2人で動画撮ってみる?

 どうしようか。


 ニヤけが止まらない。


 マンションで父さんと一緒に朝ごはんを食べながら自分の表情が今どうなっているのか気にかかる。


「日昇光、食うかニヤけるかどっちかにしろ」

「え? ニヤけてた?」

「ああ。初めて見たぞ、そんな顔。何があったんだ?」

「何もないよ?」

「うーん、そう言えば母さんが」


 ん!?


「日昇光が生まれて俺がお前を抱いた時、母さんからニヤけてるって言われたな」


 セーフ。でも当たらずも遠からずというか、父さんと母さんってなんかいい感じだったんだな。

 生きてる間はそんなこと意識もしなかったけど。


 朝食の後片付けを終えて洗濯物を部屋干しして除湿機のタイマーセットして。ついでに父さんしか名前を知らない鉢植えの紫の花に水をやってからようやく大学へ出かける。父さんは店の賃借契約の更新だとか言って不動産屋の事務所に出かけていった。


 さて。

 昨日の今日だけど、僕はまた小倉姪さんに会う。今日は首肯社のZさんがゼミ部屋まで来てくれて、井ノ部さんとゼミ生全員で論文出版の細部を詰めるのだ。当然出版が決まったわけじゃなくって、その打ち合わせを元にZさんが首肯社でプレゼン・編集会議・内部決裁を経て出版に向けて動き出すこととなる。でも僕はそれどころじゃなかった。

 キャンパスの入り口で小倉姪さんを待つ。なんとなく1日の最初は2人きりで顔を合わせたかった。


 あ。

 来た!


「こ、小倉姪さん、おはよう」

「あー、おはよー、月出くん」


 しゃーっ、と片足ペダルになって僕のところまで自転車を滑らせてくる彼女。昨日までは容姿とパーソナリティとセットで魅力的だと思ってたけど、どうしんだろう僕は。

 顔もとてもかわいい。


 これが恋ってやつなのか!


「どう?」

「え? どうって、なにが? 月出くん」


 あれ?


「いや、なに、ってその・・・」

「ふふっ」


 笑みをこぼして彼女が僕に顔を寄せて囁いた。


『眠れなかった』


 その後また続きを言ってくれた。


「嬉しくて」

「ぼ、僕も」


 恥ずかしいのを頑張って言ってみた。


「嬉しくて、眠れなかった」


 ゼミ部屋に2人して入って行くとZさんも含めて全員揃っていた。井ノ部さんがさすがだな、と思うフリをしてくる。


「どうしたの?」


 一瞬間を置いて小倉姪さんが答える。


「えー? どうもしませんよー」

「キス、しました」


 沈黙が5秒ほど続いた。

 僕が場を仕切った。


「だから、小倉姪さんは僕の彼女です。一応みなさんにお知らせしておきます」

「・・・そう。おめでとう」


 井ノ部さんの言葉の後、また、沈黙。

 小倉姪さんは俯いたままでじっと自分のスニーカーのつま先あたりに視線を置いている。彼女の反応が普通すぎるのがちょっと気にかかる。

 今度はZさんが沈黙を破った。


「そうですか。分かりました。その方が私も純粋に作品のクオリティに集中して判断できます」


 マジメな打ち合わせが続いた。

 小倉姪さんは独学ながらマーケティングを一通り勉強したと言っていた。Zさんも出版業界で日々ギリギリのコスト管理と作品の可否の判断をしているので、純粋な学術的視点からも全員が同じ水準で議論が進められた。


 ただ、普通すぎる。

 特にあの頓着の無い小倉姪さんの自由な発言がほとんど無かった。


「じゃあ、これで会社に持ち帰って編集会議でプレゼンしてみます」

「あのっ!!」


 Zさんが締めようとした時に、小倉姪さんが声を出した。腰を浮かせかけていたメンバーがもう一度ちゃんと坐り直す。そして小倉姪さんの次の言葉を待つ。


「動画、作りませんか?」

「動画?」


 即座に反応したのはZさんだった。


「確かに小説もプロモーション用の動画を撮ってネットで配信したり、書店の平台のモニターで映し出したりしてます。手法のひとつではあると思いますが」

「恋愛ラノベ風にやるんです!」


 全員が疑問符を発した。

 そして、やっぱり小倉姪さんだ意味が分からん、と全員が全員思った。この僕でさえ。


「恋愛ラノベって・・・これは一応学術論文でしょ? そりゃあラノベ一筋の僕が興味を抱くくらいだから小倉姪さんの論文は斬新でジャンルの壁を超えてますけどね」

「Zさん、論文です」

「すみません、失言でした」


 小倉姪さんは席から立ち上がってホワイトボードの前に進み出た。マーカーを手に取りシャーっ、と曲線を引いた。


 ♡


「ハート?」

「そうです!」


 それからその下に三角形と縦線を引いて、左に『月出』、右に『小倉姪』と書いた。


 全員、あまりの恥ずかしさに視線をテーブルの上に巡らせる。矢後・金井などは2人同時にコホン、と咳払いした。井ノ部さんも恋愛経験僅少だと推測され、しきりにこめかみを揉んでいる。


