えほんのおひめさま~腕力特化お嬢様による成り上がり英雄譚~
ウメ種
第1話 お嬢様、絵本に憧れる
――ヴァデルハイトは剣を振りかぶり、ドラゴンに向かって振り下ろしました――
――しかし、ドラゴンの鱗は鋼よりも強靭で、溶岩の熱にすら耐えるもの――
――鉄の剣は簡単に弾かれ、すぐに刃が欠け、ついには半ばから折れてしまいました――
――けれどヴァデルハイトの心は折れず、ドラゴンに向かいます――
――拳で立ち向かいますが、ついにはヴァデルハイトも膝をつき――
――そんなヴァデルハイトに向かって、ドラゴンが吐く炎が襲い掛かります――
その人生に、違和感があった。
微かな違和感。日々を過ごしていると『これは違う』と頭の片隅で、ほんの少しだけ、なんとなく後ろ髪を引かれてしまうくらいの、些細な違和感。
セレスティア・アーウェインは地方貴族の娘である。
兄が一人居て、両親は健在。家は貴族としてはそれほど裕福ではないが、しかし生活に困るというほどでもない。
まるで黄金を溶かしたかのように美しく流れる長い金色の髪に、翡翠を連想させる綺麗な瞳。
同年代の少女達と比べると少しだけ身長が低いことを除けば完璧な美少女は、幼少期の頃は周囲から祝福と愛情を受けて育っていた。
しかし、ある時。
セレスティアは大きな失敗をした。父親が購入した高価な壺を割ってしまったのだ。
それ一つで農業を営む一家族が一年は裕福に暮らせるであろう額がする壺だった。けれど、セレスティアは怒られなかった。
むしろ、子守りをしていた使用人の方が怒られてしまう。
そこで普通なら「もう悪い事をしないようにしよう」と子供心に注意するという思考を抱くのかもしれないが、セレスティアは違った。
彼女は「自分は何をしても怒られない」と思ってしまったのだ。
事実、彼女の父親は地方貴族とはいえ広い土地を管理する『貴族』。
領地内の農民はおろか、屋敷に住む使用人でさえ逆らえない存在。そして、セレスティアは貴族の娘だった。
普段は聡明で公正なセレスティアの父だったが、幼い娘が可愛くて怒れなかったのだ。それが、セレスティア・アーウェインという少女の運命を決定づけるはずだった。
本人がその事を自覚して、幼い彼女は、それはもう……『悪戯っ子』へと成長した。
有り余る体力を使って屋敷内で元気に遊びまわり、一人で勝手に屋敷やその周辺を散策しては使用人たちを困らせる。
それだけならマシだった。高価な家具を傷付け、調度品を破壊し、仕事に勤しむ使用人に悪戯をする。成長するにつれてその『悪戯』は過激になっていき、けれど使用人たちはそんなセレスティアを注意する事すらできないのだ。
両親もお人形のように可愛らしい彼女を強く怒る事が出来なかったのが原因だ。精々が口頭での注意に留まり、その時だけはセレスティアも神妙な顔をして謝るのだが、半日もしないうちに悪戯を再開して使用人たちを困らせてしまう。
結果、七歳にもならないうちにセレスティアはとても我儘な性格に成長してしまっていた。
その頃になると貴族としての教育を施すために呼び寄せた家庭教師の授業を抜け出しては近隣の村の子供達をいじめ、屋敷で働く使用人たちに悪戯を行い、両親の目の前では猫を被る。
そんな我儘。
悪戯はわざと屋敷の廊下に水を零して掃除の手間を増やしたり、用意された食事をつまみ食いしたりといった可愛らしいものから、壊してしまった調度品の責任を負わせたりといった笑えないものまで様々。
屋敷の近くに居を構える村人たちや一緒の屋敷で生活している使用人たちは彼女の我儘に疲れ果てて彼女の両親に直訴するも、そうなるとワザとらしい嘘泣きでその場を誤魔化すセレスティア。
そうしてセレスティアの幼少期は自堕落と我儘の日々となり、そしてその悪戯は年を経るごとに悪化していった。
十歳になる頃には家庭教師の授業を抜け出すのは当たり前。
珍しいものを見つけたら取り敢えず手に取り、無理矢理手に入れるか、手に入らないなら破壊する。
やはり土地を収める貴族の娘である彼女に逆らえる者は無く、村の住人たちは泣き寝入りするしかない。
ようやくその事実を知った両親も、成長して性格が出来上がってしまった彼女に何を言っても“なしのつぶて”。
これにはセレスティアの両親も困った。
