第19話 まんざらでもなさそうな
くうちゃんはほんのちょっとだけ、ためらいがちに俯いたけど。
「いお、なんていかがでしょうか?」
ぱっと顔をあげて順繰りに私達の目を見ると、そうはっきりと口にした。
「いお。いおちゃん? いっちゃん! いおさんっ」
穂乃香さんは早速言いやすい愛称を探りだしている。
いおちゃんか。
「可愛いと思うよ」
ちゃんとした名前だし。
「ちなみに名前の由来はあるの?」
「はい、10にそのままひらがなを当てて10《いお》としました。いかがでしょうか?」
とうちゃんとかじっちゃん以外にも、そんな読み方できたんだ。
「私はいいよ。あとは穂乃香さん次第だけれど」
穂乃香さんはぶつぶつと名前を繰り返し口にしている。
「うん、いおはいおのままが呼びやすい。でも少し発音しにくいな」
「発音ですか。いお、いお、いお。確かに力がいりますね。でしたらいよではいかがでしょうか」
いお。うん、口に出したらいよって聞こえなくもない。
「いよ、いよちゃんっ、いよさん、うん、呼びやすいしうどんだな! 洒落もきいてていいじゃないか!」
「くうちゃん、うどんって?」
さっきまで蕎麦の話が出てたけど、いよだとうどん?
「はい、末那さま。出雲蕎麦が有名なように、伊予にはうどんがあるのです。ですから穂乃香さまはそのことを結びつけたのでしょう」
そっか、それでうどんか。穂乃香さんもうんうんと頷いてるし、名前はいよちゃんで決まりかな。
「それじゃ、改めて。この子の名前はいよちゃんだ。くうちゃんの妹になる、ふたりともよしなにしてほしい」
「はい、畏まりました」
「うん、よろしくね、いよちゃん」
穂乃香さんの肩にのっかっているウズラのいよちゃんに挨拶をした。
「はい、こちらこそよろしくお願いします、
……え?
「若輩者でありますが、精一杯お役に立てるよう粉骨砕身いたします。本日はいよという素晴らしいお名前をいただきまして、誠に感謝いたします」
…………え?
「いよ、ちゃん?」
「はい、お嬢さま」
と、ととと、鳥が喋ってる!?
「どうされました? なにか困惑されているように思われますが、いよはお力になれますか?」
あぁ、そんな首まで傾げるようにしてっ。
「穂乃香さん、この子喋れたんですか?!」
「高い知能を手に入れたと言ったろう。ま、人間のような発声器官がなかったので、摂取させた細胞で
そもそもオウムくらいは普通に喋るしな。と、穂乃香さんは付け加える。
「それは、そうですけど」
そんなにあっさり飲み込めることじゃぁないよ。
「私めの妹ですから、それくらいはすると思ってはいましたが」
ぁ、くうちゃんは驚いてないんだね。でも、ちょっとだけ怒ってる?
「はい、姉さま」
「いくらタイミングを計っていたとは言え、もう少し末那さまに配慮があって然るべきだと思います」
くうちゃん……。
「はい、申し訳ありません」
鳥なのに器用に頭を下げたいよちゃんは、くりくりの目で私を見やる。
「ショックを与えてしまい申し訳ありません」
「ぇ、そ、そんな、むしろ驚いちゃった私の方が失礼だったかもって言うか」
「バイオロイドとは言え私は鳥で、常識的に驚かれて当然です。しかも流暢に話しかけられたとすれば、誰だって驚いて当然でしょう。末那さまに落ち度は一切ありません」
すごく理解のある子でそういう意味でも驚きだ。
「私めとしましては、穂乃香さまからもう少しアシスト頂けていれば、と思わなくともありません」
「ふむ、そうか? まぁそうカリカリするな、ジャム入り紅茶でも飲んで落ち着いておけ」
「私めは落ち着いてます」
むすっとしてるように見えるけど。
「どうされましたか、末那さま?」
「ぅ、うぅん、なんでもない!」
くうちゃんがこうして怒るとこ、初めて見た気がする。
「ぇへへ」
「末那さま……」
くうちゃんは私の為に怒ってくれたんだよね? 照れくさいやらなにやらでむず痒くって、顔がゆるんでしまうのは仕方ないじゃない。
ごめん、そんな目で見ないでよ。
「だって嬉しくなっちゃって」
うん、しかたない。
くうちゃんは何かを言おうとして、けれどちらといよちゃんを見て止めた。
「さて、くうちゃん。いよちゃんの姉になるわけだが、末那との関わりとしては先輩ということになる。なにか今のうちに言っておくことはあるか?」
「はい、ございます」
あ、あるんだ。
「妹は末那さまについて、二人暮らしについてどこまで理解しているのでしょうか」
まずそこから聞いておかないと駄目だよね。
「はい、現在進行中のプロジェクト、末那さまの件に関しては全て把握しております」
「では、そこでのあなたの役割は何が与えられましたか」
そっか、穂乃香さんはアニマルセラピーとか言っていたっけ。もしかしたらいよちゃんが、私達の二人暮らしに混ざったりする?