 でも、一番恥ずかしいのはこの僕だ。

 背中に冷たい汗すら滲んできた。

 けれども部屋の全員が気恥ずかしさにハマればハマるほど、小倉姪さんは弁舌滑らかになっていく。


「月出くんとわたし、属性もぜーんぶ晒した上でプロモーションかけるんです。カップルの共著だってことも全部出して」


 金井が


「で、でも、逆効果じゃないかな。例えば僕みたいに彼女いない男子とかから妬まれたりとか」

「わたしと月出くんだからできるんです」


 またも全員疑問符を頭に浮かべる。けれども小倉姪さんは許してくれない。畳み掛けるように、びしっ、と指差して金井を指名する。


「金井さん。わたしの顔って、どう?」

「え? どうって・・・」

「かわいい?」

「・・・・・・」

「次、矢後さん!」

「は、はいっ!!」

「わたし、かわいい?」

「いやその・・・まあ・・・」

「そういうことです。少なくとも生まれてこのかた容姿だけ抜き出して褒められたということがありません。おそらく月出くんも同様で、もしかしたら今日初めて‘かわいい’なんて浮かれて思ってくれてるぐらいのもんでしょう」


 ど、読心されてる!


「でも、いいの? あなたのお寺は恋愛禁止でしょう? おばあ様に知られたら」

「恋愛禁止ですけど結婚禁止じゃないですよね。大体おばあちゃんだってやることやってるからお師匠が生まれてわたしも生まれてるわけで」


 またみんな下を向く。


「これはZさんがヒントを与えてくれました。Zさん、ありがとうございますー!」

「い、いえ。どういたしまして」

「では皆さん。善は急げ! 早速撮りましょう!」


 小倉姪さんは強力なリーダーシップを発揮する。そのまま全員ゼミ部屋を出てキャンパスの芝生に向かう。

 冷静になった僕はそこでようやく気づいた。

 小倉姪さんは僕の過ちを帳消しにしてくれたんだと。

 僕がそれこそ中学生のようにZさんへの対抗意識と小倉姪さんを独占したいという気持ちとで不用意にキスしたなんて言ってしまってゼミがバラバラな空気になりかけたところを小倉姪さんはその剛腕で一気に修復してしまったんだ。


「ごめんね、小倉姪さん」

「? なんのこと?」

「いや・・・ありがとう」

「ううん、わたしこそありがとうだよ。こんなわたしを愛してくれて」


 すごいな、小倉姪さんは。こんなことをさらっと言えるんだから。


「はいはいはい、井ノ部ゼミでーす。これから論文プロモーション用の動画を撮影しまーす。エキストラで出演したい方、ここに集まっててね!」


 小倉姪さんが大声を出すとその辺を歩いている学生たちがわやわやと芝生のところに寄ってきた。


「Zさん、とりあえず首肯社や出版とは関係なく井ノ部ゼミのプロモーションってていにして撮影して、できたらそのままSNSで流します。それ使って編集会議で頑張ってくださいね」

「わかりました」


 小倉姪さんから趣旨説明も受けてさっそくスマホで撮影開始。撮影は矢後、被写体は主に小倉姪さんと僕。ただ、小倉姪さんはゼミの全員が参加しないと意味がないと主張して、井ノ部さん、矢後、金井も登場させる設定とした。この辺は人心の機微というか、お寺の坊さんとして実務におけるマネジメント力を磨いてきた小倉姪さんならではの発想だろう。


「月出さん、小倉姪さん、もっと距離を詰めて」


 監督みたいな感じで井ノ部さんが僕らに指示を出す。


「月出くん、キスシーンは?」

「え、いや、あの・・・」

「じゃ、ハグぐらいにしとこっか」


 そう言っていきなり僕の真正面に立って、腕をきゅっ、と背中に回してきた。


 アドリブのハグだ。


 このままじゃ絵にならないな、と思って咄嗟に僕も彼女の背中に手を回して、きゅっ、と軽く抱き寄せた。


『ダメだ。こんなんじゃ我慢できない』


 僕はギャラリーがいることなど関係なく、ぎゅっ、と力を込めた。

 目を閉じて抱擁する2人。


「もっと、ぎゅーっ、てして」


 小倉姪さんがそっとつぶやいた。

 彼女の望むようにしてあげたい。

 腕が痛くなるぐらいに力を込めて、ぎゅーっ、と抱きしめた。


「おおーーー!!」


 ギャラリーが歓声を上げ、拍手を鳴らしてくれた。

 その様子も余すところなく撮影する矢後。ナイス!


 そして、顔を僕の胸に埋めたまま、演出と関係なく小倉姪さんがつぶやいた。


「好き」

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