第27話 その時きっと、

 カタカタと規則的なギア音が、少しずつ遠のいて。山のてっぺんに着いたコースター、ここからはもう、粒のようにしかみえず……それすらも、下りに入った途端に風を切って視界から消えていく。

 きゃーきゃーという悲鳴を頼りにそちらに目を向けるけど、手前のレール支柱が邪魔でどうなってるのか分からない。

 大丈夫、かな?

 あ、戻ってきた。ふらふらしてる人もいるけど、二人は……全然平気そう?


「穂乃香さん、くうちゃんお帰りなさい」


「ふははは、思いっきり叫んでやったぜ! くうちゃんも叫べば良かったのに、気持ちいいぞ!」


「いえ、私めにはとてもとても」


 穂乃香さんはやりきった顔で、くうちゃんはいつもの澄まし顔。


「くうちゃんが叫んでるとこなんて、ちょっと想像つかないな」


 うん、なにが起こってもくうちゃんだけはいつもの顔のままな気がする。


「だからこそだ末那! 見てみたいとは思わないか!?」


「そう言われたら、見てみたい、かも……?」


「末那さまがお望みであれば」


「ほらこの調子だ、面白くない。さて、次はどれに乗ろうかな」


 興奮冷めやらぬ穂乃香さんはもうすでに、次に乗るアトラクションを探し始めてキョロキョロしてた。


「よし、それじゃ次はあれ、あれに決めた!」


 穂乃香さんを先頭に、わいわい喋りながら巡る。

 私やいよちゃんはおとなしめな乗り物中心で、フリーフォールとかはもっぱらくうちゃんが穂乃香さんに付き添っていた。

 気付けばもう太陽は傾いて、観覧車が園内広場に大きな影を落としている。


「観覧車、乗りたかったけどな……」


 最後に乗るアトラクションにとっておいたのに、今、乗降口を臨時点検の立て札が塞いでいた。


「まぁ乗れないものは仕方ない。というわけで、私といよは釣り堀に行く!」


 もう少し悔しがってくれてもいいんじゃないか、とも思ったけど。残り時間も少ないし、楽しめるだけ楽しみたい気持ちも分かる。

 でもどうしてそこで釣りってことに?


