から高等部へと進級するのに合わせて、高等部への進学を許可されたのだ。
それも、新設されたばかりの『アーウェイン騎士学校』。
三年前に発見されたアーウェイン領内の『迷宮』上に作られた迷宮都市『アーウェイン』に新設された騎士の学校である。
騎士とは国に忠誠を誓い、あらゆる難事から国を支える民を守る者を指す。
同時に、『迷宮』から悪魔が溢れ出ないようにするのも騎士の仕事の一つであり、『迷宮』がある各国の王都には騎士学校が設立されている。
アーウェイン領の学校も同様の理由だ。
ただ、各国の学校には『迷宮』での拾得物を独占するために自国の生徒を多く抱え込んでいるのだが、新設されたばかりのアーウェイン騎士学校には各国からの生徒が均等に入学している。
その理由は、アーウェイン領が属するフラルタリア王国にだけ『迷宮』が二つあるのは不公平だと他国が難癖をつけた結果だ。
結果、『四つ目の迷宮』には各国から人が集まり、ある意味で迷宮都市『アーウェイン』はどの国の王都よりも栄える大きな街へと変貌を遂げつつあった。
先週、学校への入学許可証が屋敷に届き、セレスティアは旅立ちの準備を整えていた。
「お父様にも困ったものだ」
母親が管理する花壇がある屋敷の中庭で、木剣を手に持つセレスティアはそう呟いた。
剣の腕に自信を持つレスティアは僅かに男勝りな口調を使い始め、それが凛々しい彼女にはよく似合うと専属の付き人であるアスカは訓練の準備をしながら思う。
彼女もまた、セレスティアに合わせて木剣……いや、片刃で反りのある木刀を手に身体を解していた。
纏っているのは黒いワンピースドレスと、白いエプロンというメイド服。
頭にはフリルで飾られたカチューシャがあり、それが彼女の黒曜石のように深く黒い髪によく映えている。
身長はセレスティアよりも頭一つほど高い長身。全体的に細身だが胸やお尻といった所は年相応に成長していて、セレスティアが華のように美しいと表現されるなら、アスカは人形のように綺麗と表現される。
しかし、その綺麗な彼女の手には武骨な木刀が一振り。その手によく馴染んでいるように見え、ロングスカートのまま屈伸をする動きに淀みはない。
身体が成長したセレスティアにとって、素振りだけを繰り返す日々は退屈になり始めていた。
どれだけ体の使い方を考えようとも、木剣を持つのは自分一人。試す相手が居ない事に気付いた時、アスカが剣の訓練に参加し始めたのだ。
最初は長い年月を訓練に費やしていた経験で勝っていたセレスティアだったが、アスカが持つ剣の才能はセレスティア以上。
たった三年で互角以上にまで成長し、今では良き訓練相手となっている。
しかし、セレスティアはその事に嘆くことはなかった。
むしろ嬉しいとすら感じている。
幼い頃から使っている厚手の運動着のままアスカへ向けるセレスティアの表情は、柔らかな笑顔。
才能の差を嘆くようなことも無い。ただ、嬉しかった。
剣を振る相手が居る事が。競う相手が居る事が。一人ではない事が。
セレスティアは身体を慣らすように何度か素振りを行い、身体の調子を整えてからアスカに向き直った。
「お昼からは馬車に乗って迷宮都市へ出発するというのに……毎朝の訓練は欠かさないのですね」
「もちろん。どうにも私には才能が無いようだからな。無いなら、ただひたすらに木剣を振るしかないだろう?」
そんな事は無いと、アスカは思う。
確かに、今では剣の腕はアスカが上だ。最近では、勝率もアスカの方が高い。
けれど、アスカは、セレスティアには自分に無い才能があると確信している。
三年間、たった一人、休むことなく素振りを続けた努力。それはきっと、アスカは自分には不可能な事だと思っていた。
相手が居ない、たった一人での素振り。一時期はそこに剣の師匠であるシェザリエの姿があったとしても、それをずっと継続できる事の、なんと尊い事か。
しかしそれを口にしても、セレスティアは『当たり前』の事と受け止める。
彼女にとって訓練とは何一つ苦ではなく、今なお憧れる『絵本の英雄』に近付くための努力でしかない。
