第18話 名前はまだない

「私めに妹が……」


 穂乃香さんの左肩。くうちゃんは、そこにいるずんぐりむっくりな鳥にじぃ~っと目を向けた。


「そうだよ、妹だ」


 ごくり。生唾を飲む音がした。

 そりゃそうだよね。


 私だって、はいそうですかと受け入れることが出来ないもの。くうちゃんの衝撃たるや、相当だろう。


「どうだい、食べるかい?」


「た、食べ?!」


 急に何を言い出すの穂乃香さん!


「食べません」


 くうちゃんもなんで普通に応えているのっ!


「末那、そう慌てるな。ちょっとしたジョークだよ」


 むぅ。

 けらけらと笑う穂乃香さんが恨めしい。


 でも、固まっちゃってるくうちゃんの変わりに少しでも、この子のことを聞き出してあげなくちゃ。


「ぁの、またどうしてその……」


 とっても聞きにくい。

 だって、どう見ても鳥にしか見えないもん。


「あぁ、言いたいことは分かるよ、末那。この子が何者で、妹とはどういうことだと言うことだろう?」


 その通りです。


「あれはそう、遠い昔のことだった」


 穂乃香さんは鳥の頭に人差し指を持っていき、優しく撫でる。


「私は研究をしていた。もうすでに話しているが、私はバイオロイドの研究をしている。特に医療に特化した研究をしているが、なにもバイオロイドだけがテーマではない」


 くうちゃんは押し黙ったまま、鳥からじぃ~っと目を離さない。


「平たく言えば私の研究テーマは不老不死。これに繋がるほぼ全てを平行して研究してるんだ。はは、末那。そんな変な目で見ないでくれよ、照れるじゃないか」


「ぇ、えぇっと」


 不老不死? そんなのあり得ない。


「なに言ってんだコイツ、と思っているだろう? だが残念ながら、私は本気だったりするのだよ」


「そんなことは思ってませんっ!」


 穂乃香さんが凄い研究者ということは、くうちゃんの生みの親なんだからもう充分理解している。

 でも、それでも不老不死なんてのは映画とか漫画の世界だけの話であって、現実にはあり得ない。


「末那。君は今、不治の病に侵されている。もってあと幾ばくかの命。本来であればより強い薬の投与、身体が拘束をされる頃合いだ。だが、実際はどうだ?」


 薬は……、飲んでない。身体の拘束ってチューブとかに繋げられるってこと? だったらそれもない。


「プログラム。くうちゃんとの二人暮らしが始まって、毎日行われていた検査もなくなり自由な時間が出来たろう? そして、くうちゃんの手料理で普通の食事を楽しむことが出来てるはずだ。違うかい?」

 違わない、けど。


「それでも不老不死って遠いです」


 くうちゃんのおかげで、私の毎日は本当に色がついたみたいだった。けれど、この病が治ることはない。このプログラムの目的までは知らないけれど、きっとピンコロリを目指しているんだと思う。


「不老不死というテーマへのアプローチ。くうちゃんはその一つに過ぎないのだよ」


 つまり今は、どれだけ人間らしい毎日を最後まで送れるか、ということか。バイオロイドという専属の人がつくことで、それはもう生活の質が良くなるのかも知れない。

 少なくとも私はそうだった。


「バイオロイドの他に、コールドスリープ、注射でのDNA編集もしている。コールドスリープは分かるだろ? ほら、カプセルに入って一種の仮死状態を作りだし、老化を止める方法だ。ま、本人は寝てるから、老化がとまったところでどうだという話だが」


 簡単に言うけれど、それだってとても難しいことで。きっと穂乃香さんが凄すぎるんだ。


「DNA編集は?」


「よく聞いてくれた。DNA編集とは、老化に関する銘文が刻まれたDNAを切り取り老化を止める方法だ。まぁ、こちらはもう何年も前に理論は出来ているんだがな」


 ぇ、もうあるの?


