2人でロードを駆け抜ける?
「ほら、月出くん」
小倉姪さんがその美しいマシンと共に僕の前に現れた。
「ロードバイクだ!」
思わず僕は歓声を上げた。
「小倉姪さん、どうしたの、それ?」
「へへ。従姉妹に借りてきちゃった」
濃いブルーのフレームにいぶしたような銀のパーツがとても美しい。
可憐な愛おしい自転車。高速走行の、そぎ落とされた芸術品。
「あのね。月出くんの分もあるんだよ」
「え。ほんとに?」
「うん。とりあえずいつもの自転車でついてきて」
僕たちが同居するマンションの入り口に現れた小倉姪さんはブルーのロードバイクに、すっ、と足を伸ばしてペダルに踏み込む力だけでなくって、トゥーストラップを使用した引き上げの力を、そしてトータルで回転させる力を使って、クン、クン、と小気味よく加速していく。
「月出くん、大丈夫?」
不思議なことに小倉姪さんのロードバイクの乗りこなしがとても洗練されているように見える。これは、一度や二度じゃないね、ロードバイクで疾走するのは。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
月影寺で僕用に借りてくれたやっぱり濃いブルーのロードバイクに乗って2人並んで海岸のサイクリング・ロードに躍り出た。
小倉姪さんのいでたちは、やっぱり濃いブルーのランニングシューズ。そして上は速乾のTシャツ。絵柄は満月。美しい、いや、僕にとってはきらめくように見える彼女の太腿から足のつま先まで整った曲線の続く、その脚。ランニング用のショートパンツ。
「月出くん、走れてるね」
「小倉姪さん、速いよ」
「ふふ。もっと飛ばすね!」
小倉姪さんがカチャッとギアをシフトする。
僕も遅れまいと真似てギアを上げる。
「ねえ、月出くん、どこまで行く?」
「この道、まっすぐなんじゃないの? なら、最後まで」
「終点までってこと? 50kmぐらいあるよっ!」
50km
小倉姪さんと一緒なら100kmでも1000kmでも行ける、多分。
僕らは市をひとつ越えた。
次にもうひとつ。
さらに追加してみっつの市を横断して、ひた走る。
小倉姪さんが走り出す前にドリンク・フォルダに給水用のボトルを用意してくれていたのでそれを飲みながら走った。
走りながら隣の海岸の砂浜を見る。
釣り人が幾人もいる。
釣り人たちはいわゆるスポーツフィッシングをするような精悍ないでたちではない。
ゴム長靴にブカブカのズボンを履きハギレになりそうな使い古しのシャツ。それと、日よけのタオルを頭に巻いている。女の人も同じだ。
彼女・彼らは砂浜から沖に向かって投げたであろうオモリの先を見ている。竿を砂浜に立て、折りたたみの椅子に腰かけて。
そして、このエリアに何か不思議な雰囲気が漂っているのを皮膚感覚では感じるのだけれども、目で見てもよく分からなかった。
僕が訝しんでいると小倉姪さんが答えを言ってくれた。
「月出くん、電柱だよ」
砂浜から等間隔で木製の電柱・・・それも木は朽ち果てかかっていてそれが人工物であると認識するのに多少の時間を要するような、明らかに今は使われていない電柱が立っていた。
その一本のてっぺんの、もさって細くなった先っぽにトンビがとまっていた。
「月出くん、トンビがネズミを狙ってるよ」
見るとトンビは遠くを見るようなフリをして眼球の斜度を下に向け、カサコソと砂浜の打ち上げられたゴミや原型がなんなのかわからないような漂着物の隙間を蠢いているやや大きなネズミの動きを、その眼球の左右上下の揺らぎだけで捕捉していた。
僕はどちらにも肩入れする気はなかった。
「小倉姪さん、後何kmだろ」
「あとね、20km」
30kmも走ったのか。
でも、小倉姪さんは距離計やそれに類するスマホのアプリなども使用せずに距離を断言した。
もしかしたらこのコースも何度も走っていて、風景と距離が一致しているのかもしれない。
ちょうど4つ目の市に入ったところで、サイクリングロードの終着点になった。
なんにせよ50kmを走り切ったことがとても心地よい。加えてそれが小倉姪さんと2人のツーリングだってことがこの上ない贅沢な時間だと感じられる。
「ここに駐めて」
砂浜の砂をチェーンに付着させたら従姉妹に申し訳ないということでアスファルトにロードバイクを置き、歩いて砂浜に下りた。
この砂浜の砂質が気に入った。
「月出くん、ここの砂ね、星砂だよ」
僕は星砂を以前から知っていた。
母さんが風邪薬の空き瓶に入れて、鏡台の、ブラシの位置の横にいつも置いていた。
『子供の頃にね、わたしのお父さんに海岸に連れて行って貰ってね。砂浜の乾燥した表面をこの瓶で掬ったのよ』
そう思い出を語る母さんの横顔が僕は好きだった。
ほんとに好きだったんだ。
「ねえ、月出くん」
「うん」
「わたしにも、小瓶、ちょうだい?」
ああ。
やっぱりそうなのか。
小倉姪さんは、やっぱり僕の・・・
僕はそこで思考を無理に止めて、小瓶を自分が持ってないかどうか思いやった。おそらくは母さんの父さん、つまり僕のじいちゃんがあらかじめ持参していたであろう風邪薬の小瓶を、あいにく僕は持ち合わせていない。
「小倉姪さん。これならどう?」
僕はデイパックの中から合成皮革のペン入れを取り出し、その中から青色フリクションを抜き出した。
この青色フリクション、よく見たら2台のロードバイクよりも深い青色だ。
どうするの? というきょとん、とした可愛らしい表情をしている小倉姪さんの前で僕は青色フリクションのボディをキュルキュルと回し開け、その空洞の部分を砂浜の表面に平行に当てる。
そして、掬った。
「わあ♡」
小倉姪さんの言葉には本当にハートのマークが漂う。僕が掬ってキャップの部分に満タンにした星砂を、見せて見せて、と彼女はねだった。
「あ。でも。これじゃペン先が出るところから漏れちゃうね」
2人同時にその様子を想像した。
5mmほどのその穴から星砂が砂時計の流砂のように流れ落ちるイメージを共有し、ふふふ、と2人して微笑みあった。
なんて幸せなんだろう。
そうさ。
僕は小倉姪さんと母さんの両方を手にしたんだ。
両手に花さ。
「じゃあ、こうしよっか」
僕は単純明快、カチっ、とペン先を出して、穴を塞いだ。
天才、天才っ! とくしゃっと一気に目尻をシワにして目も糸のような細さにし、長いまつげを下げて、頰は頰とて、はっきりとしたえくぼにして笑いを表現する小倉姪さん。
きれいだ。
僕の感性で美しくなる小倉姪さん。
誰にも渡したくない。
「キスじゃ、足りない」
そう言って僕が小倉姪さんの顔の正面に顔を近づけ、瞬きをせずに彼女を見つめると、小倉姪さんは答えを返してくれた。
「骨が折れるぐらいに、ぎゅっ、てして」
僕らは唇は重ねず、お互いの両手を相手の背中と腰に回して引き寄せる力を極限にした。
骨じゃなく、互いの胸が潰れそうになるぐらいに2人の隙間がなくなって、長い抱擁を続けた。
やっぱり、幸せだ。
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