第2話 お嬢様、鍛える


 セレスティアが絵本の英雄に憧れるようになってから、三年という月日が流れた。

 十三歳になったセレスティアは小柄だった身長も少し伸び……やはり同年代の少女よりも頭一つほど小さいが、それでもその身体は女性らしい丸みを帯び始める年頃。

 元々から整っていた容姿は可愛いから綺麗へと変わり、美しい金色の髪は腰まで届くほどまで伸びていた。

 本当は邪魔なので切ってしまいたかったが、しかしそれは屋敷に勤める使用人たち、そして両親に止められていた。

 折角綺麗な髪なのだからと誰も彼もから言われてしまうと、セレスティアとしても折れるしかなかったのだ。あと、今まで相手にされていなかった周囲から髪だけとはいえ「綺麗」と言われて嬉しかったというのもある。

 なので今は、髪は邪魔にならないよう首の後ろで一括りに纏めている。

 身に着けているのは、運動の邪魔にならないようにと父親に頼んで購入してもらった伸縮性のある厚手の服。

 十三歳の少女が着るには色気が無いと感じるだろうが、元の素材が良いセレスティアには不思議なくらいにその地味な厚手の服は似合っていた。


「今のは力が入らなかったわね。今度はもう少し腕を畳んで――」


 成長した彼女は毎朝の日課である木剣の素振りを行っていた。

 時間はまだ早い。太陽が昇り始める前の時間帯。

 大地から溢れ、大気に混じった魔力によって灯る街灯『魔力灯』の淡い白色の明かりに照らされる屋敷の庭の片隅で毎朝。

 最初は十回で音を上げていた素振りも、今では三百回という途方もない数をこなせるほどに身体が成長していた。

 ちなみに、それを毎日である。雨や雪の日は屋内でだが、しかしセレスティアは素振りを毎日三年間、行い続けた。それを、早朝だけでだ。

 この後、時間が許せば日中にも素振りを行うので、正確には毎日何百回の素振りを行ったかは本人も理解できていない。

 こうやって身体を鍛えるというのは、彼女の性格に合っていた。

 すぐには結果が現れない。

 けれど、鍛えれば鍛えただけ、身体は強く、しなやかに成長するのだと実感した。

 最初は十回しかできなかった素振りの数が日に日に増えていき、全力で走れる距離が伸びていく。

 そんな日々が一年と続き、二年と続き、最初は数日で飽きると思っていた両親も彼女への態度を改めるようになった。家族との会話が増え、使用人たちと挨拶を交わすようになり、独りだったセレスティアは徐々に周囲の人達と打ち解けていった。

