第2章 茂みの向こう

 ジェラールたちは此処二、三日、森に身を潜めるようにして過ごした。食べられるものや水飲み場などを探すため、周囲に気を配りながら少しずつ森の中を散策し、地図に記していった。

 悲しい事にも、その後も彼らは何度か護衛や従者たちが殺されているのを見かけてしまった。ジェラールは目を背けたくなるのを必死に堪え、祈りを捧げた。倒れた姿のままなのはあまりにも不憫なので、地面を掘って土葬にしたり、或いは近くの岩陰や小さな洞穴に隠して花を手向けたりして、一人ひとり丁寧に葬った。

 生き残るためには、気持ちが沈んでいても食べるしかない。この時期は熟れたベリー類がよく採れた。ユーリタニアでも馴染みのあるラズベリーは勿論のこと、青色をした大粒のベリーや、赤紫色をしたベリーもあった。

 川では魚を釣ったり、水筒の水を補給したり軽く顔や手を洗うなどした。しかし、ジェラールは着替えを持っていなかったのでずっと同じ服を着続けていた。自分ではよくわからないが、そろそろ臭くなっているに違いない。敵はきっと嗅覚も鋭いだろうから、この自分のにおいを嗅ぎつけるかもしれない。だが不用意に服を脱いで襲われたりでもしたら、すぐに逃げることができない。此処では自分たちはよくよく不利だと思い知らされた。

 ある昼下がり、一休みしていたときのことだ。少し離れたところで茂みがかき分けられる音がして、ジェラールたちは咄嗟に身を潜めた。近くで人の声がする。男性らしき低い声と、女性らしき比較的高い声だ。しかし何を話しているのかわからない。ジェラールは耳をそばだてた。

 声はだんだん近くなり、彼らの発する音も聞き取りやすくなった。しかし、相変わらず何を言っているのかわからない。ジェラールの知らない言語で話しているのだろうか。

 茂みの向こうから人影のようなものが見えた気がして、彼はうつ伏せになってさらに身を屈める。そして低木の幹の間からその姿を見ようとしていた。そこでジェラールは、信じがたいものを目にしてしまった。

 彼らの前に、奇怪な亜人たちが現れたのである。彼らは謎の言葉のお喋りに夢中になり、ジェラールたちに気付いていないようだ。

 中央にいる腕を組んだ屈強な体の男の前腕には、真っ黒な羽毛が生え、手の甲までびっしり覆われている。足元に目をやると、あの護衛のリーダーが言っていた通り、ワシのような鋭い鉤爪が足の指先からにゅっと長く伸びていた。左側には少し背の低い、女と思われる亜人がいるが、こちらは普通に靴を履き足先は露出していない。イヌかオオカミのようなふさふさした灰色の尻尾が胴着の下からちらちら見え、前腕には同じような色の剛毛が生えている。顔の方に視線を移すと、頬が分厚い毛で覆われ、耳も毛深く尖っていた。右側にいるもう一人の男も、女と同じような外見をしているが、こちらは髪や体毛が濃い褐色をしていた。

 突然女が甲高い笑い声をあげた。あの笑い方は不思議とユーリタニアの町娘を彷彿とさせるが、開いた口の中から鋭く尖った牙が顔を出したのを、ジェラールは見逃さなかった。

 彼らは奇妙な曲線模様の描かれたベストを着て、なめし皮のブーツを履いているが、ジェラールたちよりも薄着をしているように見える。中央と右の男は槍を持ち、左の女は矢筒と弓を肩にかけている。

 ジェラールは女の矢筒の矢に目を向けたとき、ドキッとした。黒から白へグラデーションのかかった矢羽の矢が何本か入っている。あれは以前ジェラールたちがシラカバ林を通る道中、馬の尻に刺さった矢とそっくりではないか!

 やはり、彼らがあの時の犯人だったようだ。まさかこの間夜襲をかけてきたのも、彼らだったのか?