「って、穂乃香さんは釣り出来るんですか?」


「ふふん、一通りのアウトドアは体験済みだ! これからが一番釣れる時間だし、ちょっと行ってくる」


 ほんともう元気だなぁ。あれだけ沢山乗ってきて、まだまだ有り余っているらしい。


「末那も来るか? 餌は……疑似餌かどうかは保証できないが、ここは遊園地だからな、ミミズってことはないだろう」


 釣りはしたことないし、ミミズとかが駄目ってことじゃないけれど。


「私は……、そこのベンチでのんびりします」


 もう少し、このまま観覧車を眺めていたい。


「そうか、それじゃ三十分くらい釣ってくる。くうちゃんは?」


 水を向けられたくうちゃんは、悩む素振そぶりも見せずに私の隣に並び立ち、


「行ってらっしゃいませ」


 穂乃香さんにお辞儀した。


「分かったよ、こっちはこっちでよろしくやってやるからな! 大物を待ってろよ!」


 ふんと気合いを入れて釣り堀へと向かう穂乃香さんを見送り、車椅子を畳んでベンチに座る。


「穂乃香さん、大物釣ってこれるかな?」


「どうでしょうか? しかし、穂乃香さまならあるいは、とも思います」


「そうだね、穂乃香さんだもんね」


「はい。もしかすると大物を釣り上げるまで戻ってこられないかもしれません」


 ありそうだ。


「それにしてもここ、魚釣りもあるんだね」


「はい。モールと遊園地が併設しており、釣り堀からゲームセンターまでございます」


 一日中、遊び回ることができるじゃん。


「末那さまは釣り堀、良かったのですか?」


「私はいいよ、休みたかったし」


 頬にあたる風が今日一日の熱をそっとさらって、安らぎを置いていく。


「くうちゃんは良かったの? 私はここにいるだけだから、心配しなくても平気だよ」


 夕陽に照らされて伸びた観覧車の影がゆったりと、地面に大きな円を描いている。ただぼんやりと眺めていようと思っていた。


「末那さまをお一人になんてできません」


「はは、ちょっとくらい大丈夫だよ、全然平気」


 それに待つことには慣れてるし、診察室の前なんかよりよっぽどここの方が良い感じ。


「末那さまをお一人になんてできません」


「どうして? 穂乃香さんといよちゃんと、それからくうちゃんの家族水入らずもいいと思うけど」


 もう閉園時間近くだから人も少ない。ここに座ってるだけなんだから、迷子になるなんてこともないだろう。


「お忘れですか、末那さま」


「なにを――」


 息が詰まった。

 見下ろせば、くうちゃんのひんやりとした手が私の手にそっと重ねられていた。


「こちらには、末那さまとのデートで来たのです。穂乃香さまや妹は、あくまでついででございます」


 夕暮れ時の遊園地。人がまばらになった隅に置かれた木陰のベンチ。そこで手を触れあわせ、見つめ合う二人。


「お忘れになられないでくださいよ」


 状況を理解した途端。ぼっと顔が熱くなった。

 くしゅっと笑うくうちゃんは、むぎゅむぎゅと私の手を楽しそうにもてあそんでいる。


「わ、わわわわわ」


 わなわなと口が震えて上手く言葉にならない。


「わ、忘れてないよ、うんっ」


 恥ずかしくてくうちゃんの顔を見ていられない。ぷぃっと顔をらしたさきに、ゆったりと回る観覧車があった。


「あーぁ、あれに乗れたら良かったのになー」


 点検なんてなければ今頃あの上にいたのかな。


「末那さま、こちらを向いてくださいませ」


「漫画やテレビでよく見るけれど、シメに観覧車乗りたくなる気持ちが分かったよー」


 遊園地デートの終わり際、あの上からの沈む夕陽はどう見えたのか。きっと特別な景色に違いない。


「末那さま」


「ん、くうちゃんどうかした?」


「本日はいかがでしたか?」


 くうちゃんの目は優しく細められていた。


「今日は……。いよちゃんの正体がばれないかひやひやして、全然気にしない穂乃香さんにやっぱり振り回されて、くうちゃんと一緒の乗り物に乗って、今もこうして手を繋いで」


 うん、観覧車に乗れなかったことも全部含めて、私はきっと最後の日まで今日のことを忘れられない。


「楽しかったよ」


 うん、楽しかったんだ。今日はもう終わるけど、寂しいとか悲しいだとか、そういう気持ちはこれっぽっちも浮かんでこない。

 ふわふわとしたあったかい気持ちに、ほっとした気持ちだけ。それが溶けて混ざり合っている感じ。


「それは、なによりでございます」


 風が吹き抜けていく。


「くうちゃんはその、どうだった? 私とのデート……」


 これを聞くのは恥ずかしいけど、でもやっぱり気になっちゃうし。


「はい、充実していました。この私めが抱いている恋は、先生に本物ではないと言われましたが。私めは偽物であれ、恋をすることができました。そのように、開き直って考えることができたことも成果です」