努力の全部が報われるとは限らない。無為に帰す事だってある。
それでもセレスティアは今でも英雄を信じ、自分はその道を歩みたいと考えていた。
それが、途方もない苦難の道だったとしても。
奴隷として売られ、この家に引き取られたアスカは知っている。
自分を僅かな金の代わりに売ったのが両親であり、そんな両親が生きるこの世界に英雄などという存在など居ないのだと。
物語の中で語られる悪逆非道から弱者を救う存在。
そんな存在など、存在しないのだと。
けれど。それを口にはしない。
こうやって夢を追いかけるセレスティアの姿は尊くて、美しくて、眩しくて。アスカは、そんなセレスティアの事が大好きだったから。
だから、その夢がどんな形で果たされたとしても、傍に居たいとアスカは強く思う。セレスティアの夢が英雄なら、アスカの夢はそんなセレスティアを支える事だった。
「疲れを癒すというのも大切だと思いますが」
そう言う声音には、しかし呆れや怒りといった感情は宿っていない。
アスカもまた、こうやって日課である訓練を楽しみにしているのだ。奴隷として売られていた自分を買い取ってくれたのはセレスティアの父親だが、彼女が主人と仰ぐのはセレスティアである。
その主人の役に立てる。
幼い頃からセレスティアはアスカに助けられてばかりだが、アスカにとってはそれでも恩を返しきれないと思っていた。
奴隷ではなく一人の人間と扱われ、口には出していないが屋敷の使用人や近隣の村に住む同年代の子供達の誰よりもセレスティアはアスカを信頼し、大事にしてくれている。
セレスティアが困った時、どうしたらいいか分からない時、真っ先に相談するのはアスカだった。
アスカもまた、そんなセレスティアの信頼が嬉しかった。
こうやって剣を覚えたのも、セレスティアが一人で寂しそうにしていたからだ。
ただ、一緒に剣を交える事が出来れば満足だった。けれどアスカには剣の才能が有り、それはセレスティア以上だったというだけ。
嬉しい誤算だ。
強くなったアスカは、今まで以上にセレスティアから必要とされるようになった。信頼されるようになった。
そしてこうやって、訓練の相手をする事が出来る。
それが嬉しくて、しかし表情はいつもの無表情のまま、アスカは木刀を構えた。
左足を引いて、身体は正面を向く。木刀を両手で持ち、左手が臍の前あたりへ来るように。
正眼の構えとされる、剣術の型。
剣術を知らないアスカだったが、屋敷で働き、貯めたお金で購入した剣術の本をセレスティアと一緒に読みながら勉強したのだ。
セレスティアは木剣を。アスカは木刀を。互いに構えて、向き合う。
「よろしくお願いいたします、お嬢様」
「お願いするのはこちらの方なのだけど……もう、貴女の方が私より強いのだから、もっと胸を張ればいいのに」
「……そうでしょうか?」
そんな事を言いながらも、その口調はどこか楽しげだ。表情も明るい。
それに釣られて、アスカも少しだけ、自分の気持ちが明るくなったような気がした。
乱暴者だった幼少時代を知っているからこそ、礼儀正しく木剣を向け合うという状況が少し楽しいのだろう。
それから、まるで剣舞のような打ち合いが始まった。
蒼穹の空の元、乾いた音が何度も打ち鳴らされる。木剣と木刀がぶつかって奏でられる音は春の花で彩られた花壇に囲まれながら勢いを増していき、徐々にその間隔が短くなっていく。
その体捌きは、十六歳と十七歳の少女が行うには熟練されたもの。
動き易い服装のセレスティアは激しく動き、時に剣の間合いから外れ、時に小さな体躯からは信じられないような速さで間合いを詰める。
厚手のスカート姿で動き辛いアスカは最低限の静かな動き。足捌きは最小に、打ち込まれる木剣を弾き、弾き、弾き、僅かな隙をついて急所を狙う。
対照的な二人。
セレスティアはその小柄な身体からは信じられないほどの腕力で木剣を振るう。
一振りごとに空気が唸るような音を立てる様は、まさに剛剣。
アスカはそんな剛剣を正面から受けずに弾いて剣筋を逸らし、攻撃を避けては反撃の機会を狙う。
(相変わらず、攻撃が当たる気配がしないっ!)
