7
「えっと入部希望ってこと?」アオイは女の子に尋ねた。
「入部?」
女の子はきょとんとした。
「だから、その文芸同好会に」
「ああ、違います。さっき聞くまで同好会があることさえ知りませんでしたし……」
どうにも要領を得ない。
「じゃあ、なんでまた小説を?」
少女はそこでまた髪を触り、視線を泳がせ、やがて決心がついたように話し始めた。
「わたし、ずっと何かが欠けているような気がしていたんです」
やけに詩的な表現を使うものだと、アオイは面食らった。少女はそんなアオイの様子に気づきもせずつらつらと話す。話しながら、だんだんと自分の言葉に酔っていくようだった。
特に珍しい話でもない。美術の専門学校に通いたかったものの、親と教師、それに内申点に進路を決められ、それに逆らうことができなかった。決まったものはしょうがないと、この学校を調べ好きになろうとした。実際、入試を受ける頃には好きになりかけていた。あの人が屋上から飛び降りたのはその直後だ。親は手のひらを返したように、「あんな学校はだめだ」とわめき始めた。滑り止めで受けた私立に進学するよう説得をはじめた。でも、これ以上振り回されるのが嫌だった。だから、この学校を選んだ。入ってみると、飛び降りた先輩が自分の予想したような人物ではないことが分かってきた。伝説があり、才能があり、カリスマ性があった。それゆえに自殺は不可解で、打ち切り漫画のラストのように唐突だった。なぜだろう。考えても分からなくて、だけど考えるのをやめることができなかった。気がついたらその先輩のことで頭がいっぱいになっていた。
「ああ、これだって思ったんです。心のスキマを埋めてくれるもの――いいえ、そのスキマを説明してくれる言葉はこれだって」
典型的な「信者」だ。アオイは思う。あの人と直接の面識を持たない一年生でも、上級生たちが伝説のように語るのを聞いてこうして信者化する生徒が少なからずいるのだ。
アオイは目の前の少女に若干の哀れみと軽蔑を覚え、またそう感じる自分に激しい嫌悪感を覚えた。
「わたし、文芸部のバックナンバーを手に入れてあの人の小説を読みました」
少女の話を半ば聞き流していたアオイだったが、そこではっと息を呑んだ。
「すごいと思いました。小説ってあまり読むほうじゃないけど、プロと比べても遜色ないんじゃないかって」
「そうね。わたしもそう思う」
「でしょう?」少女は身を乗り出すようにして言った。「わたし、最後の作品が載ってる部誌も読みました。編集後記に次で完結するって書いてましたけど、その作品はけっきょく書かれなかった……」
少女はそこでまた椅子に腰をすとんと下ろし、それから思い切ったように続けた。
「わたし、続きがどうしても読みたいと思いました。どうなるんだろうって想像しました。それで気がついたら……」
アオイは心臓が跳ね上がるのを感じた。少女の手が足元の鞄に突っ込まれると、そこからアオイが予想したとおりのものを取り出して長机の上に置いた。
コピー用紙の束。
経験があるアオイには分かる。長編小説というには薄い。短編小説だ。
「まさか、小説っていうのは、その続きを書いたの?」
アオイは紙の束を見て、眼鏡の少女を見た。
「はい……気がついたらこうしてかたちにしていたんです」少女はうつむきながら言った。「それで、あの、これ燃やしてください」
「どういうこと?」
「その……わたし、ただ先輩の作品を書き継ぎたくて、それだけだったんです。みんなに見せようとか思ってないですし、ここに持ってきたのもお供え物というか、天国の先輩に読んでくださいって置いておくだけのつもりだったんです。それで明日になったらもう一度来て、自分で燃やそうかなって」
「でも、せっかく書いたんじゃないの?」
「そもそも完結しちゃいけないと思うんです」少女はそこだけ決然とした口調で言った。「わたしもあの作品に続きがあるなら読みたいと思います。でも、一方で怖いんです。先輩が生きてたら、きっとわたしたちの予想をはるかに上回るようなすごい作品になってたんだと思います。けれど、それじゃ伝説にはなれないから」
「伝説って?」
「こうやってみんなの記憶に残ることです。わたしみたいに、先輩に会ったことのない人がどういう人なんだろうって想像をはせるみたいに。この作品も完結していたらきっと……」
「でも、いつだって物語は完結するべきだと思うわ」
アオイは力の入った口調で言った。
「はい、わたしもそう思います。でも、それはあくまで小説の正義じゃないですか。そして、それはたぶんみんなが求めてる正義じゃないんです」
「じゃあ、みんなはどんな正義を求めているって言うの?」
「それはやっぱり伝説です。伝説が正義なんです」
恐ろしいほどの沈黙が降りた。その瞬間だけは、この狭い部屋が世界のすべてだった。アオイは目の前の少女に何か言おうとしては、喉元まででかかった言葉を飲み込んだ。二列の長机を隔てて、二人の間には無限の距離があるように思えた。この沈黙がいつまで続くのか。それがアオイには恐ろしく、またどちらかが言葉を発することも同様に恐ろしかった。何か決定的なことが起こって、自分もまた決定的な変化を受け入れざるを得ないような気がした。
「ごめんなさい。変なこと言って」
少女はそう言って一礼し、部屋を辞した。そのあまりに当たり障りのない言葉に、アオイは胸をなでおろさずにはいられなかった。
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