2人で恥じらい捨ててみる?
僕の生活は物語が起こりそうな環境を元々持ってはいた。
父親がゲイバーを経営しておりそこでバーテン・ボーイとして働いているし。
それから大学でのゼミは『いじめ経営学』なる奇妙で希少な分野をぶち上げたアラサー美女准教授のゼミだし。
ついでに僕はギターをまあ一応弾けて、食えるか食えないかのギリギリではあるけれども一応プロのバンドのステージに飛び入りしたこともあるし。
それから、末期ガンの最期の時期に死を恐れ悲しんだ母さんに請われて神社をいくつも参拝して回った名残で今も僕は神社仏閣を日常的に巡るし。
それだけで物語の始まりには十分な要素があると思っていたけれども、ひとつ足りないものに今は気づけた。
小倉姪さんだ。
女の子、とか彼女とかいう概念ではなくって、僕の物語の始まりには、小倉姪カミツカエという特定の個人が必要だったんだ。
その小倉姪さんと、エピソードとして過分な程のイベントが降ってきた。
「ラジオ出演!?」
ほほー、とカナさんの報告にゼミ部屋が沸き立った。
ざわめきが落ち着いたところで井ノ部さんが訊く。
「誰が出演を?」
「月出くんと小倉姪ちゃん。あと、バンドです」
「あ、バンドもですか?」
「はい。ライブというわけにはいかないですし流す曲も彼女たちの過去曲ですけれども、このプロジェクトそのものの進捗状況を今から広めておくんです」
「全国ネットですか?」
「シティFMです。ですけれどもストリーミング放送が検索されれば反応してくれる人がそれなりにいるんではないかと」
カナさんと井ノ部さんがとんとんと話していると矢後が恐る恐る声を出した。
「あの、カナさん。僕らは・・・」
「マイクの前に座れるのは月出くん、小倉姪ちゃん、バンドからはミカゲちゃん」
「え。あの子だけですか?」
「あら、小倉姪ちゃん。何かまずかった?」
「いえ。大丈夫です。ミカゲちゃんが月出くんに触れないようにわたしが押さえ込みますから」
「月出くん、男冥利に尽きるわねえ・・・」
「いえ。僕はミカゲには相手にされてませんよ」
「わ」
「な、なに? 小倉姪さん」
「下の名前を呼び捨てだ」
「あ、ああ・・・まあライブハウスの客として
「うーん、ジェラっちゃう」
「小倉姪さん、正確な日本語使おうね」
僕の人生がどんどんイベントで満たされていく。好ましいことだ、とは思う。
けれども一抹の不安は抱く。
こういう状態が恒常的になってしまうと、これら一連のイベントが終わった時の虚しさに僕は耐えられるだろうか。
僕としては前夜祭がずっと続く状態が心地良いんだけどな・・・
ともあれ、個々のイベントたちは確実に期日が来る。
ラジオ収録の日がやってきた。
「月出くん。結局ゼミもバンドも全員で来ちゃったね」
「まあ、出演するのは3人だけだけど、こんなことなかなかないからね。ブースから応援してくれるのも心強いよ」
収録スタジオは驚くほど狭い。なんというか映画やドラマなんかで見る警察の事情聴取室みたいな雰囲気だ。
そしてパーソナリティはヒデトさんという地元フリーペーパーの編集長。40代の渋い男性だ。
『ヒデトのノベル&ポエム』というこの番組は毎週水曜の夜7:30から放送され、タイトル通り、ヒデトさんの個人的な読書体験からお気に入りの小説や詩を紹介する。