(なんという剛剣。剣筋を逸らしているだけなのに右手がもう痺れてきた)
互いに呼吸の乱れを隠しながらの打ち合い。しかし内心では、お互いを誉めていたりする。
どちらも、自分には無い長所を持っている。それを嘆くのではなく尊重しながら二人の訓練は加速していく。
セレスティアは、アスカが正面から自分と打ち合うのを避けているのは、こうやって訓練を始めるようになってから、しばらく経って気付いていた。
純粋に、重いのだ。
小柄な体躯。細い腕。小さな拳――その見た目からは想像できないほど重い斬撃が放たれる。
それは受ける側の腕を痺れさせ、もしこれが真剣でまともに打ち合えば、アスカの刀はセレスティアの剣に最初の一合でへし折られてしまうだろう。
木剣と木刀だからこそ成り立つ打ち合い。むしろ、壊れ辛い木製の武器同士だからこそ、打ち合いによってアスカの手が痺れてしまう。
その痺れは訓練であっても致命的で、だからこそアスカはセレスティアとの正面からの打ち合いを避けてしまう。
それが分かっているセレスティアは力任せに正面から突撃し、全体重、足の運び、腰の使い、肩の運動、腕の振り――それらか全部の力を乗せて、木剣を振り下ろした。
「――っ」
その一撃は軌道を逸らすために放たれたアスカの木刀を弾き、その頭部を狙う。
しかしアスカは腰を落とし、木刀の打点を少し下げて直撃の時間を僅かに稼ぐと、その間に今度は半身になって木剣の一撃を完璧に回避した。
あまりの威力に一瞬後で空気が震え、アスカの前髪を揺らした。
必殺の一撃を避けられたセレスティアは小柄な身体が僅かに前のめりになり、踏み込んだ右足に全体重が掛かっている。
アスカは半身になった勢いを利用してそのまま回転。遠心力に引かれて黒のロングスカートが舞い上がる様は、まるで黒い一輪の華。
その勢いを乗せた木刀を横に薙ぎ、セレスティアが木剣を引き戻すより速く、セレスティアはその細い首筋に木刀の切っ先を添えた。
「相変わらず、物凄い踏み込みです」
「まだまだよ。避けられてしまったら、こうだもの」
アスカはセレスティアの必殺の一撃を称賛し、けれどセレスティアは苦笑しながら勢い余って地面を力強く叩いた木剣から手を離し、首筋にある木刀の切っ先を指で叩いた。
「当たったと思ったんだけどなあ」
「咄嗟に避ける事が出来ました」
木剣を手首を支点にくるりと回しながらセレスティアがぼやくと、顔色一つ変えずにアスカはそう言った。
むしろ、避けていなかったら実家を出て騎士学校へ向かう門出の日に親友とも呼べるメイドの頭をカチ割ってしまっていたかもしれないのだが……そこはお互い、長年一緒に訓練している間柄。
絶対に当てるつもりだったが、アスカなら避けるか耐えるかするだろうという信頼があった。
実際に避けられて、しかも負けてしまったのでセレスティアとしては何とも複雑な心境だったが。
「嬉しそうですね?」
「そう?」
「これで十一連敗だというのに、笑顔なのですもの」
「ぅ……貴女、最近は少し意地悪よね」
優に千を超える数の訓練、毎日続けている打ち合いで最近は連敗中だったが、しかしアスカが言うようにセレスティアの表情は嬉しそうだった。
「ええ。これからもっと沢山の人とこうやって剣を交わし、切磋琢磨していけるのだと思うと、今から楽しみだわ」
「そうですか」
木剣を握っていた手を軽く振って、叩かれた時の痺れを和らげながらアスカが言う。
騎士学校で重点を置かれるのは二つ。武術と学業だ。
剣や槍、武器は何でもいいので悪魔と戦える技術。
国を守る騎士として恥ずかしくない生き方をするための知識と礼儀を身に着ける学業。
その両方が出来てやっと、騎士学校への入学が許される。
幼い頃から振り続けた自分の剣が、他の同年代の少年少女にどこまで通用するのか――そう考えると、実家を出て生活することになるという不安よりも、期待の方が大きかった。
「ではお嬢様、出立の準備を始めましょう」
そうやってこれからの未来に思いを馳せるセレスティアに、アスカは苦笑しながらそう告げた。
とたん、明るかったセレスティアの表情に僅かな影が差す。
