終わりと始まり

廊下を駆ける。

理由は急いでいるから。

普段は絶対にしない。

でも、この時ばかりはそうせねばならないと思った。

目的の部屋の前に着く。

扉の前で大きく息を吸い、昂ぶった息を落ち着かせる。

そして、彼女は扉をキッと睨み、開け放った。

飛び込んで来たのは白。天井は無く、ただ雲のような白が支配している。

この部屋——庭にいたのは、一人の男と、その男のそばにある青と白の天球儀だ。

「おや、こんなところに貴方のようなお方が来るとは……」

その男は白と緑の法衣に身を包み、黒の錫杖を携え、天球儀に親友の肩に手を置くかのように体重を預けている。金の瞳からは慈愛に満ちた光が宿っていた。

しかし、その光の中に得体の知れない虚無が感じられた。

「今、あなたが何をしようとしてるのかわかってる?!その天球儀から離れなさい!」

この庭は、世界の中心。この世界の理と心を司る祭壇。本来ならば両者共に踏み入られる場所ではない。

しかし、それを咎めるものはとうに消えている。

「えぇ、分かっていますとも。そうでなければ、こんなこと出来るはずもない。これは私が為さねばならないこと。たとえこの身が朽ち果てようとも……」

男は天球儀を撫でながら物憂げに溜息をつきながらそう呟いた。

「あなた、おかしいわ。この世界に対する冒瀆よ!?どうしてそんな平然としてられるの!いいからこの庭から出ていきなさい。」

「誰がその"冒涜"を決めるのでしょうねぇ?この世界にとってより良いことを、私はしようとしているのですよ?それを冒涜なんて一言で済ませられるのは心外ですねぇ。今の因果律は歪みすぎです。もう手の施しようがない。創造神はお隠れになり、調停の神は衰え、破壊神に至っては力を喪った……。愛はこの地から消え、和はただの停滞に成り下がった。もともと、終わりは定まっていた。それを認めずに引き伸ばしてきたのは単にあなた方の傲慢でしょう?終わりへと踏み出せもしない神々に、引導を渡すのです。この天球儀を使ってね。」

男の言っていることは事実だ。もう輪廻を回す土台は崩れ、魂を集約する機能も止まった。残ったのはどうすることも出来ない神々たちだ。

それでも、彼女はそれを認めることは出来なかった。自分たちがしてきた事になんの意味も無いと突きつけられた。自分たちの献身を傲慢だと笑われた。それは耐え難い屈辱だった。

「貴方に何がわかるの!えぇ、確かに世界は終わるのかもしれない。だけど抗って何が悪いの?私たちの努力を簡単に一言で片付けないで!」

「確かに、あなた達の抗いはきちんと世界に響いていた。でも、もはやこれまでです。世界が私という概念──反転の神を作り出してしまったのですから。それくらい、分かるでしょう、天啓の神よ?」

そう、彼女──天啓を司る神は見えていた。反転の神がこの庭に現れ、世界を終わらせようとしているのを。だからここに駆けつけたのだ。

「世界を反転させることがどういうことが分かっているの?この世界は完璧だった。なら、このまま終わりを引き伸ばしながら終焉を迎えればいいじゃない!“終わり”を反転すれば、“始まり”になるのよ?!また、この世界を繰り返すの?!」

彼女の慟哭に近い訴えを聞き、彼は呆れたような目線で彼女を見る。

そして両手を天球儀につき、決定的な言葉を口にした。

「天啓の神の目でこれでは、もう話す余地もありません。因果が歪んだ分、少しは次の世界は報われることでしょう。──『反転』」

突如、空間にヒビが入った。天球儀を中心に、周りのものがすべて吸い込まれていく。

「あー、そうそう。あなたには“前の世界の”失敗の贖罪として、天啓の責を果たしなさい。次の世界には大きな変革が訪れる。和も愛も少ないが、秩序と混沌がそこにはあり、因果律は正しく保たれるでしょう。それを見届けるのが、あなたへの贖罪です。」

彼女以外、男も含め全て吸い込まれていく。

そして全てを吸い込んだ天球儀は、1つのとても小さな球体になった。

そこで、彼女の天啓はこの球体の行く末を伝える。確かに、愛も和も少なく、秩序の中に混沌が混じるが、そこには明確な終わりは無かった。男の反転は世界の性質をも反転させた。

球体は急速に膨れ上がり、光を作り、世界の果てに向かってどこまでも広がっていく。

愛と和に溢れ、秩序しかなく、停滞していった自分たちの世界。

混沌もあるが一握りの愛と和に支えられ、いつまでも続いていく新しい世界。

彼女は星が瞬く世界を漂いながら、新しい世界を眺めていた。


いつまでも。

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