本来の番組の趣旨からは少し外れるけれども、ヒデトさんは僕らのプロジェクトに、一応は学術論文でありながら文学やアートの感覚を持ってくれているようだ。
それが、嬉しい。
スタッフさんを混じえての軽い打ち合わせを済ませると、ヒデトさん・ミカゲ・小倉姪さん・僕はブースに入ってマイクを取り囲むようにテーブルで向き合った。
「こんばんは、ヒデトです。今日は学術論文をラノベの出版社から上梓しようとしているプロジェクトの紹介です。お若いゲストをお三方迎えております。では、皆さん、自己紹介をお願いしまーす」
最初は僕だ。緊張するな・・・
「
「月影寺というお寺で僧侶やってます、小倉姪です。月出くんとの縁あって井ノ部ゼミにお邪魔する身となり、今回の論文を共著させていただいてます」
「
みんなよそ行きの自己紹介から始まった。
ヒデトさんはさすがで、実に簡潔に分かりやすく僕らの論文プロジェクトがいかにユニークであるか、バンドのかっこよさ、いじめを根絶するためにできることはあるのか、などを僕らから引き出し、自らも語ってくれた。
憧れる大人像の一人だ。
そして、最後の論点、僕と小倉姪さんがカップルでその共著であるという点を締めくくりに持ってきた。
「月出さん、小倉姪さん。おふたりはいわゆる彼氏・彼女っていうことなんですよね?」
一応打ち合わせでは僕が『そうだ』という風に答えることになっていた。けれども、僕が口を開こうとするより一瞬早くミカゲが喋り出した。
「
「えっ・・・」
僕も小倉姪さんも、回答すべきでない人物が、質問の答えになっていない内容をいきなり喋り出したので絶句してしまった。ミカゲの方は弁舌滑らかに喋り続ける。
「日昇光はバンドがやりたいんだからほんとはウチらと居た方が幸せなんだよ。論文なんか書いてるよりさ」
小倉姪さんがようやく反応する。
「ミカゲちゃん! そ、そんなことないよ!月出くんは論文が楽しいはずだよっ!」
「そうかな? 大体、日昇光が自分からこんなテーマを思いつく訳ないしこういうことを書きたいんじゃないと思うんだけど」
「う・・・それは・・・井ノ部さんの業務命令で。あと、わたしの・・・」
「僕は書きたくて書いてるよ」
つい、口をついて出た。
「理由は、さっきヒデトさんが言った通りだよ。僕と小倉姪さんが恋人同士だからさ」
公共の電波に乗った!
「へ、へえ・・・じゃあ、日昇光。小倉姪との愛を語ってよ」
「え」
「わたしはできるよ。
ミカゲ。
どういう意図なんだ?
けれども今僕がやるべきことは小倉姪さんと僕との間にある気持ちのつながりをそのまま伝えること。
ラジオの前にいる人たちに向けて。
「僕は、小倉姪さんを初めて見たときの感情が未だに忘れられない。この人をなんとか理解したいって強く感じたよ。そのかなりの部分は分かってきた。けれども、本当に肝心な部分はまだ謎のままだよ」
僕はごく簡単にこう語った。どうすれば自分の小倉姪さんへの思いをリスナーたちに伝えられるのかと。気がつくといつものように風景や感情を小説の描写のように伝えている自分がいた。でも、風景や自分の感情を純文学的にシリアスに描写することはできても、僕の恋愛感情を激情を持って伝える、という作業はやったことがない。
どうすればいいんだ?
