9章 ウケイレ、トマリギ

第32話 そして空っぽ少女は

 いつかきたる日のキミのため、"今"を残すことにした。


「ひどいこと、言っちゃった」


 一人、少女が泣いている。


「あんな、でも、だって……」


 少女は混乱の坩堝るつぼにあった。

 取り乱しこそしてはいないが、自室のベッドの縁に座ったまま、うわごとのように呟いていた。


「楽しくて、嬉しくて、悲しくて、寂しくて、でも幸せで、泣きたくて、つらくってっ」


 ぽつりぽつりと、脈絡がないような感情を表す言葉の羅列。

 しかしそれは少女が感じたありのままの感情だ。


「一緒にいられるのにっ! ……会えないし、触れられないし、届かない!」


 このプログラム――二人暮らしは、多感な年の頃である被験者の少女を、恐慌におちいれるには十分な現実だ。


「……分からないよ。や、分かるけど……私がくうちゃんになるなんて」


 少女は幼い頃から入院生活を余儀なくされてきた。

 同じ年の子らが学校に通っているだろう時間。る日も来る日も様々な検査を受けてきた。

 だから、少女に友達はいなかった。


「とっても、とっても怖かった。どうして? ねぇ、なんで笑ったの? どうして、くうちゃんは笑えるのっ?!」


 ずっと一人ぼっちだったから。もしかして、これで笑えることが普通なのかもしれないと、そのような考えに至ってしまう。

 それでも、と。そのような考えを振り払い、激情のままに叫ぶ。


「私はだから、でも、だってっ」


 吐露される想いは、もはや意味を成していない。


「くうちゃんは! ……その、いっつも私が頼ってばっかりだったから、本当のところでどう思われてたのかなんて知らないけれど、でも、私は!」


 No.9は――それがバイオロイドという作られたモノであろうが――初めて出来た同年代の知り合いであり、メイドであり、友達であり――これがそうとは知れないが、それでも初恋の相手だった。


「くうちゃんがそばにいてくれて。ううん、私なんかを、くうちゃんのそばにいさせてくれて。とっても、嬉しかったの」


 少女は、自身の無力を知っていた。

 少女は、自分が役立たずであることを理解わかっていた。

 無価値であることを、誰よりも自覚していた。

 お荷物であることを真の意味で理解していたからこそ、余命を告げられた時、このプロジェクトに手を挙げたのだ。


「その……。一緒にテレビを見たり、漫画を読んだり、話しながらベッドに入って、そのまま寝たり……。全部、全部初めてだった」


 少女にはもう、見舞いに来る家族という存在はいなかった。

 夢という形で少女の前に現れることはあったが。控えめにいっても幸せな悪夢だったに違いない。


 なぜなら少女は泣いたのだから。


「うまく、できなかったんだ。もっと、もっとうまくできてたら、こんなことにはならなかったはずなんだ。もっと、その、テレビとか、漫画とか、こういう時はこうすればいい、こうしようって、そう勉強していたら!」


 これまでずっと自身を無価値、ゼロとみてきた少女は遠い世界に憧れた。

 物語を読むとき、自分を主人公として投影するタイプと第三者の視点から俯瞰するタイプの人がいる。

 少女には、自身を物語の主人公として投影することは無理だった。

 冒険に出て、ライバルと共に切磋琢磨で魔王を倒す? 学校一のイケメンと知り合って、彼の秘密を知っちゃって。ドキドキワクワクの恋をする?


 ――私なんかが?


 少女が俯瞰するタイプになったのは必然だったのだろう。

 人並みの暮らしが送れるだなんて思ってはいなかった。

 幸せになれるなんて思わなかった。

 けれど。

 いつか来る終わりの日まで、ただその幸せな世界に触れてたかった。


 それが、少女に対するの見立て。

 プログラム開始時点から、こうなることも見えていた。


 だから何度も少女には、プログラムをいつ中止してもいいと言ってきた。

 その決断を下しても、少女にペナルティはない。

 なぜなら、それならそれで「精神的な負荷に耐えられず移植を中止した」という結果が出るからだ。

 現時点ではどうしても医療用バイオロイドは被験者と共に暮らし、数週間はデータを収集する必要がある。

 被験者の普段のデータ。それを収集する為にも、バイオロイドへ脳移植というショッキングな事実は知られるとまずい。

 将来的には事前収集のデータだけでバイオロイドへの移植が出来るようになるだろう。実際にバイオロイド自体が収集する必要がなくなれば、精神への影響もある程度抑えられると見込まれる。


 ただしそれは、今ではない。


 現状のプロトタイプでは、直接バイオロイドが集めなければ確度の高いデータを得ることは不可能だ。ゆえに、被験者にショックを与えてしまうことを避けることができない。

 事前にそのことを伝えたうえで参加してもらう、そのアプローチも検討された。しかしそれではバイオロイドに対し身構えられてしまう。生のデータとして取り扱うことに疑念が生じ、プログラムに対する信頼性まで揺らいでしまう。

 で、あるから。このタイミングでの告知が裁量だった。


 今回のプログラムは多感な年頃の少女が被験者であるために、中止という選択をとるかもしれないことは、リスクとして事前に挙げられた。


 しかし、移植をしようがしまいが、私はどちらでも構わない。

 少女はプログラムを破棄するだろう。

 しかし、この感情の変遷が、思考回路の過程を知ることが、とても大きな収穫なんだ。


 ゆえに――


「ねぇ、穂乃香さん」


 少女の声音が変わったのは、No.9か自身の命、どちらかを諦めたからだと思ったんだ。


「私にアナタを、買わせて?」


 結論から言えば。

 この時私は少女に買われることになる。


 少女の目は、ただただくらよどみでにごしていた。

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