第35話

35.

 

 

 翌朝になっても女の子は、そのままだった。

 クレアさんから聞かされたけれど、着替えさせても何をしても、声ひとつ身じろぎひとつしなかったという。

 

 昨夜はスープを飲ませておいた。具も全部が形を消すほどに煮込まれたものは、薄味で食べていなかった人にも優しいものに作られていて――宿屋の女将さんの気持ちが温かかった。

 けれど女の子は、飲み干すことができなかったのだ。ただ、少しは飲み込んでくれたようだったけれど。

 

 眠りはしているようだった。朝になっても目を瞑っていたし、ちゃんと呼吸もしているからまだ生きることを諦めてはいないはずだ。

 けれど、動くだけの気力は戻っていないのだろう。

 キョウとシュウに騎獣の施設へ行くようお願いして、ついでに自分からだと分かるものを持たせグランに謝っておいてほしいと頼んだ。

 

 その間にやるべきことは――自分が女だと分かるよう、しっかり顔を見せながら女の子に語りかけることだった。

 その時間がどのくらいだったかは分からない。

 何度も何度も大丈夫だからと繰り返し、この世界のこと、自分たちもこの世界へ連れてこられた者たちだということ、仲間だということ、助けに来たんだということ、これから一緒に帰るための手段を探していることを必死に伝えていた。

 

 女の子が分かっているかなどどうでもいいのだ。たぶん、素通りしている言葉の羅列だろうことも、充分に理解している。

 でも語りかけることから始めなくては、彼女を取り戻すことができない。そう思ったのだ。

 

 ベッドに横たわっている女の子に、そっと語り続けていく。見捨てたりしないと、絶対に一緒に帰ろうと――たとえ、それが事実になるかも分からなくたって構わない。自分でも信じたいのだから。

 

 どのくらいそうしていただろう?

 そっと女の子の顔を見れば、いつの間にか涙を流していることに気づいたのだ。

 

「分かるんだね? アタシの言ってること。いいんだ。まだそのままでも。そうじゃなかったら壊れてしまいそうだったんでしょ? いいの、いいんだよ。辛いことがあったのかもだし、悲しいことがあったのかもだし、それはどうでもいいことだから。今は――生きよう。一緒に生き延びよう。そして帰ろう」

 

 女の子の手を握りしめて言えば、その指先が少しだけ動いたことに気づいた。

 だけど急かすことなんかしない。ただただ語りかけるだけでいい。今は、まだそれでいいのだ。

 

「いいんだ、無理しないで――まだ、充分じゃないんだろうから。そのままでも大丈夫。誰も君を怒ったりしないし責めたりもしない」

 

 だって何があったかなんて知らないし、こんな場所に来て平静でなどいられないだろう。

 涙を拭いて上げながら、そっと手を握りしめ、そうしてから髪をなでてやる。

 この子は――まだ子供なのだ。親が恋しい、まだ子供なのだから。

 

 

 

「この子、まだ中学生くらい、だよな?」

「そうだろうな。この顔つきと体つきだ――成長しきってないのは見て分かるだろ」

「親に会いたいよね……僕だって思うくらいなんだから」

「そうだろうな。自分だって親を思い出すこともあるくらいだ」

「オレは嫁と子供を思い出す……家族だから」

「みんな同じだ。この子は子供だから、もっともっとだっ」

 

 何でこんな子供までが巻き込まれているのか――もしかしたら、もっと子供もいるかもしれない。今までの道程で見過ごしてきた可能性もある。戻るほうがいいだろうか――それとも、このまま進んでキャラバンを手に入れてからのほうがいいだろうか。

 悩みは尽きない。

 

「カナさん……なんか、女の子が」

「え?」

「どうした?」

 

 ゴソリと、ベッドのほうで動きがあって――けれど、女の子が起き上がったわけじゃなかった。ただ、顔をこちらに向けて、そして手を……まだ子供の手が伸びていて――。

 

 そっと近くに寄っていってから、女の子の手を握って髪をなでてやる。寂しくて心細くて仕方ない、そんな感情でもいいから、少しでも戻ってくるように――。

 

「クレアさんが心配して来てくれてた」

「そうか。今はいいって言っておいてくれたか?」

「うん。今日いっぱいはココにいるって伝えた」

「それでいい」

「グランも心配してたぞ。一応は説明をしておいたが、いつでも出発できるよう準備しておくってさ。その女の子も任せろって言ってた」

「あぁ……あいつは女の子が好きらしいからな! まったく騎獣のくせに……」

「そう言うなって――心配しすぎて、昨夜は飯も食ってなかったらしいから。本当にカナのことを好きなんだと思うぞ」

「それは否めない。あれは生まれたときから育てたんだからな」

「え? って――そんなシステムあったっけ!?」

「あぁ、ベータからやってたヤツ限定のプレゼントシステムだったはずだ。自分のは卵で貰ったんだが――騎獣の種別も選択できたんで、面白そうだから面倒なガラカンにしたんだよ」