心なしか、その細い肩も丸まって、小さな身体が余計に小さく見えてしまいそうなほど。
「う……このまま出発していいのではないか?」
「駄目です。屋敷の使用人一同、お嬢様の出立を心よりお祝いしたいのですから」
「うぅ」
そう言われると、周囲への感謝を忘れないセレスティアは断れない。
彼女は肩を落とし――けれど表情は悲しいというよりも恥ずかしさを含んだソレで、自室へと移動した。
待っていたのはアスカよりも年上の、二十代から三十代の女性使用人たち。
その数は六人。
彼女達は綺麗に並んで一礼すると、セレスティアへ柔和な笑みを浮かべた。
「では、私は自分の準備がありますので」
「えぇ、お前も一緒じゃないのか?」
「お嬢様……人前でそのような口調をしていては、旦那様に怒られてしまいますよ」
最後にそう言い残して、アスカはセレスティアの私室を後にした。
残ったのはまだ少し恥ずかしそうなセレスティアと、六人の使用人たち……。
「それではセレスティアお嬢様、最初で最後となってしまいましたが、お召し物の着替えを手伝わせていただきます」
「……自分で出来るのに」
「貴族というのは本来、着替えから入浴まで侍女に手伝わせるものですよ」
そういう知識はちゃんと知っていたが、今まで自分で着替えていたし、面倒なドレスだけはアスカに任せっぱなしだった。
出立の日だからと、最後に着替えを手伝わせてほしいと言われると、それに慣れていないセレスティアは恥ずかしくてたまらなかった。
だが、それが貴族としての流儀であるなら、受け入れるしかない。
運動用の衣服を丁寧に脱がされ、それどころか汗で汚れた下着すら取られた時は少し声を上げてしまったが、逃げ出そうとはしなかった。
清潔なタオルと人肌に温められた水で洗身され、新しい下着を履き、今日の日のためにと両親が用意した青いドレスを身に纏う。
イヤリングやネックレス、腕には肘まである白手袋を嵌め、最後に化粧を施されて終了。
私室のあまり大きくない姿見の中には煌びやかな装飾品と綺麗な化粧で飾られた、セレスティアが見たことのない自分が映っていた。
「これが私?」
「はい」
「口紅なんか引いたの、初めてだ」
「…………」
年頃の女性としてそれはどうだろうと侍女一同は思ったが、口には出さなかった。
彼女達もセレスティアが英雄に憧れ、日々木剣を振っているのを知っていた。
素材は悪くない――というよりも物凄く良いのだ。化粧一つで、まるで別人のように美しくなったのが良い証明だ。
この片田舎の屋敷の中では夢を追いかけるだけだったが、これから屋敷を出て広い世界を知れば、自ずと化粧で自分を飾る意味……いつかどこの馬の骨とも知れない男に恋をするのだと思うと、侍女たちは少し目頭が熱くなる思いだった。
「ありがとう。自分でも驚いた――驚きました」
「これからは今までのようにご自分の素顔を他人に見せるのはお控えくださいね?」
「駄目なのですか?」
「化粧とはセレスティアお嬢様を美しく魅せるだけでなく、その素顔を隠すか面でもあるのです。素顔を見せていいのは、心を許した相手にだけと心得てください」
そういうものなのか、と。
よく分からないまま、セレスティアは使用人たちの雰囲気に圧されて頷いた。
ちなみに、セレスティアの中では『心を許した相手』とはアスカを始めとする屋敷に住む者たち、そしてアーウェイン領の民である。
そして使用人たちの中では、いつかセレスティアが出会うであろう運命の男性の事を指しているという違いがあるのだが――この場で気付く者は誰も居ない。
「はい、わかりました。ご教示、ありがとうございます」
「いいえ、いいえ。うぅ、お嬢様……」
セレスティアが感謝の言葉を口にすると、六人の使用人たちはついに泣き出してしまった。
美しく成長したセレスティア。最初は悪戯ばかりをする悪童だった彼女が、美しく成長して屋敷を出ていく……それが進学の為だと分かっていても、いつの間にか彼女を実の娘のように想っていた彼女達は悲しかった。