僕が次の言葉を迷っているとヒデトさんが、そっと手を差し伸べてくれた。
「月出さん、これはラジオです。もちろんブログも開設してるしツイッターのアカウントも持っている。今、収録風景を写真撮影している通り、あとで公開します。だから、ここにいる皆さんの顔もいずれ分かります。けれども私はそれをよしとしない。もう一度言います。これはラジオです。月出さん、あなたがそれほど大切に思っている小倉姪さんの容姿を、言葉で描写していただけませんか」
凄い人だ。
同時に、ラジオというメディアが今でも有効な理由が分かった気がした。
そう言えば僕がギターを弾き始めるきっかけになった、バンドの曲を、僕は最初にラジオで聴いた。その音だけで衝撃だった。映像情報はないけれども、彼らの音楽がすべてを表し切っていると思った。
いや、曲、っていう概念じゃないな。
ギターのリフレインのワンフレーズだけで涙が滲むようなそんな音だった。
こんなギターが弾けたらいいな。
一目惚れならぬ、一聴惚れだった。
僕の小倉姪さんに対する感情も、彼女の号泣する音声に一聴惚れだったのかもしれない。
じゃあ、僕は、自分の声と言葉だけで、ラジオを傍らにするリスナーに、小倉姪さんの容姿を伝え、一聴惚れにさせてみよう。
そして、みんなから羨まれる僕と小倉姪さんになろう。
「小倉姪さんの頭髪は、直毛です。黒くてしっかりとした毛根を持った日本人形のそれに近いものです。今の彼女の髪型はごく短いです。眉は太い。特にハサミなんかを入れていない彼女の横にまっすくな眉が僕は気に入っています。目はぱっちりとしたややツリ目。二重はそこまではっきりしていなくって、奥二重に近いかな。それでいてまつげがとても長い。エクステ等していないけれども普段からきれいな曲線を描いて、ツン、と上に反っています。閉じるとそのまつげが瞬きの動きとリンクしてすっ、と下を向く。その動きがとても自然で美しい。鼻は控えめで自己主張が少ない。その下に割とくっきりした窪みがあって唇がそう距離を置かずに整っています。あ、僕はその唇に、何度か触れました。指でも、自分自身の唇でも。顎のラインは尖らず丸すぎず。首はやや長めです。今は短い髪なのでうなじが僕の目に眩しい。胸は・・・そうですね。コメントしづらいですけど、豊か、というよりはその胸周りに温かさを感じます。僕は彼女の乳房と乳房の間の胸板のあたりに、とっ、とおでこをくっつけるのがとても心地よい。色々な物事に疲れ果てたり、過去の辛い出来事を思い出したりした時にそうすると眉間の力が温められながら蒸発していく感じです。足は・・・どうなんでしょう、長短ではなく、彼女の小柄な躯体に応じたバランスがとられていて、実際の長さ以上に長く見えます。特にこれと言ったスポーツを常時する訳ではない小倉姪さんは、だけれども、子供の頃からお寺の仕事でずっと正座をする習慣が身についていたからなんでしょう、正座による姿勢のよさから、腰回りやお尻はその付け根から太もも、ふくらはぎ、足首、それから足のつま先、足指の形に至るまで、とてもシャープで、それでいて女性らしい柔らかな曲線も併せ持っていて、僕は彼女のシルエットを鑑賞するのが本当に日常の癒しになっています。僕にとっての彼女は美人です。いえ。おそらく、大切な異性を持つ人・・・僕はゲイバーでアルバイトしてますからあるいは大切な同性を持つ人も、その相手の魅力を引き出すのは自分自身の感性なんだということを、僕の小倉姪さんの描写で感じていただけたら本当に嬉しいです。僕は僕自身の努力で小倉姪さんの魅力を毎日引き出しています。ですから僕の目の前にいる小倉姪さんは日々美しくなっていく。どんなに年を経たとしても、彼女がおばあさんになったりあるいは肥満したり病気で肌が黒ずんだり、心が荒んで目つきが険しくなったり、反対に悲しみでいつも泣きじゃくっていたりするようになっても、僕は彼女の美を僕自身の感性でもって引き出し続ける自信がある」
時間にして3分間。
ちょうどポップ・ミュージックを一曲奏でられる時間を使って僕は小倉姪さんの美を讃えた。
周囲の反応は・・・
「ブラボー!」
ヒデトさんが声を上げ、手を叩いてくれている。
ガラスの向こうで収録を見学しているゼミのみんな、
僕はミカゲに言ってみた。
「ミカゲ、ありがとう。僕のインスピレーションを駆り立ててくれて。どうだい? 君の詩やギターに釣り合うぐらいの言葉だったろうか?」
ミカゲは区切りをつけるように足を組んで、それから答えてくれた。
「聴いてて恥ずかしくて涙が出そうになったよ。すげえよ、
ミカゲはそう言って、ふっ、と微笑んでくれた。
最後に僕は小倉姪さんの目を見つめた。
「わたしも・・・わたしもラジオの前のみなさんに告白します。わたしは月出くんが好きです」
小倉姪さんはその告白の言葉に続いて何度か瞬きをした。そして、次の言葉で締めくくった。
「愛してます、狂おしいほどに」
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