7

 相方が駅舎に消えてまもなくしてぱらぱらと小雨が降り始めた。


「おいおい、予報で雨なんて言ってたか?」


「さて、どうだったか」


 松方は言いながら、ショルダーバッグをごそごそと漁っていた。


「折りたたみ傘でもあるのか?」


「ああ」


「ロープといい双眼鏡といい、準備がいい奴だな。その傘もネタで使うのか?」


「いや、残念ながらこれは緊急用だ」松方はチェック柄の傘を開いた。「ほら、君も入りな」


「男同士だぞ。気持ち悪い」


「せっかくの買い物が濡れてもいいのかい?」


「そう言うなら……」


 傘の下は窮屈だったが、細身の松方と小柄な僕が収まるくらいの面積はあった。間近で見上げる松方の顔はやはり悔しいくらい整っている。骨格こそ精悍で男らしいが、パーツの一つ一つは繊細でむしろ女性的と言える。典型的な日本人顔の僕に比べて彫りが深く、そのくせまつげは僕の母や妹よりも長い。ああ、卑怯だ。これは女が惚れるはずだ。こいつに不幸があるとしたら、恋愛に向けるべき情熱がすべてお笑いに向いていることくらいだろう。


「まさか本当に入ってくるとはね」


 松方は苦笑するように言った。その表情までもが計算されつくしたかのようにさまになっている。唇は血色がよく、その隙間から覗く歯も新品のタイルのように真っ白だった。その眩しさが耐え難く、僕は松方の顔から視線をはずした。


「お前が誘ったんだろ。いやって言うんなら荷物だけでもお前に持ってもらうけど」


「俺に荷物持ちをさせる気かい」


「別にいいだろ。ケーキが濡れたら彼女も困る」


「彼女ねえ。君、それってわざと言ってるのかい?」


「何が?」


「このあと、彼女とデートだっていうのは嘘だろう」


 僕は思わず松方の顔に視線を戻した。他人の嘘を暴きたてようというのに、平然としたものだ。そこには追求者の厳しさもなければ、意地の悪い好奇心も伺えなかった。


「嘘なもんか。何を根拠にそんな――」


「根拠も何も」松方があきれたように言った。「あのね。小路君。そりゃ気づくなって方が無理なものだぜ。君が声をかけきたときから察しはついていたよ。何せ君ときたら、女どもに絡まれてる僕を助けるどころか、鼻の下を伸ばして突っ立ってるばかりでまるで役に立たないんだからね。これからデートって男があんな顔をするもんか。それにその買い込んだ荷物もやっぱり不自然だ。ごまかしきれるとでも思ったかい?」


「……最初から気づいてたなら、何で言わなかったんだよ」


 僕は恨みがましい口調で言った。羞恥のあまり耳が燃え上がりそうだった。


「どうせすぐ別れるんだから嘘の一つや二つは見逃すべきだと思ったのさ。わざわざ君に恥をかかせる理由もないしね。それが一緒に相合傘まですることになるとは思いもしなかった」


「そりゃお気遣いどうも」


「それにしても、なんだって君はそんなつまらない嘘をついたんだろうね」


「僕だって好きでそうしたわけじゃない」


「じゃあ、なんでさ」


 松方は淡白な口調で言った。喋りたくなければそれでもかまわないとでもいうように。これが是非にも聞かせてくれという口調なら、僕は断固口を閉ざしただろう。惨めな失敗談を自ら進んで好奇心の餌食にするつもりはなかった。けれど、松方のそっけない口調はかえって僕の口を軽くした。松方は僕の恥を掘り出したいのではなく、話したいことがあるなら聞いてやると言っていることが分かったからだ。


 そうして、僕は気がつけばその日あったことを話し始めていた。デートをドタキャンされたこと。ショップでの恥ずかしい勘違い。逆ナンされてる松方を見つけたとき思ったこと。土塀で必死に押しとどめていた本音があふれ出てくるようだった。


「こんなこと、なんでお前に話してるんだろうな」


 すべて話し終えると急に恥ずかしさがこみ上げてきた。


「まあ、聞き上手とは昔からよく言われることだ」


「嘘つけ。この喋りたがりめ」僕は続けた。「何でだろうな。こう言ったら周りがどう思うだろう。そればかり気になってしまうんだ。取り繕うようなこと、見栄を張るようなことを言って、自分を追い詰めてしまう」


「分からない話でもないな」


「嘘つけ。この自由人め」


 気がつくと、雨が上がっていた。しかし、松方がそれに気づいた様子はなかった。物憂げな顔でじっと何かを考え込むようにしている。が、雨が上がったことを知らせてやろうとすると、彼は朗らかに言った。


「じゃあ特に約束はないんだね?」


「まあ、そうなるかな」


 僕は察しが悪かった。ここで傘の下から逃げればよかったのだ。


 松方は罠にかかった獲物を見るようにして言った。「なら、一緒に老人ホームに行こう」


「は?」


「大丈夫。まだ時間はある。君は確か成績も悪くなかっただろう。いまから脚本を覚えてオンステージだ」


「いや、待て待て待て。それって僕がお前の相方を務めるってことか?」


「いまのツッコミはいただけないな。そこはいったん『よし行こか』からの『何でやねん』がほしかったところだ」


「素人に即興でノリツッコミを求めるな! あと、お前の中の僕は何西人だよ!」


「ふむ、その勢いだけは合格点をやってもいい」松方は僕を無視して、「何、素人だからって案ずることはないよ。俺の脚本は完璧だからね。君はその勢いでツッコんでくれさえすれば万事オーケーさ。老人たちには君くらい大声なのがちょうどいいんだ。相方の奴ときたら何度練習してもリスの寝息みたいな声しか出ないくて困っていたんだ」


「だから、僕は行かないって」


「おいおい、俺が相方を連れ戻しそこねたのは誰のせいだったかな?」


 言い返す言葉がなかった。


「いいから来たまえ。何、僕はボランティアだが君にはちゃんと報酬を払わせてもらうよ」


「報酬だって?」


 現金な僕は思わず聞き返した。


「フリーの女性を紹介してやろう」

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