第8話
08.
歩けそうにないその人を連れて宿屋までの道程は危険だと思い、そのまま温泉近くにあるという少し値が張るという温泉宿へ連れていくことにした。受付のところにいた従業員が嫌そうな顔をしていたけれど、即金で一泊分と迷惑料の他にチップを弾んだら何も聞かずに部屋を貸してくれた。もちろんそれなりのお部屋である。
さて、拾った人は『キョウ』という名前なのだと教えてくれた。というか、それしか自分でも分からないのだと言う。
覚えているのは、ゲームにインしていたことや突然切り替わった視界に広がったのが真っ暗な闇だったこと。そして、次の瞬間にはミールドの町で転がっていたそうだ。
「じゃあ、自分のことも覚えてないの?」
「ううん、覚えていることもある――こんな世界じゃない場所で生まれ育ち生活してたことだって覚えてるんだ。なのに、ここに来た途端、名前とか何もかもが分からなくなって、いつの間にかあそこに放り出されていて……ついでに何度となく動こうとしたのに動けなくなっちゃって」
そこまで聞いて理解不能に陥った。
「どういう、ことなんだろうか??」
「分からない……でも、ゲームで遊んでいたとき、死に戻りをしたところだった気がするんだ……」
死に戻り――HPがすべて削られて戦闘不能に陥ったことを指す。例えばモンスターと戦っている際にHPをすべて削られてしまい戦闘不能になると、外に放り出されることが多い。けれど、それ以外ではフィールドモンスターやアクティブモンスターに絡まれて戦闘不能になると、町に戻されることもあるわけ。時として、町まで徒歩での移動が面倒な場合には、わざと装備を外してアクティブに突っ込み、戦闘不能になって街へ戻ることなどもあるわけで――死に戻りというのは、基本的にそういうときに使うことがゲーム内では多かったかもしれない。
「死に戻り、か……もしかしたら、その弊害だったかも」
「分からない……けど、本当に死んじゃうんだって、思ってた」
「あのままだったら、そうなっていたかもしれないね」
「近くに……ひとりいたでしょう?」
「……」
「僕がそこに放り出されたときには、たぶんだけど既に死んでたんだと思う……動かなくて、声を掛けたけどダメで……そのうちに僕も目を開けていられなくなって……」
「そう……あの人は来たときにはいたってことなんだ」
そう問いかければコクリと頷く目の前の男の子。年齢はまだ18歳なのだという彼は、少しだけ幼い顔をしているようにも感じられた――ただし、身長はかなりあるようだけれどっ。
「君が、あそこにいってどのくらい経ったか分かる?」
「分かんない……凄く長かったような気もするし、短かったようにも感じるし」
その辺もまたあやふやなのか――その原因のひとつとして、この世界へ来たことへの混乱からなのか、それとも死に戻りをした瞬間に起きた事件のせいなのかまでは分からないが、もしかしたらそのどちらもが原因で記憶が混乱しているのかもしれない。
「どっちにしても動けなかったのなら、こっちにきてどのくらいなのかまでは分からないかもね――まあ、それは良しとして、先に食事を取ろう。部屋まで運んでもらうから少し待ってて。そのあとは、色々と説明していくから」
「……で、でも……僕はお金が」
「その辺のところも、今はいい。心配せず体力を回復させよう」
「は、はい……」
「じゃあ、部屋で待ってて」
「はい」
最後は素直に返事をしたキョウを見て、静かに部屋をあとにした。もちろん混乱させないように鍵もかけておく。今は何を見ても何を聞いても混乱を招く可能性があるからね。
すぐに受付へ顔を出し、食事を部屋まで運んでくれるよう頼んでみる。すると受付にいた従業員は『現在の時間だと軽いものになります』と頭を下げてきたので、それでも良いということ、飲み物も果汁のがあればそれをを頼んでおいた。もちろん自分の分も、だけどね。
部屋に戻ればグッタリとベッドに横たわるキョウが慌てて飛び起きた。
「いいよ、気にしないで。今は横になりたければそうしてればいい。疲れただろう?」
「で、でも……その、ごめんなさい」
「謝ることじゃない。食事は部屋まで届けてくれるって言うし、少しでも横になって楽にしておきなよ。軽いものしか出来ないって言ってたからすぐに届くと思うけどさ」
そう言うとキョウは少し悩んだあと、小さく頷いてからベッドに体を横にした。
今は風呂に入るという体力もないはずだ。そのため浄化の魔術だけかけて宿屋まで運んだわけだけど、それが良かったのかもしれない。ここに運んだときよりも顔色が良くなってきつつあるのだから。
数分後に届いた食事を食べたキョウは、ようやく一息ついたのだろう。今の状況など説明して欲しいと懇願してきた。そのため自分に起こった摩訶不思議な体験から話をし、その後はここが自分たちの遊んでいたゲームの中の世界であり、なおかつ遊んでいた時代から随分と時間が経過していることなどを説明してみた。
最初は困惑、次に疑惑、最後には脱力しながら聞き入っていたキョウは、すべてを聞き終えるまで声を発することなく項垂れてしまった。
