第31話 さよならを。

 末那さまの選択になんとお答えしましょうか?

 いくら考えても堂々巡り、空回りしていました。


 先生は言います。


「今はそんな気分じゃないかもだけど、少し体を動かしてきたらどう? いい考えが浮かぶかも。自由時間を有効に使わなくちゃね」


 自由時間。物は言い様とはこのことです。


「くうちゃんから行ってみてもいいと思うよ。あくまで決めるのはくうちゃんだから」


 背中を押してくれる先生の気さくな言葉は優しいですが、近づかないでという末那さまの拒絶を打ち破るには至りません。


 誰にともなく言い訳します。

 決して、会いたくないということではないのです。


 会いたいです。声を聞きたいです。くうちゃんと、名前を呼んで欲しいです。

 けれどこの衝動に突き動かされてしまえば、遠ざけられている今よりも悪い方向に行ってしまいそうで。

『バイオロイドなのに主人の命令も聞けないの?』

 そんな風に言われてしまうことが、言わせてしまうことが私めには怖くてたまらないのです。


 ……いえ、末那さまのことですからそうは口にされないかもしれません。ですが、内心でどう思われているかなど私めに計る機能はございません。


 ただどう思われているだろうかを察することしかできないのです。それはなんて不便なのでしょうか。バイオロイドにはモニタリングするための機能が備え付けられているというのに肝心なところには手が届きません。


 末那さまは今、どんなお気持ちでいらっしゃるのでしょうか。

 あれだけ傍に仕えさせていただいていたというのに答えに辿り着きません。


 ぐるぐると同じところを回っています。

 ただ、そうですね……。私めにとって末那さまが、彼女だけが存在理由なのだと再確認致しました。


 こうしてお役目を外された今も、思い続けてしまうほどに夢中なのですから。


 これまでの日常が頭をよぎります。


 驚かれた顔。怒った顔。拗ねた顔。恥ずかしそうに頬を染められた顔。そして楽し気な笑顔。


 胸がじんわりと温かくなります。

 目じりが熱をもちました。……駄目です、私めが泣いてはなりません。末那さまを泣かせた私が、涙をこぼすなどあってはならないのです。


 私めは強くなければなりません。私めは末那さまのバイオロイドです。主人を守る、それが役目なのですから。


「姉さま、末那さまの体調は万全です」


 遊園地以降、末那さまのお付きをしている妹と中庭のベンチで落ち合いました。


「そう、ですか」


「はい、精神的な部分も落ち着いているように思われます。どうされましたか、姉さま?」


「どうとは」


「私の知る姉さまであれば、末那さまの体調が良いと聞いてそんな顔される筈がありません」


 ……確かにこれまでの私めでしたら、素直に喜んでいたでしょう。しかし、


「気にされてないのかと」


「気にするとは移植のことでしょうか?」


 同じように悩んでいるかもと思い嬉しくなったように。

 いつもと変わらないご様子なことに残念だと思いました。


「そちらも大事ですが――」


 はっとして口元を抑えます。……今、私めは続けて何を言おうとしたのでしょうか。


「……」


「姉さま?」


 妹が首を傾げ、こちらを覗きこんできました。

 しかし、気にしている余裕はありません。

 ――私めは末那さまの体調よりも、私めのことを話していなかったかが大事だと?

 優先順位が上であると?


「姉さま、姉さま」


「っ、はい、なんでしょう」


「本来、本日は姉さまが設定された移植日でした」


「はい。……性急すぎたのかもしれませんが」


 体調には波が存在します。私めが予定日として本日を設定していたのは、その波のなかで直近を選んだ結果でした。

 より慎重なアプローチをすべきだったと思いますが……あの時の私めは、どんな手術であれ治るのであれば、末那さまは両手を上げて喜んでくださると無条件に信じていたのです。


