第29話 泣いて、

「あぁ、なにも間違えてはないよ。くうちゃんはプロジェクト二人暮らしの為に生まれたんだから。その役目を果たそうとするのはなんら間違ってはないさ」


「それならば……、良いのですが」


 夕暮れの遊園地。とまってしまった私達の時を動かしたのは、釣り堀から戻ってきた穂乃香さまと妹でした。

 穂乃香さまはこちらを一瞥しただけで状況を察し、


「末那、聞いてくれ! ヌシだ、私はヌシを釣ったぞ!」


 その上でなお、いつもと変わらない明るい声で末那さまに近づかれました。


「ほら、これがそのとき撮られていた動画だ。すごいだろ?」


 釣りの様子が収められたムービーを再生しているようでした。


「な、すごいだろ? これ、いよちゃんが疑似餌になってるんだぜ?」


 妹……。どうりでお風呂上がりみたいに濡れていたのですね。


「ほら、パクついた! こいつだ、これがヌシ! アロワナと言ってメーター越えのビッグサイズだ!」


 末那さまのお顔はまだ青白いですが、ぎこちないながらも声を返されているようでした。

 こちらまで聞こえてくるのはハイテンションな穂乃香さまの声だけですが、きっと末那さまも一時いっときよりは、心を落ち着かされたことでしょう。


「この映像な、釣り堀のスタッフが撮ってたんだよ。なんでもここの釣り堀ではスタッフがいつもビデオカメラを回しているらしい」


 釣り堀では一般的なサービスなのでしょうか? 釣り堀は未体験なので分かりませんが、同じ魚でも水族館にそういうサービスはありませんでした。


 もしイルカショーにあったなら、私めもその映像を求めていたでしょう。

 特に水を被った瞬間と、その後の末那さまを収めた別角度からの映像が見てみたかったです。


「すげぇの釣れた! って思ってたらスタッフが駆け寄ってきてな? 『おめでとうございます、ナイスファイト! こちら、ただいまの格闘を撮影した映像です、釣り竿返却時にお求めいただけますのでよければお申し付けください』だと。ッチ、思わず買っちゃったじゃないか」


 楽しそうに話されています。少なくとも、私めにはそのように見えました。


「穂乃香さま、ありがとうございます」


 ホッと胸をなで下ろしました。

 ふさぎ込まれる末那さまを前にして、いくら末那さまからのお願いとは言え見ていることしかできないのは胸がいとうございました。


 その後もなにやら話をし、末那さまをゲートに連れて行かれました。私めにはその際に穂乃香さまからジェスチャーで待機を命じられ、末那さまの背中を見送りました。


 それが昨夕のこと。

 別々で病院へと戻り、それ以降、末那さまの顔を見ること無く私めは穂乃香さま付きに異動されました。


「末那の元にはいよちゃんがついたからな。体の方もているし、今のところ生命兆候バイタルも平常だ。まったく、末那の精神力は見上げたものだよ」


 ここは穂乃香さまの部屋でした。

 間取りこそ末那さまのところと変わりませんが、飾り気のないシンプルで機能性重視の家具に、効率的な導線配置、また、巨大なディスプレイと散乱する書類に穂乃香さまが出ていました。


「どうしたんだい、くうちゃん?」


「どう、とは?」


 訊き返すと、穂乃香さまはこめかみを掻かれました。


「いや、なんだ、その……な?」


 天井を見てはこちらを見てを繰り返し、それで出てきたのが同意を求める言葉でした。


「な? とはどういう意味でしょうか?」


 主語が抜けており、判断しようがありませんでした。


「穂乃香さまが言い淀むとは珍しい」


 なにをお考えになられているのか分かりませんが、とても言いづらそうでした。


「その、なんだ。浮かない顔をしていると思ってな?」


「浮かない顔、とは?」


「顔を洗ってくるといい。洗面台はそっちの扉の先だから」


「はい、畏まりました」


 結局、穂乃香さまは何を伝えたかったのでしょうか。

 分かりません。


 促されて洗面台に向かいます。


 鏡に映された私めを見やります。穂乃香さまは私めを差し、浮かない顔と評されました。


 しかし。

 私めには、自分の顔がいつもの表情をしているようにしか見えません。


 けれど、穂乃香さまにはそう見えている。


 なぜ?

 どうして?


 原因は?

 対処方法は?