 大人しくなったセレスティアに彼女の父親は王都から彼女の人生において剣術の師と呼べる女性を呼び寄せた。

 まだ若い、駆け出しの二十代。無名だからこそ仕事を選べずにこのような田舎にまで来た女性。

 剣の腕は確かだが、しかし女性ともなれば剣術の世界では見下されてしまうもの。

 後にセレスティアの両親が土地を収めるフラルタリア王国にて、女性初の騎士団長へ上り詰める事となる『シェザリエ・カームベル』その人である。

 彼女に二年間師事し、剣、槍、弓という技能の基礎を身に着けた。

 セレスティアは、シェザリエが『武芸を教えるのが楽しい』と思えるほどの才能を有していた。

 いや。

 セレスティアの場合は、僅かな才能と、惜しみない努力。

 こうやって大人も寝入っている時間から起き出しては素振りや勉学の復習を行い、少しずつ、けれど着実に教えられたことを吸収していった。

 一つの事を覚えれば次。そしてその次へと、教えてもらえる事、自分に出来る事が増えていく。

 それが楽しかった。

 自分勝手に走り回るのではない。

 教えを乞い、吸収し、成長し、褒められる。

 彼女は、褒められるという事が楽しかった。

 もっと褒められたいと頑張った。

 絵本の中の英雄がそうであったように、ありがとうという言葉は我儘だった彼女の心を温かくしてくれた。

 その気持ちが背中を押し、三年という月日を頑張る事ができた。

 それと同じくらい、全身の筋肉が強張るほどの疲労感に包まれながら眠る感覚というのも、彼女は大好きだった。

 体力が有り余っていた子供時代。

 他人へ意地悪をしながら屋敷の中や近隣の村を駆け回ったのも、心地良い疲労を感じるためだったのかもしれない。

 そんなシェザリエも先月に契約が完了し、この屋敷を去っていった。

 残されたのは、彼女との剣術修行に使っていた木剣ただ一振り。

 セレスティアは人に教えを乞う楽しみを知り、そしてこうやって一人で木剣を振る事の寂しさを知った。

 屋敷には、いや、このアーウェイン領には剣術に明るい人物がいなかったのも、セレスティアが寂しさを感じる一因だ。

 剣とは、彼女にとって会話そのものだった。

 言葉が使えないというわけではない。

 例えるなら、肉体との会話。

 剣の一振りで腕の調子、拳の具合、足の運び、腰の使い方。自分の肉体で自分すら理解できない事が分かるような気がした。

 それは、相対する相手にも同じこと。

 剣を合わせれば、師であるシェザリエがどのような調子か、そして何を考えているのかがなんとなく分かったような気がしてセレスティアは気持ちが良かった。

 言葉なんかよりも剣を合わせる方がよっぽど相手を理解できると、そう感じたのだ。


「もっと手首を固めて、腕の力で振ったほうが力強いかしら?」

――毎日同じことを続けて、飽きないのかしら。


 以前、使用人の一人が毎日素振りを続けるセレスティアの事をそう言っていた。

 同じ?