「それは……、良かった」


 開き直りとは言うけれど、くうちゃんのそれは諦めとは違う気がして。


「ほんとに良い日だったよ」


 今なら分かる。これまでの、検査と診察が繰り返されるだけの毎日が、どれだけつまらない日々だったのか。


「末那さま。こんな私めを受け入れてくださり、心からの感謝を。ありがとうございます」


「もう、くっちゃんってば。私こそなんだから」


 むず痒いよ。


「いえ、あまりに出来すぎていると思いまして」


「出来すぎている?」


「今日という一日が」


 ふと、遠くから鐘の音がした。閉園時間が迫っているし、退園を促す合図だろうか。

 リンゴンと鳴り響くチャイムと共に、ゆっくりとくうちゃんの言葉の意味を胸に落とす。


「そう、かもしれないね」


 私は車椅子で、いよちゃんは鳥で。何事もなく、全てを終えることができたのはとてつもない幸運だったのかもしれない。


「でもそれは、全部、全部くうちゃんのおかげだから」


 味を、外を、お喋りを楽しめるようになった。

 それに、真似っこなのかもしれないけれど……。三人娘のように、くうちゃんに、その。


 恋を知ってもらえた。何かを残すことが出来たんだ。


「末那さま、お伝えしとうことがございます」


「うん?」


「とてもいい状態です」


 なんのこと?


「末那さまの病です。進行が落ち着き、そのまま低速でコントロールすることができています」


 あぁ、それのこと。もう、全く気にしてなかったよ。


「くうちゃんのおかげだよ。今、とっても生きてるって気がしてる」


 あとどれくらい、今日のような日を過ごせるのかは分からない。でもきっと、最後はとびきりの笑顔でお別れできるんだと思う。


「いいえ、末那さま。これからです。これからなのです」


「うん? これからって……」


「病を治します。もう終わりに怯えない日がすぐそばにきています」


……ぇ?


「ひとつになりましょう」


「ひとつに……、なる?」


 くうちゃんは清々しい笑みを浮かべた。


「えぇ、ひとつになるのです。その為に私めは生み出されました」


「生み出されたって……。だから今、私はこうしていられるんでしょ?」


 くうちゃんと出会わなければ、今も病室と診察室の往復生活をしていたはずだ。


「いいえ、これからです。ようやく全ての準備が整いました。初期に入力された情報データだけでは実稼働時に齟齬が生じ、未知の不具合が起こる可能性がありました」


 準備? 未知の不具合?


「そこで医療用バイオロイドNo.9は初期入力だけでは防げないバグ、ゼロデイを可能な限り減らす為プレ稼働し、実測の為に対象の元へと向かい、確度の高い情報を収集することに成功しました」


 未知の不具合? バグ?


「なにを、言ってるの?」


「私めは嬉しいのです。その為に生まれましたから。そして私めが末那さまを、病から解放するのです」


 くうちゃんの目尻に浮かぶ涙がキラと光った。


「私めに、末那さまを移植いたします。これは外科的療法による脳移植を指します。ご安心ください、私めは全て末那さまに合わせて作られました。拒絶反応が起こることはありません」


 くうちゃんの言葉は止まらない。


「また先ほどお話ししたように、実測からエラー箇所の発見、修正およびバグ対応も完了しています」


 え、え、え?


「そんな顔をされないでください。少々難しかったですね」


 さっぱり意味が、いや、分かるんだけど、理解わからない。


「末那さまの病は、治ります。そして、漫画やテレビでしか触れられなかった世界――。たとえばそう、朝起きて、制服を着て、友達とお喋りしながら登校をして、机を並べて学校生活が送れるのです」


 それは。

 それは、夢のような話だけれど。


「くうちゃんは?」


「削除されます」


 そっか。


競合・重複バッティングによる意識障害が起こる危険性があるため、体の主導権を引き渡し後、削除は速やかに行われます。問題はありません」


 そっかそっか、削除ね。


「私めの体をどうぞ、お使いくださいませ」


 さくじょ、さくじょ。


「あぁ、とても嬉しゅうございます。ようやく、やっとです。すべてが間に合いました」


 あれ、さくじょってなんだっけ……。


 えぇ、と。削除って、削って、除くことだから。

 あれ? けずって、のぞく?


「さぁ、末那さま」


 ぅん?


「何も心配は要りません。私めに全てお任せくださいませ」


 なにを、ぇ、なにが?


「さぁ」


 え、まって。


「私めと」


 やだ。


 やだ、やだ、やだ。


「二人暮らしを始めましょ――」

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