 ジェラールは身の毛がよだち、動けなくなってしまった。彼らは今何を話しているのだろう。彼の仲間を殺して喜んでいるのだろうか。

 奇妙な身体の特徴を持ってはいるが、我々にかなり近い姿をしている。顔つきはほぼ人間と同じだし、言葉で意思疎通をしているし、服を着て武器を持っているのも、ジェラールたちと同じだ。

 彼らは一体なぜジェラールたちを襲うのだろう。まさか食べるため? 否、食べる目的なら体の一部がなくなっていてもおかしくない。しかしジェラールたちが発見した限りでは、殺された味方の体は切断されていなかった。では自分たちを危険な侵入者だと考えている? 馬の尻に矢を放っても退かなかったから、大勢で追い払おうとしてきたのか。

 ジェラールがいろいろ考えている間に、彼らは喋りながら森の奥へ行ってしまった。姿が見えなくなり、緊張が解けた途端、ジェラールは大きくため息をついた。

「ロゼット様、いかがいたしましたか?」

 ずっと隣にいた若き護衛――エリクが小声で声をかけた。ジェラールはすぐに声が出ず、口をパクパクと動かすことしかできなかった。

「……本当に……本当にいたんだな……。『鳥人』に……『獣人』が……まさか実物と……あんな間近で遭遇するとは……」

 過呼吸になって、喘ぐように言った。

 彼はとても興奮していた。あの不思議な種族に対しては、恐怖より好奇心の方が勝っていた。彼が持っている頭蓋骨の持ち主の仲間が、遂に目の前に姿を現したのだ!

彼らは何故あのような姿をしているのだろう。彼らはどんな暮らしをしているのか。上陸する前に海で見つけた人魚型の「獣人」の時のように、ジェラールは次々と疑問が思い浮かび、知りたくてたまらなくなった。

「エリク……その……頼みがあるんだが……」

 彼は今エリクに、絶対拒絶されそうなことを言おうとしていた。

「……ばれない程度に、今の連中の後をついて行きたいんだ……。その、これは……単なる私の好奇心じゃなくて……連中の実態を把握して、今後のカハラディア開拓にも役立てたいんだよ」

 エリクに言い返される前に、先にもっともらしい理由を急いで付け加えた。

「…………そう仰るだろうと思っておりましたよ」

 エリクは拒絶しなかったが、あまり乗り気でもなさそうだ。

「ああ、やっぱり?」

 思わず苦笑いが出る。だがエリクは笑っていなかった。


 ジェラールたちは勘を頼りに、先ほどの「鳥獣人」たちが向かった方へ忍び足で進んだ。彼は僅かな物音にも過剰に反応し、自分たちが踏みつけて折れた小枝の音にも、心臓が飛び出しそうになった。

 日が陰り始めたところで、ようやくあの「鳥獣人」たちを見つけた。ジェラールは再び見られた感動と、見つかって襲われたらという恐怖が同時に起こった。

「鳥獣人」たちは木の枝を組み合わせて作られた簡素な門をくぐっていった。門の上には角の生えたシカの頭蓋骨が括り付けられている。門の両側には槍を持って仁王立ちした二人の男が立っていた。二人とも頬と腕が毛深く、耳が尖っている。

 門の周りは木の柵で囲まれ、中がどうなっているのかわからない。耳をそばだてると、中では複数の「鳥獣人」たちがいるのか、話し声が聞こえる。

 ジェラールとエリクは門から少し離れたところにある木立の奥で、低木に身を潜めて様子を伺った。

 門番をしている男の一人が鼻をひくひくさせた。ジェラールはにおいを嗅ぎつけられたのかと思い、背筋が凍り付いた。ところが間もなく男は大きくくしゃみをしただけだった。

「ロゼット様、この後いかがいたしますか? 日も傾いてきておりますし、此処で野営するわけにもいかないでしょう」

 エリクがジェラールの耳元でささやいた。言われて彼はようやくはっとした。今夜過ごす場所を考えていなかったのだ。

そういえば、向かう道中小川があった。あそこで過ごせばいいかもしれない。適当な茂みに寝床を作り、そこで寝泊まりすればいい。

「さっき川があっただろう? あそこで今夜は過ごせばいいんじゃないか?」

 兜で隠れたエリクの耳元でジェラールもささやいた。だがエリクはすぐに返答せず、しばらく何か考えていた。

「……どうでしょうか。あそこは奴らも使っている可能性はありませんか? 私たちが休んでいるところを見られて、襲われることも十分考えられますよ?」

「………………」

 慎重なエリクの発言を聞いて、ジェラールは少々苛立ちを覚えた。エリクに苛立っているのではない。彼の言うことは十分可能性がある。彼らに襲われることを心配して、行動が制限されることが嫌だったのだ。