 違う。同じなどではないとセレスティアは反論した。

 剣を振る速さ、振る角度、握る力加減、踏み込みの位置。

 剣は、彼女が理解する以上にセレスティアの肉体の状態を教えてくれる。

 最良の一撃を。最高の一撃を。

 “絵本の英雄”を目指すようになってから毎日、彼女は模索し続けているのだ。

 ……もちろん、剣術に詳しくない、毎日ただ素振りしているだけと感じている使用人たちからは何も理解してもらえなかったが。

 それでも、同じことを毎日続けるという『努力』は認めてもらえた。

 今では時折、差し入れを用意してくれる時もある。


「ふう……アスカ、待たせてしまってごめんなさい」

「いいえ、私の事はお気になさらず」


 日課である三百回の素振りを終え、セレスティアは汗を流しながら木剣を収めた。

 その言葉を口にすると、素振りをするセレスティアの邪魔にならないよう離れた場所に待機していたメイドが駆け寄り、セレスティアに清潔なタオルを手渡す。。


「少しお腹が空いてしまったわ」

「そうお言いになられると思いまして、冷たいお水と、昨夜に残っておりましたパンを一つ」

「あら、ありがとう」


 汗を拭くタオルを持つのとは逆の手で、セレスティアは時間が経ち、硬くなったパンを受け取った。

 焼きたてならば指が沈み込むほどに柔らかいロールパンだが、一晩も経てば硬くなってしまっている。

 けれど、そんな事は気にせずにセレスティアは貴族の淑女がするには少々はしたなく、立ったまま大きく口を開けてパンに嚙り付いた。


「うん、ちょうど良い硬さね」

「そうでございますか」


 一晩経って硬くなったパン、というのをセレスティアは好きだった。

 風味は落ちるが噛めば噛むほど味が口の中に広がっていく。それに、焼きたての時とは違った味がするというのも不思議で、面白い。

 空気に触れて硬くなった部分が唾液で柔らかくなり、時間をかけて咀嚼する。

 武芸の師であるシェザリエが硬いものを食べて顎を鍛えるのも大事だと言っていたのも、彼女が固いパンを好きな理由の一つだ。

 顎を鍛えれば歯を食い縛る力が強くなる。

 歯を食い縛る事ができれば、最後の一線、それが剣であれ弁論であれ、負けそうになった時にほんの少し、ほんの僅かだが踏ん張れる。

 その踏ん張りが勝敗を分ける時もある、と。

 それがどういう形であれ、戦うのなら勝利を目指す。

 それが勝負というものだと教わった。

 セレスティアは、教えられたことに忠実だった。

 戦うなら勝つ。勝てない相手なら、歯を食い縛って勝てる方法を考える為だと。


「……もう一つないかしら?」

「だめですよ、お嬢様。朝食が食べられなくなっては旦那様に心配されてしまいます。それに、食材を提供してくださる農家の方々に申し訳ないです」

「ぅ、そうね」


 まだ空腹感は消えていなかったが、セレスティアはお腹を優しく摩りながら我慢した。

 そろそろ農家を営む大人たちが起き出すだろうという時間。

 幼い頃はあれほど何も感じていなかった農家の人たちに対しても、セレスティアは感謝の念を抱いている。

 自分が毎日しっかりとした食事を摂る事ができるのは、父親が収める土地で農業を営む村人たちのお陰だと理解したから。

 人間は一人では生きていけないと『ヴァデルハイトの英雄譚』にも書かれていた。

 それは何も、戦いの際に助けられるというだけではない。

 衣食住。そのどれもに沢山の人が関わり、そしてセレスティアは生かされているのだ。

 セレスティアは自分が服を作ることも、食事を用意する事も、住む場所を建てることも出来ない事を知った。

 服や食事が魔法のように何も無い場所から出てくるのではなく、材料を用意して、家畜を育て、時間を消費して……沢山の献身の上に作られているのだと知った時、また少しセレスティアの世界は広がった。

 人間は支えられ、支える事で、生きていく事ができる。

 それが感謝。そして、学ぶという事。

 セレスティアは勉強が苦手だった。

 知識を蓄えても、その全部が大人になった時に役に立つのかという疑問は今でも抱いている。

 けれど、勉強し、知識を身に着ける事で『自分に出来ない事』が分かり、自分に何が出来るのかを『考える事』が出来る事を知った。

 勉強嫌いで単調な毎日は嫌いだったが「英雄になるためには心身を鍛える事が肝要です」というメイドの言葉に従ったのだ。

 ちなみに、その言葉はセレスティアが愛読する『ヴァデルハイトの英雄譚』にも登場する。

 というか、絵本からの引用だった。

 一歳しか違わないのに聡明なメイドは、我儘ではなくなったが好き嫌いがある主人にやる気を出してもらうために、よく絵本のセリフを引用するようになっていた。

 セレスティアは勉強した。勉強をして身体も鍛えた。

 あと、今まで迷惑を掛けた使用人たちや村人たちにも頭を下げた。

 ごめんなさいと、何度も、何度も、最初は謝罪の言葉を疑っていた人たちが呆れるくらい何度も頭を下げた。

 傷付けてしまった人に許してもらうには、信頼してもらうには、頭を下げるべきだと絵本に書いてあったから。

 その言葉も、セレスティアにとってとても大切な物になっている。

 ごめんなさいとありがとう。

 それが、十三歳になったセレスティアの根幹となっていた。


「お疲れ様です、お嬢様。今日は少し早く終わりましたね」

「ええ。昨日、先生から頂いた宿題の復習をと思って」


 十歳の頃の悪童時代の彼女を知る者からすると、信じられない言葉だろう。

 いや、実際にはセレスティアは座学が好きではない。

 机に座って本を読み、文字を書き、勉強する。立派な貴族になるためと慣れない長いスカートのドレスを纏って複雑なステップを刻むダンスを踊らされる。

 テーブルマナーなど、その最たるものだ。美味しい物を温かいうちに食べるというのは料理を作ってくれた者、食材を用意してくれた者、なにより食材となった家畜への最大限の感謝だとセレスティアは思う。

