6章 トイカケ、ウツシミ

第20話 恋をした、のでしょうか

「それでどう? 二人はうまくやってる?」


 今日は問診の日で、女医さんのいる診察室へとやってきていた。

 今日もくうちゃんは私とお揃いの病院服を着て、隣の席に座っている。


「えぇ、っと? あの、今日は私の体調のことなんじゃ……」


 それが上手くやってるとはどういう意味だろう。


「あぁ、そっちのほうはバッチリよ。二人暮らしが始まってまだ一週間も経ってないけど、かなりいい数値が出ているわ」


「良くなってる、てことですか?」


「いいえ、残念ながらそうではないわ」


 女医さんはちらとモニターに目を向ける。


「悪くなる速度が遅くなったということね」


「そう、ですか」


 女医さんが笑顔だったから、良くなったのかもって思ったのに。


「まぁそう落ち込まないの。強い薬を使わないでここまでのあたいを出せているのよ? これまでの常識では信じられないわ。あなたも実感としてあるでしょう?」


「まぁ……、前より体が軽くなった気がします」


 これまではなにをするにも億劫で、ただ同じ事……、検査室と病室の行ったり来たりを繰り返すだけの毎日に飽きていた。


「出かけたりもしたんだよね? 外出届けが上がって来てたから、これはいい感じなのかなぁって思ったのよ。ねね、そこのところどうなの?」


 今思えば自分でも、くうちゃんが来てから大分明るい性格になったなと思う。


「少し、気持ちに余裕が出来たんだと思います」


 いつ終わるかも分からない。そんな疑心暗鬼に苛まれ続けてきた私に取って、くうちゃんとの二人暮らしはとても有意義なもので。

 割り切ることができ、意味を見つけることができ、だから生まれたその精神的な余裕が体にもいい影響を与えているんだと思う。


「気持ちに余裕? ちょっと待って、何か別の話と勘違いしているようね」


「ぇ、私の体のことなんじゃないんですか?」


 あれ、これ私の体調の話じゃ無かったの?


「その話はとっくのとうに終わってるわよ。私が聞いているのはもうひとつの方のこと」


「もうひとつ? なにかありました?」


 体のことじゃないのなら……、ぇ、なにも思いつかないんだけど。なにか忘れてる私?


「もう。前のときに話したでしょ、恋をするって方のこと」


 ぁ、そっち……。


「くうちゃんは覚えてるわよね?」


「当然です。末那さまから、恋を知って欲しい、恋をして欲しいとお願いされまして、それを最優先処理事項タスクとしてあたらせて頂いております」


「ほらね?」


 ぇ~~。

 や、言ったのは私なんだけど、その……。あらたまって言われたら恥ずかしい。


「それで外出届けが出されたじゃない? これはデートなんじゃないのかな、ってピンときたのよ」


 で、でーと?


「そんな、デートだなんてっ、話の流れで外に行こうってなっただけで」


 別にデートとかそういう風に思ってたんじゃ全くなくて!


「そんなに力をいれて否定しなくてもいいわよ」


 女医さんはくすくすと笑う。


「……もしかして、からかったんですか?!」


「いいえ違うわ。ただの事実を伝えただけよ」


 事実って、そんなつもりは全然!


「わかる、わかるわその認めたくない気持ち。他所様に言われて恥ずかしくなっちゃったのよね」


 女医さんは腕を組み、うんうんとなにやら頷いた。


「どう思ってもいいけれど、世間一般にはデートと呼ばれる行為なの」


 したり顔がなんだかにくい。


「好きな人同士で外に出て、気がついたら一日が終わりそう。それで帰りがけにまた来たいね、てへっ、とか嬉し恥ずかしの会話をしたんでしょ?」


 そんなのしてないし! してない、よね?