 結局ジェラールたちは途中まで来た道を戻ることにした。そして森の深い茂みの中で、木の枝と布で簡単なテントを作った。

 だが敵はあの「鳥獣人」だけではない。森に潜む動物たちだって脅威になり得る。焚き火を起こせば彼らを遠ざけられるだろうが、そうすると今度は「鳥獣人」に気付かれてしまう。ジェラールたちは寒さと恐怖に耐えながら、明かりのない夜を過ごさねばならなかった。


 ジェラールとエリクは翌日、翌々日と「鳥獣人」たちの集落の前で張り込んでいた。観察し続けていると、彼らの形態には主に三種類あることがわかった。一つは腕にカラスのような黒い羽根が生え、尾羽のついた細長い尻尾、足に鋭い鉤爪のある「カラス型」、二つ目は褐色もしくは灰色の体毛が生え、オオカミのような尻尾と耳を持つ「オオカミ型」、そして三つ目だが、このタイプは一見我々と同じような姿をしているように見える。ジェラールはこれについては暫定的に「不明型」と呼ぶことにした。

 だがずっと観察しているうちに、あそこは集落というより「鳥獣人」の戦士たちの集合場所のように思えた。同じ外見の「獣人」や「鳥人」が何度も出入りするのを見たし、子どもの気配もない。我々と年の取り方が同じならば、十八歳から二十代後半と思われる若い世代が集中している。

 ジェラールはスケッチは敢えてしなかった。スケッチをするということは、その対象を凝視することになるからだ。我々に対して殺意しか抱いていないであろう彼らを凝視すれば、視線を感じて襲い掛かってくるかもしれない。だから彼は気づいたことをメモしておくことしかしなかった。

 離れたところで用を足そうと、腰を上げた時である。左前方から人の叫び声が聞こえた。

「離せ! 何をする! 俺が何をしたって言うんだ!」

 はっきりと言葉として聞こえた。そう、今のはアルゴメア語だったのだ! ジェラールは尿意も忘れてさっと声のした方を見た。

 いかつい男たちに両腕を抱えられた、黒い服の人物がいる。その服装を見て、ジェラールは自分の従者だと確信した。だが男たちの陰で顔がよく見えなかった。

 黒い服の人物は必死に体を動かして男たちを振りほどこうとするが、男たちはびくともしない。そのまま従者は門の向こうへ連れていかれてしまった。門の向こうでも従者の叫び声がする。

(彼はどうなってしまうのだろう? まさか拷問にかけられるのか?)

 ジェラールは恐ろしくなって思わず後退りした。そのとき後ろに引いた右足が、甲高く小枝を踏み折る音がした。

 彼の背筋が凍り付いたと同時に、前方で別の叫び声がした。

「ж*@¥%#$?!」

 聞き慣れぬ言葉だった。ジェラールは考える間もなく踵を返して走り出し、エリクも彼に続く。後ろから次々と男たちの叫び声が聞こえる。向こうで起こっていることは考えたくなかった。

 息が続く限りジェラールは走り続けた。どこへ向かっているのかもわからず無我夢中で走る。追っ手が近づいているのかどうかわからない。すぐ後ろにいるエリクもジェラールの速度に追いつこうと必死なようだ。火事場の馬鹿力というのか、不意に自分の予想以上の足の速さに驚いた。

 いつの間にか、ジェラールたちは吊り橋の前まで来ていた。縄で編んだだけの非常に脆そうな造りだ。後方で追っ手の足音が迫ってくる。下を見ている暇はなかった。

 肩の高さまである綱の手すりに掴まりながら、彼らは慎重に、かつ急いで橋を渡る。綱が引っ張られて不気味にギイギイ鳴ることは、あまり気にしないようにした。

 橋を渡りきったとき、背後で突然、バチンっと何かが千切れるような音がした。振り向くと、ジェラールたちが渡った橋が切れて崖の下に垂れていた。向こうの崖の淵では、あの「鳥獣人」の男たちが並び、悔しそうに声を荒げている。

 もう、これで追って来られない……。そう確信したとき、どっと疲れが出てジェラールは倒れこんだ。

「ロゼット様?! ロゼット様!! どうなさいましたか?!」

 エリクが彼を呼ぶのが聞こえたが、その後のことは覚えていない。

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