 だというのに数種類のナイフから最適なものを選んで、複数のフォークから一つだけを使って料理を食べる。

 貴族のマナーというのは、なんと無駄の多い事か。

 それよりも身体を動かして鍛える方が性に合っていると思っている。

 だが。


「武芸に勉強、そして礼儀作法。どれも出来ないと英雄になれないなんて……英雄を目指すというのも大変なのよ」

「その通りでございます、お嬢様」


 汗を拭き終わったセレスティアからタオルを受け取ったアスカは彼女の腰まである美しい金色の髪をタオルで拭き、それが終わるとその足で自室へ。

 汗を吸った服を着替え、貴族らしいドレス姿に。

 アスカはセレスティアの着替えを手伝いながら洗顔用の水を用意し、ドレスへ着替えた後にしっかりと汗を拭く。

 身だしなみはしっかりと。

 踵の高いヒールを履きこなし、柔らかな絨毯の上を静かに歩く。

 彼女が学ぶのは武術や学術だけではない。

 貴族としての礼儀作法。挨拶や貴族の心得、女性としての立ち振る舞いもその一つ。

 自室でアスカに見てもらいながら貴族らしい歩き方というものを練習する姿は、とても貴族の令嬢には見えないだろう。慣れない踵の高いヒールを履いて歩く様子はたどたどしく、それでダンスを踊ろうものなら滑稽に見えてしまうだろう。

 けれど、誰もが通る道だ。

 こうやって修練を重ね、そして一人前になるのだと自分に言い聞かせながらセレスティアは頑張った。


(一人前の貴族。剣士。騎士……誰からも認めてもらえる英雄。その道のりは遠いわ)


 セレスティアは常にそう思う。

 絵本の中の英雄はただの村人から兵士、騎士、そして最後には一国の姫を娶り王にまで上り詰める。

 その過程に、沢山の努力があった。

 どれだけ武術に優れても、ただ強いだけでは人は付いてこない。

 地位や名声だけではなく、ちゃんとした身嗜みと礼儀作法があってこそ、人は人を尊敬できるのだと。

 だからセレスティアも努力を惜しまない。

 『ヴァデルハイトの英雄』のように、沢山の人に認められたいと思う。

 礼儀作法の復習を終える頃には、自室の窓から朝日の光が差し込み始めていた。

 それなりに長い時間を動いていたというのに、木剣の素振りの時とは違い、セレスティアの額には汗が浮いていない。

 動きは優雅に、けれど最小で。

 長い時間、息を乱さず、汗を掻かずに動くというのも社交界では必要なのだ。

 その教えを忠実に守りながら化粧台の前まで静かな足取りで移動すると、アスカに手伝ってもらいながら薄く化粧を済ませる。

 ここから、地方貴族セレスティア・アーウェインの一日は始まるのだ。

 優雅にドレスの裾を靡かせながら屋敷を歩くその横顔は、まるで絵画に納められる一瞬を切り取ったかのように美しい。

 背筋はまっすぐに伸ばし、顎は軽く引き、常に胸を張る。

 そうするだけで、アスカよりも頭一つほど身長が低い小柄なセレスティアだったが、実身長よりも背が高く周囲に見える。

 屋敷の使用人たちも、この五年間で見違えるほどに心身ともに美しく成長したセレスティアを見ると「あの悪童が」と溜息を吐くのではなく、「お嬢様、お綺麗になって」とまるで自分の娘の成長を喜ぶような気持ちになっていた。

 そして彼女の両親も。

 ある日突然、人が変わったかのように良心を取り戻した娘に驚いたし、その理由が父親の購入した絵本ともなれば、世の中何が起こるか分からないと僅かに混乱したほどだ。

 しかもそんな娘が「私、英雄になりたいですお父様」などと言い出したら、それなりに世界というか社会を知っている父親からすると、どうしたものやらと数日頭を抱えてしまった。