「まぁまぁ。そんなに押し黙らなくていいじゃない。大丈夫、分かってるから」


 そんな目で見ないでよ、うぅ。


「さってと、それでNo.9は恋をした?」


「はい、鋭意努力中であります」


 えぇ。


「うん、いい返事ね」


「え、それでいいんですか?!」


「うん? いいんじゃないの? なにか変なとこでもあった?」


 変なとこしかないじゃない。


「え、だって、恋って努力とかしないといけないものですか?」


 恋は落ちるもので、好きになろうとして好きになるものじゃあなくて、いつの間にか一緒に居たいって思ってしまっているもので。


「努力しないといけないに決まっているじゃない」


 なにを当たり前なこと聞いてるの、とでも言うかのように女医さんは言う。


「あのね。好きになることに理由はいらないという人もいるのは確かよ? けどね、好きでいつづけるには理由がいるの」


 一目惚れにだってなにがしかの理由はあるの。続けてそう話す女医さんは真剣そのもので、こちらをからかっているようではなさそうだ。


「それにNo.9は感情を持ち合わせていないのよ? それについては前に一度話したわよね?」


「末那さま、私めは人間を模して作られました。しかし、感情を司る脳の機能は未だ解析されておりません。そのため私めには、感情が搭載されることはありませんでした」


 それは聞いた、けど。


「でも努力って……」


 なんだか釈然としない言い方だ。


「末那さま。私めは、すべて末那さまに合わせて生まれました」


「そんなことも言ってたね」


 あれは初めて会ったときのこと。寝込みを襲われてパニックになっていた私に、くうちゃんが言ったんだ。


『絹のようになめらかな白髪はくはつと、琥珀色こはくいろの瞳に白磁はくじを思わすやわい肌。すべて末那さまに合わせて生まれました』


 なんだかもう、ずいぶん昔のことだったようにも思えるけれど。あれからまだ一週間も経ってないんだ……。


「私めの容姿もそうですが、この思考回路もすべて末那さまに合わせられました」


 そう言えば、最初のときはお気に召していただけるよう、とかなんとかも言ってたような。


「なので、私めが末那さまを好きなのは当たり前のことでして」


「は?」


 くうちゃんは涼しい顔でなに言ってるの?


「好きと言うことは、恋をしているということでしょう。しかし、それは果たして末那さまが仰った、恋を知って欲しいというそれと同じ意味なのでしょうか?」


 ん? んん?


「つまり、No.9は自分が寄せる好意そのものが、気に入って貰うために最初から用意されていた要素、と言いたいのね」


 ぇ、えぇっと?


「それで? 今のところはどうなのよ」


「はい。恋とはなにか、その定義を私めなりに調べました。すると、善悪を抜きにして共にいたいと思うこと。好悪こうおの基準で傍にいさせてほしいと求めること。そのような定義が出来ました」


 女医さんは興味深そうにくうちゃんの話に耳を傾けているけれど、私にはちょっと難しくてついていけてない。


「そうか、No.9の場合は一緒にいるために作られたから、共にいたいという気持ちも、傍にいさせてほしいと求めるのも、組み込まれた要素のひとつに過ぎないのね」


「私めはそう捉えています」


 えぇ、っと、くうちゃんが恋をするには努力が必要で、それはくうちゃんがバイオロイドでそうなるように作られたから、いっしょにいたいと思うのは当然で、うぅ、分かんなくなってきた。


「そこで先生。ご質問がございます」


「なにかしら?」


 ついていくのに精一杯な私と比べ、女医さんはやっぱり大人の余裕があってすごく頼もしく見える。


「先に挙げた定義以外での恋を、教えていただきとう存じます」


「う~ん。でもそれを私が言っちゃうと、あ、そっか、でも……」


 あれ、女医さんが教えちゃいけないことなのかな。


「まいっか、この程度なら遅かれ早かれ分かるだろうし」


 ぁ、いいのね。


「あのね、No.9は末那さんを泣かせたいって思う?」


「いいえ、思いません。泣かせるなどあってはならないことだと存じます」


「うん、だったら今抱いているそれは、末那さんが求めた恋じゃない」

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