何もない田舎の地方貴族だからと娘を甘やかした結果なのだと言えばそれまでだが、それだけで納得されては村の住人たちはもっと困ってしまう。
なんとか性格を矯正しようと考えて無理矢理に家庭教師の授業を受けさせたりもしたが、やはりその場で殊勝な態度を取るだけという有様である。
セレスティアは要領が良かった。
どうすれば“怒っている人が納得するか”というのをよく理解していた。
その時に頭を下げ、謝罪し、もうしないと口にすれば一旦は許してくれる。
それを分かっていたのだ。
だから彼女の性格は矯正されず、もっと、もっと、歪んでいく――はずだった。
運命というものがある。
生まれてから死ぬまで、いや、生まれる前から進む道が決まっている事だ。
セレスティアは、良くも悪くも“悪童”だった。
悪女というには悪に徹しきれず、善人というには人に嫌われ過ぎてしまう。
なまじ顔が良いから人に好かれるが、決して心から愛されることはない……そんな人生、運命の女性。
そう。言うなれば“意地悪な女”。その程度。
そうなるはずだった。
セレスティア・アーウェインというのは“人から嫌われる運命”にある少女だった……のだが。
「これはなあに?」
十歳になったセレスティアだったが、教育をあまり受けていない彼女は文字の読み書きがあまり得意ではなかった。
そんな彼女が気になったのは、いつものように父の書斎へ忍び込んだ時に見つけた一冊の真新しい絵本。
体格の成長に乏しいセレスティアは大きめの絵本を床の上に置くと、その最初のページを広げながらいつも一緒にいるメイドに尋ねた。
「え、っと……『ヴァデルハイトの英雄譚』と書かれています、お嬢様」
メイドはこの辺りでは珍しい黒髪黒目だった。
海を越えた向こうの大陸から奴隷として売られてきたのを、見かねたセレスティアの両親が買い取り、教育を施した少女。
文字の読み書きに簡単な計算術、道徳と家事手伝いの技術などなど。
……まあ、そこには多分に“勉強ができない娘”の相手をさせるため、という感情も入っていたのだが。それと、娘の為に高い金を払って家庭教師を呼んだのを無駄にしないため、というのも。
最近では両親もセレスティアの我儘に手を焼き、彼女の相手をあまりしないようになっていた。
だからか、読み書きが出来るそのメイドがセレスティアの“お気に入り”となっている。
しかし、黒髪のメイドはそれでも満足だった。
奴隷として売られるはずだった自分を買い取り、温かいベッドと食事、そしてしっかりとした教育を施してくれたセレスティアの両親への恩義。
そして、奴隷としてではなく、少し過剰ではあるが、同じ人間として扱ってくれるセレスティアのお世話。
セレスティアより一つ年上である彼女は、そんな現状にも満足していた。
外の世界を知らないだけというのもあるが。
「ヴァ、ヴァデ……? 言いづらいわね。どんなお話なの?」
「えっとですね」
床の上に開いた絵本を上下に挟んで眺めながら、黒髪のメイドは絵本の内容を訥々と読み聞かせていった。
教育を施されているとはいえまだ十一歳の子供なので読めない文字も多かったが、それでも彼女は懸命に絵本を読んだ。
子供に読めない文字がある時点で絵本としてどうかと読みながら何度か思ったが、絵本というものはそういう物なのだろうと“他の絵本”を知らないメイドは思う事にした。
――ドラゴンが吐き出す炎はヴァデルハイトを呑み込みます――
――炎が収まる頃には地面は焼け、岩は溶け、あらゆるものが黒焦げです――
――しかし、ヴァデルハイトはその盾で炎を防ぎ、生きていました――
――立ち上がります。その瞳はまだ絶望に曇らず、希望に輝いて――
――なぜなら、ヴァデルハイトは約束しました――
――村人たちを、ドラゴンから助けると――
――その約束が、背中を押すのです――
「まあ、まあ! それで、ヴァデルハイトはドラゴンを倒したのかしら!?」
「お話はここで終わりですね。第一巻とありますから、続きがどこかに……」
「えー!? もう、良い所だったのにっ」
いつの間にか、書斎の窓から見えていた空は薄暗くなり、太陽がはるか遠くにある山の向こうに沈んでいこうとする時間帯になっていた。
これだけ我儘な主人が何か一つの事に没頭したのは何時以来だろう?