 成長したらセレスティアもこういう容姿になるだろ思えるくらいに、まるで姉妹のように顔の造詣が似ている母親は『あらあらまあまあ』と柔和な笑みを浮かべていたが。

 けれど、そこはセレスティアの両親である。

 あれほど手の付けられなかった娘がそう思うならと、今度こそまっとうな貴族として成長できるように教育を施した。

 本当なら武芸の修練は危険なのでやめてほしかったが、娘の言う事を聞く代わりにこちらの言う事も聞くようにと条件を付けて、語学や算術、歴史といった教師も用意した。

 田舎貴族の財政事情ではそれほど有名な学者は用意できなかったが、それでもセレスティアは一生懸命勉強した。

 これまでの時間を取り戻すかのように学び、復習し、その知識は同年代の貴族少女に劣らぬほど……というのは父親の身内贔屓だが、人並みの学力は手に入れた。

 武芸も――こちらは性に合っていたようで、並みの男子では歯が立たないほどだったが。

 ただ最近は、セレスティア本人はそう思っていなくても、長年彼女に勉強を教えてきた家庭教師たちの方が困っていた。

 教える事がもう無いのだ。

 質問されても答える事が出来ずに言葉をはぐらかし、後日、調べてからその質問に回答するという事が増えていた。

 教師として、それはもう……悲しい事だが、生徒が自分の手から飛び立ったという事の証明。

 ひと月ほど前から家庭教師一同がその事実を雇い主であるセレスティアの父親に伝え、セレスティアの父親はその事に喜び、同時にどうするべきかと家庭教師たちと話し合っていた。


「セレスティア」


 そんな家庭事情などつゆ知らず、今日も一日頑張ろうという気持ちで屋敷内を歩いていたセレスティアが、名前を呼ばれた。

 彼女はそのまままずは廊下の端へ移動し、それから声がした方へ向き直るとドレスのスカートを摘まんで半歩下がり、優雅に一礼。

 声の主は、そんな彼女の反応に少しだけ困惑した表情を浮かべた。


「おはようございます、お兄様。いつ屋敷へお戻りに?」

「昨晩遅くにだ。兄が返ってきたというのに気付かなかったのか?」

「申し訳ありません」


 無茶苦茶な絡み方だとセレスティアの背後に控えていたアスカは僅かに表情を曇らせたが、セレスティアは僅かも表情を変えずに謝罪の言葉を口にした。

 その反応に僅かな困惑の表情を浮かべ、セレスティアと同じ金髪翠眼の男性――今年で二十歳になる兄、ラシュトン・アーウェインは咳払いをひとつ。

 十歳の頃から王都の学校へ留学し、本来なら十六歳から入学できる騎士学校へ十四歳で入学。三年前に卒業し、十七歳という若さで由緒正しいフラルタリア王国騎士団へ入団した才媛。

 ちなみにそれは、最年少で騎士団に入団した記録としてフラルタリアのみならず、周辺国へも一時だが知れ渡ったほど。

 本来なら学校を卒業後は従騎士――格の低い騎士として勤めることになるのだが、ラシュトンは卒業後、そのまま正騎士として騎士団に入団してる。

 それは彼が騎士学校に在籍時、ある偉業を成していたからだ。

 騎士学校がある街にはダンジョンと呼ばれる迷宮が存在する。

 ダンジョンが見つかって三百年。その最奥にはいまだに誰一人として到達しておらず、そこにはどのような願いも叶える宝物があるとも、異界へ通じる道があるとも、悪魔の王が眠るとも噂される場所。

 その噂を裏付けるように、どういうわけかダンジョンの奥からは異形の“悪魔”達が溢れ、それらの体内からは希少な宝石や武具、用途不明の道具などが見つかるのだ。

 その道具は悪魔の体内から手に入る、もしくは悪魔自身が使っていることから悪魔の道具――『魔道具』と呼ばれるようになり、『魔道具』を回収するようになって地上に住む人間の生活は一変した。

 そして同時に、三百年が経った今もなお『未知の魔道具』が見付かることもあり、本当に最奥にはどんな願いも叶う道具があるのではと噂されている。

 セレスティアが住む屋敷の中庭にある“魔力灯”もその一つだ。

 製造方法は分からないが、長い年月をかけて使い方を学んだ『魔道具』と呼ばれる物。

 剣と弓矢で戦うような世界には不釣り合いな異物。

 それらはダンジョンに現れる“悪魔”から手に入れた技術であり、人間が学び、構築した知識から生まれたものではない。

 ラシュトンは騎士学校在籍時にダンジョン奥から現れた最上難度の悪魔を討伐し、ダンジョンから街へ這い出ようとした悪魔の群れを追い返したという実績があり、卒業後すぐに正騎士へと昇格したのだった。