「はい、私の役割はありません」
「そうですか」
ぇ、なにも与えられてない? くうちゃんもそれで納得するんだ……。
「どうされましたか、末那さま」
「てっきり一緒に暮らすんだと思ってたから」
あぁ、それで。とくうちゃんは頷いた。
「穂乃香さま。確認ですが、末那さまがお求めの場合、妹とも同居することは可能でしょうか?」
「ん、そうなのか末那? できるかできないかで言えば、できるぞ。いよちゃんと一緒に暮らしてもプロジェクトの
あれ、同居の方向で進んでる?
「ちょ、ちょっと待って、てっきり同居するんだと思った、っていうだけで!」
「では、二人暮らしのままがいいのですね?」
うぅ。
「今のままがいい、かな」
恥ずかしくって、くうちゃんの顔が見れないよ。
「では、穂乃香さま。妹は二人暮らしに関しての役割は与えられていないと申しましたが、他の役割があるのでしょうか?」
「そもそもいよちゃんが生まれたこと自体がまったくの偶然だったからな。アニマルセラピーにどうかとは思っているが、それはさほど重要だとも思っていない」
まぁ、いくら穂乃香さんでも出前で頼んだ蕎麦についてきた卵が孵化するなんて分かりっこないよね。
「それでも、なにかあるのでしょう?」
「そうだなぁ。でもこれはなるようにしてなるものだと思うしなぁ」
なるようにしてなる?
「穂乃香さまがなにを
そうだ、あれだけきっぱりしてる穂乃香さんがなにを言い淀むことがあるんだろ?
「でもなぁ。正解がない問題に対するアプローチとしてはどこまで開示し影響を見るかということも」
「穂乃香さま」
「二人暮らしに関係がなくとも、もし私達に関わることがあるのでしたら、今のうちに仰って頂けませんでしょうか? 時間がありません」
そう言えば穂乃香さんが聞きたがってた水族館の話もしてないや。
「時間がない、か。確かにその通りだな。正直なところ、いよちゃんに役割という明確な形では指令をしていない」
「では?」
「まだ構想の一つであり、研究という段階ですらない」
穂乃香さんがそこまで慎重にすることか……。うん、分かんない。
「不老不死をテーマに、バイオロイドからのアプローチをしているが。その付随としていよちゃんにこう話しをしたんだよ」
もったいぶるなぁ穂乃香さん。
「家族になろう。私が母で、くうちゃんが姉、そして君が妹だ、と」
「なるほど。そういうことですか」
家族?
「末那さま、バイオロイドはそれだけで自立した存在であり、家族はありません」
うん?
「末那、バイオロイドは恋が分からないことは知っているよな」
それは女医さんからも聞いた話だ。
「えぇっと、人間の恋をする脳の部分がまだ解明されていないから、人間を真似してつくったバイオロイドは恋が分からない、だっけ」
「その通り。ましてバイオロイドは子孫を作る必要もない。家族は愛した者同士、恋する者同士がつくる共同生活体であるが。はたして恋を知らずとも、家族になることは可能だろうか」
家族、ね。
「末那はどう思う?」
「私は……、分からないよ」
一緒になって幸せになることもあれば、不幸になることもある。
もう顔もはっきりしない、お兄ちゃんの影が浮かんだ。
「作れるとも思うし、別れることもあると思う」
少なくともあの家に、私はもう戻れない。
「人間だって離婚するものな。しかしこれはその前段階で、家族を作ることができるかということだ。まぁ、これだけ話したんだからくうちゃんも仲良くしてくれよ」
「畏まりました。ちなみに妹はこのことに、どのように思っているのですか?」
家族ってどうやってできるんだろう。考えれば考えるほどこんがらがってしまうけど、くうちゃんが割り切れてるならまぁいっか。
「はい。家族とは共同で生活を営む者であると思います。考え方も共有し、行動指針も似ているような、そのような存在になれたらと」
「その言い方では、また末那さまが困ってしまいます。もっと分かりやすく、どうしたいかを言いなさい」
ほんとに今日はくうちゃんどうしたの? いつもとは全然違って見える。
「私めは……。寄り添い、助け、許されるならば姉さまがお仕えする末那さまのことまで全てを理解し、溶け合うことができたらな、と思います」
「そうですか。それで?」
くうちゃんは攻勢を弱めない。
「人の家族がそうあるように、姉さまの思いを受け継ぐこともできたら、とは思います」
くうちゃんの思い?
「そうですか。でしたらよく見ておくのです。ここにいる末那さまは私めの末那さまですが、あなたの末那さまが現れるその日には、私のかわりにできるよう。お返事は?」
「はい、姉さま。お任せください」
「よろしい」
ええっと、話がまとまったってことかな?
「さぁて末那、くうちゃんといよちゃんの話も済んだようだし、水族館の話を聞かせてくれよ」
「ぁ、うん。ぇっと」
難しい話は分からない。ただくうちゃんに妹ができ、まんざらでもなさそうなことは伝わってきた。
くうちゃんがいつもの顔して笑う。
「末那さま、私めからも是非に聞かせていただきとう存じます」
さっきまでいよちゃんにキツくあたっていたことも、姉としてしっかりしようとしたのかな。
「昨日のことなんだけど、初めてこの病院から外に、くうちゃんに連れ出してもらったんだ――」
そこからはたっぷりと水族館での出来事を。
夢のような一日のことを共有し、穏やか時間を楽しんだ。
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