産科病棟

「え、お化け? そりゃ病院勤務だもん、見たことあるよ。今の職場に移ってからはまだないけど、前に勤めてたとこではよく出てたし」

 そう語るのは、助産師になってようやく5年目をむかえるという愛美(仮)さんだ。現在は実家近くの開業医で働いているが、去年まではF県内のとある国立療養所で勤務していた。

「それがさ、なんか産科病棟の物品庫からよくものがなくなるのね。おもに産褥用のディスポショーツなどを保管してあったんだけど、これがしょっちゅう数を減らすわけ。入院するひとにもれなく3枚ずつ支給してるものなんだけど、あれって産後の体調によっては3枚じゃ足りなくなることもあるでしょ。だから困った患者さんが、夜中にこっそり持ち出してるんだろうなって思ってたの……」


 そんな、ある日のこと。

 シフトが夜勤だった彼女は、引き継ぎのとき先輩看護師からこう言われた。

「201の患者さん明日カイザー(帝王切開)だから」

「あの、個室へ入ってるってことはかなり悪いんですか?」

「そうじゃないけど、高年初産でちょっとナーバスになってるようだから注意してみてあげて欲しいの」

 分娩入院では基本4人部屋へ入れられるが、重篤な患者などへは個室が割り当てられることもある。そんなときはメンタルケアもかね、担当の看護師がひとり付くことになっていた。

「初産でカイザーなら、ドキドキで眠れないでしょうね」

「そう思って睡眠導入剤を処方してもらってあるわ。状況に応じて飲ませてあげて」

「わかりました」


 やがて消灯時間をむかえ、愛美さんは懐中電灯を手に病室の巡回をはじめた。

 201号室の患者はやはり眠れぬようで、愛美さんの顔を見るなりホッと安堵の息をついた。

「どうしましたぁ、眠れませんか? 明日はいろいろと忙しくなるから、ちゃんと寝ておかないとキツいですよ。眠れるお薬を用意してありますから、よかったら飲んでみますか?」

「ありがとう、助かるわ」

 備え付けの水差しで錠剤を飲ませてあげると、患者は少し落ち着いた表情になった。

「それより看護師さん、となりの部屋からもの音がするんですけど、いったいなにをやってるのかしら」

「えっ?」

 となりの202号室もおなじようなつくりの個室だが、入院している患者はいないはずであった。

「おとなりは空室ですよ」

「そんなはずないわ、消灯してからも、やたらガサゴソと騒がしいもの。それでわたし寝そびれちゃったのよ」

 不審に思った愛美さんは、音をたしかめるため隣室との仕切り壁に近づいていった。

「そっちじゃないわ」

 患者が反対のほうを指さす。

「この壁のむこうから聞こえるの」

「でもそっち側には病室がありませんけど……あっ」

 202号室の反対側には、例の物品庫があった。それで愛美さんは、さてはまたショーツを持ち出そうとしているひとがいるんだなと考えた。

「ちょっと待っててください。わたし様子を見てきますから」

 音を立てないようそっと病室を抜け出すと、息を殺し物品庫へ近づいていった……。

「犯人がしらばっくれないよう、盗んでる現場をバシッとおさえてやろうと思ったの。だって事情はわかるけど、勝手に持ち出すなんて良くないことでしょ」


 物品庫と書かれたドアを引いて、なかをのぞき込む。予想に反して室内は真っ暗だった。

「だれかいるんですかぁ?」

 と声をかけてみるが返事はない。

 手にした懐中電灯でなかを照らそうとしたとたん、電球が切れてしまった。しかたがないので部屋の明かりをつけようとスイッチを探っていたら、眼前の闇にぼうっとひとのすがたが浮かびあがった。

「そこは窓のない部屋だったのね。廊下には常夜灯の薄明かりもあるけど、そんな弱っちい光じゃ室内まで届くはずないし、照明を点けないかぎりものが見えるわけないのよ……」

 しかしそのひと影はみずから光源であるかのようにぼうっと燐光を放ち、やがて少しずつその輪郭を鮮明にしていった。むかしの軍人のような格好をした男だった。しかも片腕がない。左腕があるはずの場所には、軍服のそでだけがだらんと垂れ下がっていた。

「最初なんでこんなひとがいるんだろうって思った。片腕がないから外科の患者さんかなって思ったけど、外科病棟があるのは道路をへだてた向こう側だし、だいいち軍服を着てるなんてぜったい変じゃない」

 その男は段ボール箱から新品のショーツをつかみ出すと、ビニル製のパッケージを噛みやぶり、なかばやけくそのように中身をむさぼり食べていた。足元に散らばった包装の残骸を見るに、もうけっこうな数を腹へおさめてしまったらしい。

「ディスポショーツって紙製だけどかなり丈夫に出来てるじゃない。それに吸水性も良いから、飲み込もうとしてものどに引っかかって無理だと思うの」

 そこではじめて愛美さんは、自分が今見ているものが幽霊かもしれないということに思い至った。


「え、怖くなかったかって? そりゃ怖かったけど、お化けなんてこれまでに何度も見てるし、今さらキャーとか悲鳴あげるほどウブじゃないもんね」

 けっきょくなにも見なかったことにして、そのままドアをしめた。

 201号室へ戻ると、患者はすでに安らかな寝息を立てている。愛美さんはそのまま他の病室の巡回を済ませ、その日は二度と物品庫へは近づかなかった。

「で、翌朝ね、師長さんにそれとな~くその話をしてみたわけ。イタいやつだって思われたくないから少し冗談めかしてね。そうしたら予想外に話へ食いついてきてさ。なんでもそこの療養所っていうのがもとは旧日本軍の廃兵院だったらしくて、かつては傷痍軍人が大勢収容されてたんですって。だから建て替えまえの古い建物のときなんか、それこそ腕や足のない幽霊がわんさか出てたらしいの。師長さんも若いころに何度か目撃してて、いまだに出てくるのねえ……なんて懐かしがってるのよ」


 戦時中はじゅうぶんな食料も行き渡らず、不自由なからだをかかえ飢えて死んでいったものも少なからずいたという。

「きっと、ひもじい思いをしてあの場所で亡くなったのね。で、お腹が空きすぎて化けて出てみたはいいけれど、そこには紙製の産褥用ショーツしか置いてなくて……」

 愛美さんは同僚と相談して物品庫の片すみに陰膳を据え、そこに菓子や果物をお供えするようにした。それ以降、ものが消えることはなくなったという。

「人間、食べたいものを食べられないってのが一番つらいもんね」

 夜勤明けは妙に気がたかぶって食欲がわくのだという愛美さんは、そう言って豪快にハンバーガーへかぶりついた。

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