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そんなこんなで僕は老人ホームまで拉致された。
「なあ、松方。お前は本当にこういうのでいいのか」
ネタ合わせが一段落したところで訊いた。
「こういうのって?」
松方はスタッフの女性から出された茶をずびずびとすすっている。控え室の白いテーブルには僕がいもしない彼女のために買ったショートケーキが手付かずのまま残っていた。
「だから、クリスマスなのにこんなところにいてさ」
「まさか君、俺の正体がサンタだってことに……!」
「サンタじゃなくても」僕はツッコミの仕事を放棄した。「クリスマスは色々あるだろ。恋人とか家族とか」
「ああ、なんだい。そんなことか」
「そんなことって」僕は言った。「お前、彼女とかほしくないのか」
「なぜ君たちが番を作ることにこだわるのか分からないね」
「お前がピンの漫談じゃ満足できないのと同じだ」
「なるほど。これは一本取られた」
松方は自分の額を叩いて言った。
「お前って、誰に対してもそうなのか?」
「そうって?」
「だから、誰に対してもそういう風にふざけてるのかってこと」
「俺はボケだからね。道化が本業なのさ」
そのとき、僕の頭に浮かんだのは、トランプのジョーカーの絵柄だった。おどけたポーズをとって見せる道化。ババの僕と合わせて、ここにジョーカーのペアが揃ったわけだ。尤もこんな「あがり」方では嬉しくもなんともないが。
「食えない奴だな」
僕が言うと、控え室の扉が開いて髪をアップでまとめた三十前後の女性スタッフが入ってきた。その瞬間、松方の身体がこわばるのを僕は見逃さなかった。
「そろそろ出番よ。舞台袖で待機して」
女性はやけに気安い口調で言った。
「ん、ああ、分かった」
返答する松方の態度も他人に対するそれではない。
「知り合いか?」
松方の耳元で尋ねると、女性がこちらを見て言った。
「はじめまして。この子の姉の松方智子です」
「ああ、どうも。小路です」
僕は納得した。なるほど。松方が言っていたツテとはこの人のことか。しかし、その松方はどうしたことだろう。さっきから自分にだけ見えている幽霊を追うように目線をきょろきょろさせていた。
「なあ、小路君。舞台袖に……」
「ふふ、それにしてもひろっちが相方を見つけてつれてくるなんてね」松方のお姉さんが弟の声にかぶせるようにして言った。「この子、むかしはホント引っ込み思案でね。休日もともだとあそぶでもな友達と遊ぶでもなく一人で漫才のビデオばっかり見てたのよ。それが自分でネタを書いて、相方まで見つけてくるんだから、お姉さん感激だわ」
「人前だぞ。姉さん。ついでに言えば勤務時間中だ」
松方の狼狽がいよいよ激しくなる。
「だから?」
「『だから?』じゃない。余計なことは言うなって言ってるんだ」
「別にいいじゃない。せっかくできた相方さんよ? あんたのことを知ってもらおうという姉の気遣いがどうして分からないのかしら」
「子供じゃないんだ。何を言って、何を言わないかは俺が決める」
「よく言うわ。口を開けば冗談ばっかりで真面目な話のひとつも出来ないくせに。ホント、根っこはむかしと変わらずシャイボーイなんだから。いい、これはお姉さんの忠告よ。人生はいろんな局面があるの。その全てが冗談でやり過ごせると思わないことね」
「余計なお世話だ」松方は力のない口調で言った。「もう分かったよ、姉さん。これをやるから俺をからかうのはやめてさっさと消えてくれないか」
松方が自分のケーキを差し出した。
「あら、ありがとう。じゃあ小路君、わが愚弟を頼むわね」
「あ、はい」
松方が腰を上げた。僕はその後について控え室を出る。松方のお姉さんは早くもケーキにフォークを突き立てていた。
「ふう、まったくわが姉ながら困った人だ。あれで老人たちには人気だと言うんだから世の中分からないな」
「いや、いいお姉さんだと思うぞ」
僕はからかうように言った。
「馬鹿言うな。それより行くぞ、小路君」
「オーケーだ、ひろっち」
松方は口をあんぐり開いた。こいつの整った造作がこのように崩れるのを見るのは初めてだ。
「急なボケはやめてくれないか。忘れてもらっては困るけど、君の本分はツッコミなんだよ」
「分かったよ、ひろっち」
「天丼とはまた安易な手法だな」
今度は苦々しい顔。僕は松方の新たな表情を引き出すことに意地の悪い喜びを覚えつつあった。
「お前こそツッコミはあまり得意じゃないみたいだな」
僕らは意外に似ているのかもしれないな。そんなことを思った。見栄っ張りの僕と道化を演じる松方。二人とも嘘で周りを塗り固めて、臆病な自分を守っている。
僕はまたこいつの驚く顔が見たくて言う。
「なあ、松方。お前、体育の時間は先生と組まされたタイプなんじゃないか?」
そのとき松方が見せた顔の傑作だったこと。僕はきっと生涯忘れないだろう。
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