第30話 前を向いて、
「あの研究者ときたら……、らしいって言えばらしいんだけど、でもなぁ……」
穂乃香さまにお叱りを受けたのは
末那さまからの連絡はなく……けれどこちらから出向けないため、もう一人の関係者、先生の元へと足を伸ばしました。
話をしたいと申し出ると、先生はお時間を作ってくださり耳を傾けてくださいました。
遊園地での末那さまとのこと。穂乃香さまにお叱りを受けた昨日のこと。全てを聞き終えた先生はやれやれとため息を吐かれました。
「……お手を
本来、誰であれ
「うぅん、くうちゃんが謝る必要ない、悪いのはあの研究者なんだから」
あっけらかんと言う口ぶりです。
「それでも、私めがこうして押しかけてしまったせいでご迷惑を」
「もー、くうちゃんは悪くないって言っているでしょ。私が保証する」
とても情けなく、穴があったら入りたいという気持ちです。
しかしそれと同時に、頼ってもいいのだと言ってくれた先生に安心感を抱いてもしてしまいました。
「……保証されてしまいました」
「うん、だからね、穂乃香さんのことはひとまず置いておいて、末那さんのことを考えよ?」
昨日、様子がおかしいのは私めだと穂乃香さまにご指摘を受けました。
しかし、先生は穂乃香さまが悪いと仰ります。
「………」
私めには良い悪いの判断基準が分からず、またその判断材料も乏しいなかで結論は出せそうにありません。
「まぁ厳密に言えば私は末那さんの主治医なんだけど、でも気にしないで? あなただって平等に患者なんだから」
重ねて気を遣われてしまいました。
「ありがとうございます。私めにはどうすれば良いのかも分からなくなりました……」
正解、不正解、当たりと間違いと。
「……へぇ」
「どうされました?」
「どうってほどでもないんだけど……、そんな顔出来るようになったんだなぁと思って」
穂乃香さまと似たようなことを言われてしまいました。
「やっぱり、嬉しいですか?」
「やっぱり?」
「穂乃香さまは嬉しいと仰りました」
先生は嫌そうな顔をされました。
「……もしかして私、あの研究者と同じこと言った?」
「同じようなニュアンスでした」
穂乃香さまは様子がおかしいという言い方でしたが、同じことを指しているだろうことは分かります。
「そっか。へぇ~、あの人にもまだ人間らしいとこがあったんだ」
先生もということは、人間は私めの様子がおかしいと嬉しくなる、ということでしょうか?
分かりません。
「ま、あの研究者のことなんか置いといて、こっちの話をしましょ? 喧嘩してしまった末那ちゃんと、どうしたら仲直り出来るか、だね?」
「喧嘩、と言って良いのでしょうか」
私めが至らないばかりに末那さまのご機嫌を損ねてしまった、というのが事実に近いと思います。
「喧嘩でいいんだよ、これも」
先生の目は優しげに細められています。諭すような、と言えば良いのでしょうか。
しかし、そうでないかもしれません。
「……かしこまりました」
判断がつかず納得もいきませんが、それでもそういうしかありません。
「ふふ、そんなに悩まなくてもいいのよ」
先生は笑います。どうして笑うのでしょうか?
いいえ、これが笑いなのでしょうか? 判別がつきません。表情をよむなど雑作もないことだったのに……今さらになって判断ができないなどありえないことです。
表情認識プログラムに未知の不具合があるのでしょうか。しかしそうであれば、たとえ私めが自己認識出来ていないバグがあっても穂乃香さまが見落とすなどありません。であればやはり壊れていないのでしょうか。
と、先生がこちらをじっと見ていらっしゃりました。
目が合うと、くしゅっと笑われます。
「また考えてたでしょ」
「申し訳ありません。やはり私めには未知の不具合が発生しているようです」
消去法ですが、そうでなければ理屈が通らないのです。穂乃香さまに完全スキャンを依頼しましょう。
「未知の不具合かどうか、私には分からないけど……重症ね」
「では早速」
穂乃香さまの元へ行きましょう。
「待って。診断してもらってもいいけれど、きっと対処方法はないわ」
「ではどうしたら……」
「あのね、私はくうちゃんが嫌われたわけじゃないと思うの」
「……」
「きっと末那さんはプログラムに驚いただけ」
「であれば、どうして接近禁止令なんて……」
単に驚いただけであれば私めを遠ざける必要などないでしょう?
「接近禁止令?」
「近づかないで、と」
以来、末那さまからのお声がけもなく待機状態が続いています。
「近づかないでって言われただけでしょう?」
思わず眉を
私めにとって、それはとても重い一言です。
「……どういう意味でしょうか?」
つい恨みがましい目で見てしまうのも仕方のないことでしょう。
「難しく考えすぎ。接近禁止令なんて大げさなことは言ってないし、もしかしたら末那さんだって今ごろ、おんなじようにしてるかも」
「同じように……」
それは末那さまのことで悩んでいる私めのように、末那さまは私めのことで悩んでいらっしゃる、と?
「……どうしてでしょう」
「なにが?」
「私めのせいで末那さまを困らせてしまっているというのに。じんわりとした温もりが胸に
この相反する二つの気持ちの名前を私めは知りません。
「ふふ、当てて見せよっか」
先生にはお見通しなのでしょうか。
「……よろしくお願いします」
いくら自問したところで私めには気付けそうにありません。
「自分のせいで困らせてしまった。でもね、裏を返せば心配してもらいたかった、ってことなのよ。少なくともその間はこっちを見てくれるから」
……。
「たとえばそれは、小学校に上がりたての男の子が、気になる女の子にちょっかいをかけてしまうように。分かる?」
「私めは決して、末那さまを困らせたいと思ったのでは――」
「うん、それは分かるよ。それでもね、末那さんが同じように悩んでるかもと聞いてホっとした……、ううん、嬉しくなったんじゃない?」
その問いかけを否定する材料を、現に安堵感を抱いてしまった私めは持ち合わせていませんでした。
「では、もし仮にそうだとして」
ちょっかいをかけた男の子が気になる女の子に理由はどうあれこちらを向いてもらえて嬉しくなるように。
「それはもう、恋と呼べるのかもしれないね」
「恋、なのでしょうか……。私めには判断がつきません。ですがもしこれが恋だとしたら、なんと辛いことなのでしょう」
人は、こんな辛いことを恋と呼ぶのでしょうか。どこが素敵なのでしょうか。
「また考えちゃってるでしょ」
先生は苦笑されます。どうして笑えるのでしょうか。笑うとは、どのような感情表現なのでしょうか。感情とは、なんなのでしょうか。
嬉しくて笑う? 悲しくて泣く?
しかし、嬉しくても泣くことがあることを私めは知ってます。
「もう、感情という回路すら分からなくなってきました」
「そんな難しく考えなくていいの。今はただ、何があってもいいように気持ちを固めることが大事よ。もしかしたら末那さんは、このまま二人暮らしを終わらせるかもしれない。それは私にも分からない。でもね、それを受けてくうちゃんがどうするかはくうちゃんが決めることよ」
末那さんが出した結論を、どのように受け止めるか。またその答え方。分かりません。そのとき私めはなんと返すのでしょうか。
「……こんなに思考をかき乱されるだなんて、知りませんでした」
弱音ばかりが
「知らなくて当たり前じゃない。初恋なんだから」
先生は笑います。結局この日は最後まで、にこやかな笑みを崩すことはありませんでした。
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