 顔の造詣はどことなくセレスティアに似た中性的な美青年。身長は小柄なセレスティアが見上げなければいけないほど高く、セレスティアの頭が胸の位置までしかないほど。

 体格は長身ゆえに全体的に細く見えるが、しかし体幹がしっかりしていて服の上からでも胸板と二の腕が太く鍛えられているのがよく分かる。

 屋敷の中だからと気を緩めず、鎧こそ纏っていないが腰には意匠細かな長剣を吊っているのは騎士団の教えだからだろうか。

 そんなラシュトンは、五年前に見た時からは見違えるほどに成長した妹の姿をまじまじと見た。

 手入れがされていない乱れた髪に着崩したドレス。動き易さを重視した踵の低い靴に汗で汚れた顔。

 それが、兄が知る五年前の妹の姿だった。そこに礼儀作法など何も知らない乱暴者、という印象も加わる。

 しかし、三年ぶりに再会した妹はその髪へ丁寧に櫛を通し、顔は薄い化粧で彩られ、質素だが美しいドレスを着こなしているではないか。

 その変化に戸惑い、ラシュトンは無作法にもしばらくの間、妹を頭のてっぺんからつま先まで見つめてしまう。

 それに気付いたアスカが、セレスティアの後ろに控えたままコホンと咳をした。


「ああ、すまない。しばらく見ない間に随分と成長したようだな」

「お兄様も騎士としてのお勤め、お疲れ様です。此度は、屋敷へ長く留まられるのですか?」

「なんだ。俺が屋敷へ留まることは不満か?」

「いいえ、まさか。お時間が有りましたら、騎士団のお話を聞かせていただけないかと思っただけでございます」


 またもや無茶苦茶な絡み方だったが、セレスティアの丁寧な口調に押されてラシュトンはそれ以上何も言えなくなってしまった。

 むしろ、変な絡み方をした自分の方が矮小な存在に思えて、惨めに思えてしまうほど。

 そんな気持ちを紛らわすように、ラシュトンはコホンと咳払いをする。


「父上から呼ばれたのだ。戻ったのが夜だった故に話は今朝となったが……いつまで屋敷に居るかは分からん」


 もしかしたら、と。

 家督を継ぐとか、そういう話なのかもしれないとラシュトンは思っていた。

 田舎の土地とはいえ領地を持つ貴族。通常なら長男が家督を継ぐのが当たり前……とはいえ、ラシュトンはまだ二十歳の若輩。

 可能性は低いだろうとは思いつつも、僅かばかり「自分も土地持ち貴族の仲間入りかも」と思ってしまったのも若さゆえか。

 貴族というのは自分の土地を持ってこそ一人前。それまでは貴族の親に守られる半人前という風潮があった。

 ラシュトンも今年から勤め始めた騎士団で『半人前』扱いされることが多く、もし土地を持つ事が出来たらその声も少なくなるか、とも思っていた。

 言葉尻が僅かに上擦っているのも、その興奮の表れだろう。


「こほん。とにかく、まずは朝食だ。そこで父上から話があるらしい」

「では食堂へ移動しましょう」


 そう言ってラシュトンが歩き出し、その半歩後ろをセレスティアが、そこから更にアスカが後に続く。

 いくら兄妹とはいえ、長男とその妹。

 セレスティアは兄を立てるように一歩下がっての移動を心掛け、ラシュトンはそんな妹の行動に感心する。


(この五年間でずいぶんとお淑やかになったものだな)


 五年前の、自分が知る妹とは全くの別人だと、ラシュトンは思った。

 もし昔の儘なにも成長していなかったら声を掛ける事すらしなかっただろう――むしろ、屋敷へ戻る馬車に揺られている間は、憂鬱だったのだ。

 何もない田舎の実家に戻る事。

 無作法な妹と顔を合わせなければいけない事。

 突然の手紙で実家に戻され、騎士団の仕事を同僚に預けてしまった事。

 本当に憂鬱で、つい先ほどまでは苛立っていた。その苛立ちが口調に現れてしまっていたと自分でも理解していた。

 けれど、そんな苛立ちも、美しく、そして真っ直ぐに成長している妹の姿を見て霧散した。

 幼い頃は顔を合わせる事すら嫌だった妹だが、こうやって会話を交わしていると、不思議なほどに心地良い。


(こういうのが家族と言うものなのだろうか)