永遠の別れというわけでもないのに。こうやって着付けや化粧を手伝ってもらうのも、別に最後というわけではないけれど。
この、物凄く悲しい雰囲気というのがセレスティアは苦手で、出来れば運動着のまま出発したかったのだ。
……悲しんでくれるかもとは思っていたけど、まさか泣かれるとまでは想像もしていなかったセレスティアは困ったように固まってしまう。
「お嬢様、お着替えは……?」
すると、まるでセレスティアが困っているのを感じたかのように、資質のドアが控えめにノックされた。
聞こえてきたのはアスカの声だ。
「え、ええ。アスカ、入ってちょうだい」
「? 失礼いたします」
セレスティアの困った声に困惑しながら出発の準備を終えたアスカが入室すると、ようやく使用人たちは涙を拭いて嗚咽を呑み込んだ。
流石に、使用人の中で一番若いアスカに泣き顔を見られるのは躊躇いがあるらしい。
そのアスカは、着ているのは今までと同じメイド服――だが、出発の為に新調した者だろう。生地が真新しい。
手には大きな黒いトランクケースが一つ。
セレスティアが迷宮都市『アーウェイン』へ進学するのに合わせて、アスカもセレスティアの身の回りの世話をするために付いて行くことになっていた。
いくらこれからは学生になるとはいえ、セレスティアは『迷宮』のある土地を管理する貴族の一人娘。
従者の一人も付けずに居るというのは、貴族としての体面など、いろいろと問題があったのだ。
そういう物はあまり好きではないセレスティアだったが、アスカと一緒に居られるのであればと喜んで受け入れた。
「まだ準備は……」
「いいえ。こちらがセレスティアお嬢様のお荷物よ、アスカ」
使用人の一人がアスカの持つカバンよりもしっかりした造りの物を、こちらは三つ、手に持って立つ。
「お荷物の方は馬車の方へ運んでおきます」
「ええ、ありがとう。本当に、良くしてくれて」
「勿体無いお言葉です」
最後に深く一礼して、六人の使用人たちはセレスティアの私室を後にした。すれ違い様に、使用人の一人がアスカの荷物も運んでくれる。
残される形となったセレスティアとアスカも、少ししてから部屋を後にしようとした。
セレスティアは最後に、しばらくの間留守にする私室の光景を目に焼き付けるようにじっと見る。
「お嬢様。寂しいですか?」
「ええ。こんなにも良くしてもらって、私は果報者だわ」
気を引き締めて武術に励み、学業に集中しなければ。
セレスティアは強く、自分にそう言い聞かせた。
こんなにも良くしてくれた、自分に優しくしてくれた、家族のような人たちの期待を裏切ってはならないと思うと、胸の奥が温かくなる。
「あ」
しばらく部屋を眺めた後、体質しようとしてとても大切な事を思い出した。
迷宮都市までもっていくかどうか、最後まで悩んでいた物だ。
何度も読み返し、その内容の殆どを暗記してしまった『セレスティア・アーウェインの原点』とも言える前三巻からなる書物。
いつも枕元に置いている、何度もページをめくったことで擦り切れている絵本を、セレスティアは胸に抱いて部屋を後にした。
『ヴァデルハイトの英雄譚』。
セレスティアの根幹。今までの世界を崩壊させる原因。
その絵本を胸に、セレスティアは舞台に進む。
――ヴァデルハイトはドラゴンを倒し、その奥へと進みました――
――村人を苦しめていたドラゴンが守っていたものは、人間たちの宝物でした――
――ドラゴンにとっては価値の無い、人間が大切にしていたから奪った物――
――その中に、彼女は居ました――
――村人の一人。ヴァデルハイトに優しくしてくれた女の子です――
――ヴァデルハイトは火傷を負い、傷だらけになりながら少女に近付きます――
――「ありがとうございます」――
――少女は傷だらけのヴァデルハイトを見ても怯えず、感謝の言葉を口にする――
――その言葉に、ヴァデルハイトは胸の奥が温かくなりました
――「行こう。僕達は自由だ」――
――ヴァデルハイトは少女の手を引き、洞窟を後にしました――
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