第23話

23.ケネス領へ

 

 

 無事に山越えをしてケネス領に入ったのは、山頂についてから一週間を過ぎてからのことだった。それくらいに長い道程を歩いてきたのかといえば、自分たちの歩調であったならありえないほどに遅いものだったとしかいいようがない。

 けれど、それも仕方なかったのだ。面倒とはいえ、ケネス領の兵士たちも一緒だったのだから文句も言えないし、向こうは向こうで新人冒険者という自分たちに気を使った行程で歩いてくれたのだから。

 

 本当はお先にどうぞ、と言いたかった――けれど、途中で追い越しても無駄になるし、後ろからもまた追いかけるように兵士たちが来ていることを確認していたため、仕方なく……本当に仕方なく彼らと同じ歩調で歩いてきたのだ。

 

 そうしてようやくケネス領地に入れば、思っていた以上に良い形で栄えた町々が自分たちを出迎えてくれた。

 小さな町だというのに活気があり、また町民たちの顔がとても生き生きしているのが分かるほど。それは、クローディア領のそれとは比べ物にならないほどだと言ってもいいだろう。

 

 けれど、やっぱり裏には裏があるわけで、町の裏には貧民も存在していた。なのに――そんな貧民たちもまた、決して諦めたような顔つきをしていないことに驚きを隠せなかった。

 

 兵士たちとは最初の町で別れたのだが、とても良い人たちだったのは言うまでもなく、町では宿屋を紹介してくれたり美味しい食堂も教えてくれるほどの親切心で、自分たちが良い旅ができるようにと散々サポートしてくれた。

 

 そんな彼らは、町に入った途端、民から声を掛けられるほど親しみのある者たちだったのだ。

 恐らく彼らは、誰に対しても同じ態度なのだろうことは、見ていてもよく分かる――だって、貧民たちにも慕われていたのだから。ついでに兵士たちも決して驕った態度を取っていなかった。誰が相手だろうと真剣に耳を傾け、表情は柔らかく、そして誰よりも優しい声を出しているようにすら感じられたのだ。

 

 こんな兵士たちのお陰なのだろう、ケネス領地の人々は明るくて、とても気さくで――そして、優しい人たちばかりだった。もちろん犯罪者がいないわけじゃないらしい。ただ、町の警備隊たちがしっかりとサポートしているせいか、大きな犯罪は少ないのだと町民たちが言っていた。

 

 そう考えると、山頂でクローディア領の兵士に絡まれた自分たちにとっては、あまりの差に驚きが隠せなかったほどだ。

 

 

 いくつかの町と村を経由して、自分たちの目的地は都市フェレスだと兵士たちにも話していたのだけれど、途中に立ち寄るといいだろうという町や村を紹介してくれていた。

 お蔭で、かなりスムーズに旅を続けていたのだけれど――。

 

 

 フェネスにほど近い町でのことだった。

 マカノという名前を持つ小さな町。けれど、規模はそれほどでもないのに港があるせいか、とても活気ある町だった。といっても小さな漁港でしかないし、外海に繋がる海があるわけでもない――実のところ、ここは人間族の他国とは繋がっているけれど、外には出られないようになっているらしく、同じ大陸でもあるはずの獣人族がある国にすら行けないのだと教えられた。それでも、ここはやっぱり海があるってことで、魚介類は豊富な町だ。

 町民の半分は漁師というマカノは、貿易などはなく、船も漁業専用のものしかない。

 そんなマカノでも、やっぱり裏通りはあるわけで――そんな裏通りには、今までの町とは比べ物にならないほど生きることを諦めてような人々が多くいた。

 

 救済がないわけじゃないのに、漁師をしていたという過去にしがみついて這い上がれない者たちが行き着く場所――それがスラムなのだという。そして、そのまま死を選んでいくそうだ。

 

 せっかく救済まで用意してくれている行政があるというのに、その人たちには漁師として生きていく以外の道を選び取れないとか、自分たちにしてみたら呆れて物が言えない。

 

 それでも、スラムに墜ちた漁師たちにとってはそれこそが生きがいだったのだと町の人たちは言う。そして、それこそが生きている証だったのだと。

 

 

 スラムを歩くことは禁止されているわけじゃないけれど、冒険者といえど好奇心で入り込むことを許してくれる町民ではない。もちろん救済というお節介の施しも許さないのだと思う。

 けれど、自分たちには必要があるのだとお願いしてスラムを案内してもらった。

 なぜならば――自分たちの探している者たちが、こういう場所にいそうな気がしていたから。

 

 最初こそいい顔をしなかった町民たちだったけれど、今まで立ち寄ってきたスラムでも同じことをしてきたのだと――施しをしに行くのではなく、本当に人探しなのだとお願いしてみたら、どうにか話を聞いてくれたのだった。

 ただし、ここにいるスラムの住人たちに、流れ者はいないのだと言われた。それでもと言い募れば、町民たちも自分たちの必死さが伝わったのだろう、ようやく頷いてくれたのだった。

 

 そして、町での滞在四日目にして、ようやくスラムへやってきた。

 