「姉さまは本日、どのように過ごされますか?」


 今はまだお昼過ぎといった時間です。


「そうですね……先生に散歩に出るよう進められておりまして――」


 この中庭も末那さまと来た思い入れのある場所です。あの時は揃いの服を着て、まるで姉妹のように中庭を散策し……。


「水族館か、遊園地に行ってみたいと思います」


「外出されるのですね。水族館、私も行ってみたいです。きっと色んな味が楽しめるのでしょう」


 妹は水族館を珍しい魚が食べられるお店と勘違いしているようでした。

 しかし訂正はしません。

 私めも最初の頃は末那さまにクジラ肉をお出ししました。

 きっと同じです。


「よければ妹も行きませんか?」


「私は末那さまのお付きですので」


「そう、ですね……。このようなことを言うのは大変烏滸がましいのでしょうが……、あらためて末那さまのこと、よろしくお願いいたします」


 任を解かれた私めが言えた義理でないですが、それでも心から願ってやまないのです。私めがどうであろうと、末那さまが幸せであること。それが一番です。


「はい、お任せください」


 妹はなんの気負いも見せずに頷きました。


「……では、これにて」


 もう話しておかなければならないことは残っていませんでした。

 本音を言えばまだ、末那さまについて事細かく聞きたいところでしたが。愚痴を溢してしまいそうで嫌でした。


 早くここから離れましょう。


 たしか水族館には、自身で泳ぐことのできない、もっと言えば海流に身を任せ漂うことしかできないクラゲという傘のような生き物がいました。

 プカプカと漂うことしかできず無力な姿は今の私めのようで……妙な親近感を覚えます。

 そちらでも見て心を落ち着けましょう。


「お待ちくださいお姉さま。つい先ほど、穂乃香さまが研究室に入られたのはご存じですか?」


「いえ……そうなのですか?」


 今朝お会いした時はいつもと変わりないご様子でした。


「はい、末那さまの部屋からこちらへと向かう際に、エレベーターでご一緒になりました。その時穂乃香さまから、これから研究室に入るから後のことをよろしく、と」


 朝はなにも仰っていられなかったので、またなにか突然の閃きがあったのでしょう。

 一度始められるとこもりきりでされるタイプですから、これから外出の許可を頂きに向かっても難しいでしょう。


「ですがご心配には及びません。穂乃香さまから、ご不在の間の許可任務代行を命じられております。お姉さまの外出はすでに承認しましたので、このままご出立ください」


「そう、ですか……ありがとうございます」


 代行の権限を任されたことは妹の成長を感じ、嬉しくありました。ですがそれと同時に、いよいよ私めの居場所がないとも感じ……複雑でした。


「配車も済んでおります。いってらっしゃいませ」


 妹に見送られ中庭を出ると、そのまま正面玄関に向かい車に乗り込みました。


「……静か、です」


 穂乃香さまは研究室に入られました。妹とは中庭で別れ、末那さまは言わずもがな、あの日、遊園地に向かった車内とはまるで様子が違います。


 寂寥感と無力感だけをお供に、水族館に向かいました。

 クラゲからシャチ、展示を見て回りますが何も心が動かないまま帰途に着き、病院の玄関前で下車すると、


「――おかえりなさい、くうちゃん」


 柔らかな声が、耳朶を打ちました。


「あはは、はは……。なんだか照れるね」


 恥ずかし気な表情が、目に映りました。


「ねぇ、固まってないでなにか言ってよ。むずむずしちゃうじゃない」


 目の前に、末那さまのお姿がある。

 末那さまに、求められている。


 それだけなのに、世界が一瞬で色づきました。

 様々な感情が氷解し、自然と笑みが浮かびました。


「くうちゃんってば、そんなまじまじと見られると……、ねぇ何か言ってよっ、なんでもいいからっ」


 いけません、望外の喜びに我を忘れていました。ですが、このようなときなんといえばよいのでしょうか。


 それまで空回りばかりしていた頭を再稼働して、懸命に答えを導きにかかります。


「――――ぁ」


「あ?」


「ありがとうございます」


「なにが!?」


 また声を聞かせてくれて。

 目の前にいてくれて。

 笑いかけてくれて。

 変わらないお姿でいてくれて。


 胸が張り裂けそうで、抱きしめたくなるのを抑えるのに精いっぱいで。だから、ありがとうございます。


 末那さまの選択にどう答えるか?

 それはもう些事に過ぎないことでした。


 私めくうはすでにむくわれた。

 それが答えでした。

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