 見つかりません。


 みつかりません。


 分かりません。


 わかりません。


 もはや、分からないことが分からないという暗礁に乗り上げていました。


「……平気か?」


 背後から穂乃香さまの声がしました。こちらをいぶかる声音です。しかし、鏡を見ても分からないままの私めには、気の利いた返答などできません。

 なにを指して平気なのかも分かりませんが、分からないと言うことは平気ということでしょう


「はい、問題ありません」


 そう答えるしかありません。


「問題がない? く、くくく、あははははは!」


 と、それを受けた穂乃香さまが笑い出しました。


 なにが、笑えるのでしょうか。

 なにが、面白いのでしょうか。

 どうして、笑うのでしょうか。


 分かりません。

 分かりません。

 分かりません。


「あー、おかしい。あかん、涙出てきた……」


 穂乃香さまにとっては、涙が出るほど笑える状況らしいです。


「すまんすまん、そう睨まないでくれよ。つい嬉しくてしょうがないんだ」


 ひとしきり声を上げて笑られた穂乃香さまは、そのように言うとぺこりと頭を下げられました。


僭越せんえつながら申し上げます。穂乃香さまこそ、いささか起伏が激しいように私めには見受けられます」


「ん? 私はいつも通りだよ。そのいつもと違うのはくうちゃん、キミの方だ」


 穂乃香さまの目には揺るぎない自信が満ちておりました。


「浮かない顔と仰りますが、鏡の中の私めは至っていつもどおりの顔でした」


「ほら、そこだ」


 ビシッ、と指を向けられました。


「そことは。先ほどから曖昧な表現が多く、返答に窮します。明確にお願いします」


「くうちゃんはバイオロイドNo.9ナンバー.ナイン、私によってつくられた存在だ。そうだな?」


「はい、私めは移植用医療用素体、バイオロイドNo.9です。プロジェクト.二人暮らしの為に生み出されました」


 ナンバリングについては推測になりますが、私めの前にはそれぞれのナンバーをもった素体がいたのでしょう。

 彼女らの情報データ入力インプットされておらず、お会いしたこともございません。

 ですが、必要があるのであれば穂乃香さまから話してくれるだろうとも判断していました。

 ですので聞いたことはありませんし、私めから訊ねることもいたしません。


「つまり、どういうことか分かるか?」


「それが分からないから聞いているのです」


「そこだよ、そこ」


 穂乃香さまはまた目尻に涙を浮かべ、喉奥でくつくつと笑いを噛みしめられました。いささかムッとしてしまいます。


「具体的にお願いします」


 そこまでもったいぶった言われ方をされても分からないものは分かりません。

 私めは普通なのです。どちらかと言えば穂乃香さまが変なのであり、主語が抜けているのはそのせいでしょう。


「だからな、くうちゃん」


「はい」


 きっと、私めの困惑する様子をみてお楽しみにされたのでしょう。それ以外に考えられません。


「口ごたえしたんだ」


 ――――口ごたえ。上の立場の人に逆らって言い返すこと。


「そうだな、私に敵意を向けた、と言ったほうが分かりやすいか。バイオロイド風情ふぜいが、造物主であり管理者である私を邪険な目で見て言い返したんだぞ? くっくっく、これがどういう意味か分かるか?」


「…………」


「あぁ、黙ったか。本来、バイオロイドが黙るなんてあり得ないことなんだが……。分かるか分からないかの二択なのに答えられない。いや違う、。あぁ、なんて素晴らしいっ!」


「っ、いえ、突拍子のない問いかけにただ、思考中なだけでございました」


「であれば思考中と返す。なのに黙った。私に敵対したんだよ、バイオロイドNo.9という造物ツクリモノが造物主に」


「……」


「それにそう『いえ、突拍子のない問いかけにただ、思考中なだけでございました』だと? これがまた口ごたえをしているのだと気付いていないのか?」


「…………」


 申し訳ありません。

 ご容赦くださいませ。

 非礼をお詫びいたします。

 謝罪の言葉はいくつも浮かびましたがどうしてでしょう、口は重く、音を発してくれません。


「一度ならず二度、それに黙りこくっては、それを指摘されれば三度目の口ごたえときたもんだ。な、笑えるじゃあないか」


 謝罪など容易いことのはずなのに。

 なんでこの口は動いてくれないのでしょうか。


「あぁそうだ、勘違いするなよ? 私は怒ってなんかない。先ほども言ったが、その真逆だよ。嬉しくて嬉しくてしょうがないんだ」


 穂乃香さまは満面の笑みを浮かべておられます。

 きっと、嬉しいというのは心からの言葉なのでしょう。ですが分かりません。なぜ、穂乃香さまは嬉しいのでしょうか。


「あぁ、またそんな顔をして。どうして私が嬉しいのか分からないんだろ」


「お教えいただけますか?」


「ふむ、よかろう。心して聞け」


 廃棄されても仕方が無い振る舞いにも関わらず、穂乃香さまが喜んだ理由。


「それは?」


「口ごたえして、黙って、さらに言い返して。これはな、喧嘩ケンカっていうんだよ」


――――喧嘩。争いごと、またはいさかい。


「感情を持ち合わせていないロボットには不可能とされてきた行いだ」


 穂乃香さまは笑います。


「となればあとは立証だが、これは初期入力時との比較から始めて新しい回路、そう、人が感情を司る脳の部位である扁桃体に近い回路を構築しているかを確認するところからか……。だが、人が持つ扁桃体とは全く別の何かが生まれている可能性もある。となれば……」


 ブツブツと呟かれながら、思考に没入する穂乃香さま。

 そこには、研究者としての探究心が表に顔を出していました。


「ともあれ。なぁくうちゃん、これが面白くないわけがないだろう?」


 穂乃香さまは笑います。

 それは、私めに問いかけているようで。しかしその眼に私めは映っておりませんでした。

 その笑みは、笑顔よりもなおくらい、愉悦と呼ばれる表情でした。

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