メイドの少女はそう考えながら、分厚い絵本を傷付けないようにそっと閉じた。
本というものは得てしてそういう物だ。
盛り上がったところで話を切り、次巻への購買意欲を高めるのだというのはメイドも何となく理解していた。
先日、物の売り買いを勉強した時に、教師の男性がそんな事を言っていたようなことを思い出し、それをセレスティアへ伝える。
「ぅ、確かに……これは続きが気になるわね」
「そうですか?」
奴隷として両親から僅かな金の代わりに売られたり、海を渡って知らない大陸に送られたり、こうやって賑やかな家庭に買われたり。
そんな人生を送っていたメイドとしては『こんな英雄は世界に存在しない』と分かっていたけれど、目を輝かせながら本棚をひっくり返す勢いで第二巻を探すセレスティアにはそれ以上の事は言えなかった。
ただ、第二巻をまた読まされるという事と、本棚から投げ捨てられている本を後で並べ直すのは自分なのだろうと考える。
まあ、それくらいはメイドにとって日常なのだが。
「そんなにこの絵本が気に入ったのですか?」
「ええ。だって、ただの村人が旅をして、広い世界を知って、しかもドラゴンと戦うのよ?」
それのどこに興奮する要素があっただろうかとメイドは首を傾げながら、床に転がる本を拾い、傷が無いことを確かめてから書斎にあった机の上に並べていく。
この辺りの行動には驚きなどなく、セレスティアの“後片付け”に慣れているのだと伺わせる動きだった。
「外ってそんなに刺激的な世界なのかしら?」
ああ、と。
メイドは、セレスティアはこの屋敷が退屈で、田舎の世界は狭くて……外に出たがっているのか、と思った。
この辺りの理解の早さは、長年一緒だからだろう。
言っては悪いが、セレスティアの両親が収める土地はそれほど豊かではなく、むしろ質素という表現が当てはまる。
村人たちは田畑を耕し、農作物を育て、その一部をセレスティアの両親へ納める。
セレスティアの両親は村人たちが上納した農作物を商人へ売り、その売り上げで領内の生活を豊かにする。
毎日、毎年、その繰り返し。
後は時折、王都や近隣の土地を収める貴族たちが開く晩餐会へ顔を出す程度。
他貴族を誘うような晩餐会も開けない弱小貴族――それがセレスティアの両親だ。
けれど、決して悪い意味でそう思っているわけではない。
セレスティアの両親は、良い意味で地方貴族だった。
民に優しく、誠実で、この長閑な田舎生活に合っている。そんな人物。ただ、ちょっとだけ娘に甘くて、その娘の我儘が周囲に沢山迷惑を掛けているのが問題だったが。
だからこそ、この我儘な娘は不満なのだった。代り映えのしない毎日という退屈が。
「冒険というものに憧れましたか?」
「そうね。私もいつかこの領地を出て、いろんなところを旅してみたいと思うくらいには」
本棚から絵本を探す手を留めず、セレスティアは興奮に紅潮した表情でそう言った。
第二巻は、ほどなくして見付かった。
夕食時だと使用人が呼びに来たので、一緒に見つけた第三巻と一緒に父親の書斎から持ち出したセレスティアは、その日は夜遅くまで黒髪のメイドと一緒に絵本を読んだ。
ありきたりな冒険譚だ。
ただの村人だった主人公が村の為に、そして好きな人の為にドラゴンと戦う。
ドラゴンを倒した栄誉で貴族となり、それからも手柄を立て続けて英雄と呼ばれる存在へと成長していく物語。
苦難があった。失敗があった。挫折があった。
それでも、『絵本の英雄』はまっすぐに進み続け、国の王にすら意見できる英雄となって物語は完結した。
――これだ。
ずっと頭の片隅で「違う」と、「こうじゃない」と、僅かに感じていたモヤモヤした気持ちがぴったりと収まったような気がした。
――これなのだ。
セレスティアは想像する。この『絵本の英雄』と自分を重ねてしまう。
他人を虐め、優位に立ち、嫌がらせをする。
その日々は『セレスティア・アーウェイン』という少女(キャラクター)を演じる事よりも輝いているように感じた。心地よかった。
この世界で“意地悪な女”であることは楽だった。
けれど、『絵本の英雄』の生き方にセレスティアの心は惹かれていた。
それが、その絵本との出会いが、少女の運命を変えていく。
嫌われ者の意地悪な女へと成長するはずだった彼女は、英雄に、憧れた。
何故?
理由はない。ただ、その絵本に描かれている『ヴァデルハイト』の英雄として尊敬され、求められる生き方が、村人や使用人、両親からも嫌われてしまったセレスティアには羨ましく思えたのだ。
そして、波乱万丈で安らぎや平穏とは程遠い生活がとても楽しそうに思えたのだ。
こうやって他人から求められる生き方というのはどういう気持ちなのだろうと、思ったのだ。
まだ見ぬ広い世界を文字や絵画ではなく自分の目で見て、耳で聞いて、手で触れる気持ちがどんなものなのだろうと、思った。
きっと、嫌われて生きていくよりもずっと、ずっと尊い人生だろうと心からそう思えたのだ。
「ねえ、英雄になるにはどうしたらいいのかしら?」
室内のランタンから漏れる明かりを金色の髪で弾きながら、我儘な悪戯少女は物知りなメイドにそう問いかけた。
黒髪のメイドは深夜になってようやく読み終えた絵本のページを指で摘まんだまま、セレスティアと同じベッドの上でウトウトと舟を漕いでいた。
セレスティアは、嫌われ者になるはずだった彼女は、英雄を目指す。
これは、物語の脇役として終わるはずだったセレスティア・アーウェインの物語である。
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