 キョウを見つけた裏通りと同じような、いやそれ以上に不快な異臭が漂う裏通りには、地べたに寝ている人の数が思っている以上に多い気がする。

 腕がない者、片足がない者、また顔に大きな傷があることから目が見えていないのだろう人もいる。その中で、小さな子どもたちが生きる気力を失って寝転んでいる姿には、さすがに胸が苦しくなった。

 

「小さい子供は、親が見ていない隙を狙って救済しています――それでも親に見つかれば連れ戻されることもあって」

「……子供までも道連れですか」

「家族なのだから、と。血の繋がりがあるのだから、と――母親が生きている場合には特に多いです。自分ひとり生き残らせるものかとでも言うように」

 

 バカすぎる――子供だけでも助けたいと思うのが親じゃないのか。特に母親というのは、そういう生き物だと思っていたのに。

 

「この辺りの者たちは特に怪我が酷い者たちですが、この先の海に近い場所には救済せずとも必死に戻ろうと……他の職に就こうと思っている者もいます」

 

 そうは言われたが、自分が探しているのはきっとそんな場所にいる人たちじゃない。たぶんだけどキョウと同じような状態で、それでも生きている人。

 キョウもまた必死に探していた。あちこちに視線を向けて、こんな異臭がある場所で、いつもなら文句すら言ってかもしれない状況で、けれど彼も一生懸命に探している――自分たちの仲間を。

 

 ちょうどスラムが始まった場所から中間地点だろう場所に差し掛かったときだった――キョウが自分の腕をキツく掴んできたのである。何事かと視線を向ければ、キョウの目が一箇所で固まっていた。

 そして――。

 

 見つけた。

 手首に白いバンドを付けている黒髪の――たぶん男性。年齢も何も特定はできないけれど、その体つきはどう考えても大人のもの。

 

「いた……見つけた」

 

 そう言いながら男性に近づいていけば、案内していた人が慌てて自分を抑え込もうとした。

 

「危険です! 無闇に近づかないでください! その人は、先日も大暴れをして――」

「大丈夫だ。心配しなくても良い」

 

 そんな言葉に否定をしながら、目当ての男性に近づいていく。もちろんキョウも一緒で、彼は杖を構えいつでも応戦できるようにしてくれていた。

 だけど、きっとそんな心配は必要のないものとなるだろう。だって彼の目が、眠っているふりでもしていたのか、それとも疲れていただけなのか、瞑っていた目が開き、最初こそ虚ろだったそれが――自分たちを見て、そして腕を見て、驚愕に見開かれていたのだから。

 

「見つけたよ――君を」

「あ……あっ……あああああああああああああああああああっ!!!」

 

 男は自分の声を耳にした途端、ありえないくらいに取り乱して、起き上がったと思ったのに座り込み、そして頭を抱えて――大人とは思えないくらい、子供のような叫び声を上げながら……泣いていたのだった。

 

 

 

 

 宿屋へ行く前に浄化の魔術をかけてやれば、男はこれまた驚いた顔をして自身の姿を見下ろしていた。

 

「今はとくかく宿屋に移動しよう――話はそれから」

「オレは……」

「言っただろう? 今は宿屋へ」

 

 ようやく落ち着いた男に、そう言いながら歩くように促した。

 キョウには、まだほかにいないかどうかを確認してもらうため、別行動することにしている。スラムを案内してくれている人も、本当に自分たちが人を探していたのだと知って、特徴などを聞きながら手伝ってくれると言ってくれた。まあ、言えることでもないから、この町の出身者じゃない人を教えてほしいとだけお願いしたのだけれど。

 

 この世界にも黒髪は多いのだ。だからこそ、それが特徴になることはない。もちろん茶髪とかの方が断然に多いけれど、それでも黒髪だからと阻害されるほど少なくないのだ。そのため一応は『黒髪の人』とは言ってあるが、案内人も『それはまた難しいですね』と苦笑を漏らしていた。

 

 さて、それはさておき、だ。

 

 宿屋に入ると、すぐに自分の取った部屋へ男を案内した。静かに、そしておとなしく付いてくる男だったけれど、町中では冷たい視線を向けられることもあったし、宿屋の受け付けにも侮蔑の視線を向けられていた。

 ただ、ちゃんと説明をすれば分からない人たちじゃないのを知っていた自分は、『彼は少し精神的に不安定となる出来事があって生き別れていた家族なのだ』と言ったところ、とても不憫そうな目になって男から視線を逸してくれた。

 

 たぶん、この男は自身に降り掛かったよく分からない状況に混乱し、そして帰りたい衝動などから町の中で暴れたことにより、スラムへ追い払われていたのだろう。それでもおとなしくしていれば問題はなかっただろうに、この男、きっと何度も何度も繰り返したに違いない。

 そのくらいの推察ができるくらいには、町の人たちが男に向ける視線の痛いこと痛いこと。

 

 けれど、今はそれどころじゃない。

 部屋に入ってすぐさま男に向き直った自分は、そのときになって目を見開いてしまった。だって振り向いた途端、男が地べたに土下座をして頭を床に擦り付けていたのだから。

 

 

 

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