「大丈夫かい?」
「……あ、んまり」
「だよね。自分も最初は夢だって思ってたよ」
「……です、よね」
「最初からハードな戦いの連続だったしさ……森を抜けたら『はじまりの街じゃねえかっ』って叫びそうになってた」
「……はじまり、の街……」
「最終ログアウトしたのが、その辺りだったんだ――新人さんを指導してたときだったからな。インした途端に――この世界だったし」
「そっか……けど、そこなら……安全、だったよね」
「そうでもない――たぶん、自分が戦ったのは、中レベ辺りのユーザー対象に作られた場所」
「……あ、もしかして」
「うん、リットーの群生っていうクエストモンスターが相手だったんだと思うよ。あとから戻っても形跡が残ってなかったけど――場所的に間違いない」
「クエストを受けて初めて出てくる、モンスターでしたよね?」
「そう、それ。でもまぁ、それなりに戦えたから生き抜いたけど、よく自分でも体が動いたもんだって思ったよ」
「動けた……そっか、僕は死に戻りのせいでヒットポイントがゼロだったから」
「たぶん、それのせいだったと思うんだ。事実がどうかは分からないけど」
「でも、こんな町は、知らない」
「そうだね……自分も知らない。死に戻りなら、近距離な町に移動しただろうけど、この辺りならはじまりの街だったはずだもんな」
大きく頷いてみせるキョウは、とても辛そうに顔をしかめていた。その気持も、分からないじゃないけどね。
「あぁ、あとはその腕のバンド」
「え?」
「インベントリ」
「い、んべんと、り?」
「最初のほうのチュートリアルで貰っただろ?」
「……えっと、はぁ」
「使えるから」
そう言った途端、驚愕に目を見開いたまま固まった。そのあとには悔しそうに唇をかみしめて俯いてしまった。
「知ってたら――最初に気づいてたら」
「そうはいうけど」
「そうしたら、一緒にいた人、生きてた……かも、しれないのに」
「それは無理だったと思う。既に死んでたとしたら」
「そんなことっ!! だって、蘇生の種がっ!!」
「あぁ、その辺の説明も必要だね。今からそういうのも説明する――自分もまだまだ分からないことがあるかもしれないけど、知ってることは全て教えておくよ」
そうして再度始めた説明に、だんだんと意気消沈していくキョウは、けれど真剣な眼差しで聞き入ってくれていた。
今回は途中で疑問があるたびに問いかけられ、答えられるものに対しては答えていくというスタンスで話し続け――気づけばすでに夕食の時間だったらしい。
「時間って概念、あるんだ」
「あるね」
「同じなんだ」
「現世と同じだね」
「ムカつく」
「腹立たしいよな」
「時計は――」
「インベントリを触ると分かる仕組み――バンドの白いところに時間が表示されてたよ。まぁ、他の人には見えてなかったみたいだけどさ」
「――あぁ、本当だ」
「それで、夕飯だけど食べられそう?」
「はい――今回は自分で払えます」
「今の資金がどれだけあるか知らないけど、プレイヤーレベルが中級ってことはそれほどの資産はないだろ?」
「……課金で色々と売ってたんで」
「あー、そっちで資金稼ぎか」
「いえ……ただ、ガチャで欲しいのが出ないと売ってたってだけで。それとジョブがお金それほど掛からなかったから」
「生産スキルは?」
「錬金だけです」
「そっちは金がかかったんじゃない?」
「まだそれほどやってないし――レベルだけはマックスまで上げたって感じで」
「ふーん。じゃあ、とりあえずは飯でも食って……自分は一度、昨夜泊まった宿屋に戻るよ」
「え……で、でも」
「明日の朝までは自由にしてていい。支払いは終わってるし、気にしないでいい。お返しは明日、ちょっと付き合ってもらうってことで」
「――明日、だけ、なんですか?」
「え?」
「僕――」
「あー、個人行動になるのは辛いって? バカじゃん?」
「なっ!」
「置いていくわけ無いじゃん」
「え――?」
「せっかく見つけたユーザーだよ? 確かに個人で行動したいって言われたら別行動するけど、まだ君は何も理解してない。話を聞いていただけで納得もできてないだろう?」
「――は、い」
「そんなヤツ、置いていくわけねえじゃん?」
ニンマリ笑って言ってやれば、キョウは泣きそうな顔になりながら膝においてあった両手に握りこぶしを作って震えだした。
「とりあえず、明日の朝な! その前に飯は一緒に食って、部屋に戻ったら施錠はしっかりしろ。んでもって、風呂に入っておけ。泣きたきゃそんときにでも存分に泣いておけよ! 自分は泣いてる男を慰めるとか、マジ苦手だから」
ニヤリと口元だけで笑って言ってからキョウの肩をバシンと叩き、そして部屋の外へ誘導してやった。キョウもそれで少しは気持ちが楽になったのだろう、勢いよく立ち上がってから自分に付いてくる。それはまるでワンコのように感じられるけれど――マジでデカすぎ。そしてムカつく。
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