「……さすがベータからのプレイヤーさん。うらやましす」

「オレはアイツで良かったかなって思う。牧場で見つけて色を見た瞬間、こいつって思ったし」

「僕は……あの子だけが牧場の隅っこにいたから気になったんだよね。それで決めちゃった感が強いかも」

「それは良かったな。みんなそれぞれ思い入れのある子を見つけられたんだから」

 

 この女の子には騎獣がいたんだろうか。

 もしいたとしても、今のこの状況では見つけられないだろう。いや、見つけたとしても犯罪奴隷では契約ができない。いずれ――そう、いずれ連れて戻ってくればいい。その前に元の世界へ戻れるなら、そのままでもいいだろう。

 

「明日は出発する――力が出てきたから。捕まっててくれるはずだ」

「でもガードは必要だよね?」

「そうだな。なんか紐で結んでおくさ」

「それだと心配だから、即席でも何でもベルトを作っておく――って、ここじゃ無理か」

「それなら買ってきてくれ――あと、ついでにスープが用意されている頃だから」

「ああ、任せろ」

 

 返事をするのと同時に行動するシュウに、キョウは驚きながらもその後ろを追いかけていった。別にキョウまで出ていかなくても大丈夫なんだけどな。

 それでも――少しずつ、本当に少しずつだが、女の子が動くようになってホッとした。

 まだ自分の意志では動いてないのだろうが、それでも本能とかででも自分を頼ってくれるなら、今はそれだけで充分だ。

 

「帰ろうな、みんなで一緒に。本物の家族のところへ」

 

 

 

 翌朝クレアさんを始めとした、この街で知り合った人たち全員からの猛反対を受けながらも、自分たちは旅へ戻ることにした。

 まだ女の子が万全じゃないとクレアさんが怒っていたけれど、ここに居たほうが精神的に問題となるからと言って、無理やり宿屋をチェックアウトしたのだ。

 

 みんなの言葉は、とても温かくてありがたいものだった。けれど、これ以上ここにいても無駄でしかない。今は、安心できる場所に移動するほうがいいのだ。

 それはどこかといえば――自分が作った家である。

 

 この先には大きな森があって、身を隠すのには最適な場所だ。

 どのくらいの時間をそこで過ごすか分からないけれど、そのほうが女の子のためだとも言えるだろう。

 

 

「カナくん……本当に行くのね」

「ごめんなさい、クレアさん。でも、この子のためにも少し落ち着けるところへ行きたいんだ」

「それなら、この街で簡易の部屋を借りることもできるのよ!? 冒険者の仕事だって、たくさんあるし……」

「うん、それも考えたよ。でも、喧騒というか、こういうのがこの女の子にはダメっぽいんだ。音がするとビクビクしてる」

「だって、身動きもしないじゃない」

「それは――うん、触れてないと分からないよね。自分は昨日から、手を繋いであげてるんだ。そうしたら分かった」

 

 そう説明すればクレアさんの目が涙に濡れる。

 他の人たちも心配そうに女の子を遠目に見て、そして自分へと視線を向け涙ぐんでいた。

 

「みなさん、本当にたくさんありがとうございました。この子、助けたいし、自分たちも進んでいきたいから。だから今はサヨナラです」

「また戻ってきます! こんな素敵な街だから。僕、もう一度来たいって思ったし!」

「オレも来たいんで――今だけはサヨナラで」

 

 三人の決意は固いのだと言ってみせれば、どうにか納得してくれた。もちろん今もまだ色々と言い募りたいのだろうけれど。

 

 

 門番さんに挨拶をして、やっと街をでるときにはクレアさんを始めとした出会った人々、そしてお世話になった案内所の職員さんたちが見送ってくれた。

 こんなことは前代未聞のことだと笑って言ってたのは、案内所のひとりだったと思う。

『ここは確かに情の厚い人が多いけど、ここまでクレアさんを虜にした旅人は君たちだけだ』と――。

 

 ありがとう、と掠れた声で返事をしたせいで、一斉にみんなが泣き出していたけれど、すまん――たぶんだが喉が乾いているだけで、自分は泣けそうにない。だって……。

 

『早く行こうぜ、カナ! こんな場所だと一緒に居られねえだろ!?』

 

 一度、制裁をしたほうがいいかもしれない、この騎獣には――本気で物理的なお話し合いが必要だと思うのだ。

 せっかくの良いシーンを台無しにしやがって!!!

 

 

 こうして、フェネスの街をあとにした自分たちは、予定を変更してここから少し離れた大きな森へと向かったのだった。

 

 

 

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