 ラシュトンはふとそんな事を考えて、首を横に振った。


(妹を相手に何を変な事を考えているのやら)


 まるで別人のように成長した妹だからこそ抱いた妙な考え。違和感。

 それは、普通の家族なら当たり前に思うようなことを“何か特別な事のように感じる”自分への違和感だった。


「どうかなさいましたか、ラシュトン様?」

「ああ、いや。なんでもない」


 アスカの声で思考が現実に戻ると、ラシュトンは自分がいつの間にか立ち止っていたことに気付いた。

 足を止めてまで考え込むようなことかと、その悩みが馬鹿らしいことに思えてラシュトンは苦笑する。


「ご気分が優れないようでしたら、お休みになられた方が……」

「大丈夫だ。心配してくれてありがとう、アスカ」

「いえ」


 ラシュトンが僅かな笑みを浮かべながら礼を言うと、黒髪のメイドは表情を崩さずに一礼。

 まるで人形のようだなと、ラシュトンは思った。

 悪い意味ではない。

 美しく成長した妹とは違う、整った人形のような容姿をしているという意味だ。セレスティアを表現する言葉が美しいなら、アスカは綺麗といったところ。

 ……家に務める使用人に対して、何を思っているのやら。

 ラシュトンはもう一度、そんな自分の思考に苦笑して食堂へ向かって歩き出した。

 すでに、その思考からは先ほど抱いた違和感は消えている。

 妹――まっとうに成長したセレスティアに抱いた違和感。

 我儘な悪女ではなく、美しい淑女のセレスティアを見た時の違和感だ。

 それは世界にとって僅かな変化。

 広大な水面に波紋すら作ることのできない小さな衝撃。

 けれど、たしかに、それは“変化”なのだ。


 この日、兄ラシュトンへ父親から告げられるのは、新しいダンジョンが領地内で見つかったという話だ。

 これからセレスティアが住むアーウェイン領内の生活は一変する。

 この大陸に存在する三つの大国、その王都はダンジョンの上に建てられていた。

 理由は簡単だ。

 それが最も効率が良いから。

 ダンジョンで手に入る希少な宝石や武具、そして『魔道具』を回収し、国を繁栄させるために使うも、他国へ売って国の運営資金に充てるも、入手場所に国を作るのが最も効率が良かったのだ。

 大陸には四つの国がある。

 豊かな自然に恵まれた、セレスティアが住むフラルタリア王国。

 何故ダンジョンという物が存在するのか、どこから悪魔は現れるのかを研究するメルカルヴァ王国。

 ダンジョンではなくそこで発見される魔道具の研究を長年行っているクリシュマリス王国。

 そして、大陸の中央に存在する雲よりも高い山の上に建つ、大地を作ったとされる神『メレーリス』を崇めるカルメリア神聖国。

 フラルタリア、メルカルヴァ、クリシュマリスはそれぞれ『ダンジョン』を持ち、全国に信徒を持つカルメリアが『魔道具』の流通を監視する役割を持つ。

 そうして三百年以上もの間、世界は平穏に回っていた。

 しかし先日、このアーウェイン領にて新しい『四つ目のダンジョン』が発見される。

 これによって一地方貴族でしかなかったアーウェイン家、そしてセレスティアとラシュトンの人生は一変していく。

 新しい『ダンジョン』を踏破するために集まる冒険者たち。

 人が集まり栄える事で地方は大きく発展し、街が出来上がり、『ダンジョン』で手に入る『魔道具』の所有権こそフラルタリア王国の物となるが、そこで行われる商売の売り上げに僅かな税をかけるだけでもアーウェイン領は潤っていく。

 本来なら土地の所有者であるアーウェインに逆らえる者は少なくなり、我儘に育っているはずのセレスティアは輪を掛けて“暴君”へと成長していくはずだったのだが……。

 また少し、小さく、世界は変わっていく。

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