「ふふ、驚いたろう? ちなみにこのDNA編集のアプローチは私が作ったものではないし、全世界に公開されている論文だ」


 穂乃香さんもいち研究者の一因として、誇らしそうに胸を張る。


「こちらは腕に注射するだけで老化が止まる。若返るわけではないが、その時の肉体のまま生きることができる。ただ、こちらの問題は、病気が治るわけではないということだ」


 え、老けないのなら、病気にも効くんじゃないの?


「病気のときに注射をすると、最悪の場合ショック症状で命を落とす。まぁ、打った時の状態を正だと判断してしまうので、病があって正常だと認識される。つまり、治ってしまうと負になるので健康になればなるほど苦しむということだ」


 なんとか話にはついていけているけれど。


「なー? 厄介だろう。どれも一長一短で、それがどれも致命的。やれやれだ」


 すごく重大な問題の筈なのに、軽い、軽いよ穂乃香さんっ。


「それで研究にふけっていたんだが。どこからか、ぴぃぴぃ聞こえてくるじゃあないか」


 ……え?


「この音はなんだ? リズムが安定しないからエラー音ではないし、全く心当たりがない。首をかしげつつその音の発生源に近づくと、そこにはいつ頼んだか分からない、蕎麦の出前があったんだ」


 蕎麦の、出前?


「これも運命の采配なのだろう。その出前セットが置かれていたのは、稼働中の実験装置の上だった」


 ぇ、え?


「当然、稼働中なのだから装置からの排熱がある。そして、蕎麦の出前セットには、気前よくウズラの卵がついていた」


 まさか。


「そう、そのまさかだよ。排熱で温め続けられた蕎麦は食えたものじゃなくなっていた」


 食べたんですか……。


「ってそうじゃなくって! それで生まれたのがこの子なんです?!」


「流石に食べる気はしなかった」


 穂乃香さん……。


「そこで私は考えた。どうしたらこの子を使えるだろうかと」


 使う? 飼うんじゃなくて?


「末那、アニマルセラピーを知っているかい? 動物と触れ合うことでリラクゼーション効果を得る療養行為だ」


「分かります、けど」


 でもだからって。ねぇ?


「というわけで、この子にはそれに挑戦してもらおうと思ってな? ちょちょいとくうちゃんの妹になってもらったよ」


「いったいなにをしたんですか」


「なぁに、バイオロイドのタネを餌に混ぜただけ。そんなに危ないことはしてないよ?」


 穂乃香さんってばほんともう。


「まぁそのなんだ、カスタムしたK細胞を服用させたのだ。無事に成功し、この子は高い知能を手に入れバイオロイドになったのさ」


 つまり、動物実験に使いましたってこと?


「あぁ末那、大丈夫かい? 頭でも痛むかい?」


「私は大丈夫です、それよりもくうちゃんが」


 だって妹がウズラなんだよ?


「末那さま、私めはなんら問題ありません」


「ぇ。でも」


「確かに、突然でありましたので驚きはしましたが」


 あれ、私より全然落ち着いている?


「この子に私めの代わりは務まりませんから」


 そりゃ、くうちゃんの代わりは出来ないだろうけど……。それで納得できちゃうの?


「ちなみにお名前は?」


「ウズラだ」


「え、そのまんまなんですか?」


「駄目か?」


 駄目ってわけじゃないけれど。


「それはちょっと、あんまりじゃないかなぁって……」


「そうか。私としては見分けがつけばそれでいいからな。特にこだわりもないな」


 穂乃香さんはそういうところ、あんまり気にしなさそうだもんね。


「そうだ、No.9ナンバー.ナインでくうちゃんだったよな? だったらこの子はNo.10でとうちゃんなんてどうだろう」


 名案とばかりにポンと手を叩く穂乃香さん。


「父ちゃんになってしまいましたね」


 くうちゃんから冷静なツッコミが入れられる。


「だったら、じゅう、じゅう……、じっちゃん!」


「さらに上をいかれましたね」


 妹の名前を決めようって話してるのにこれじゃいけない、なにか違う発想を取り入れないと。


「ぁ、穂乃香さんが頼んだお蕎麦は名前はなんて言うんです?」


「ん? 出雲いずも蕎麦だが……、そうか。そういう流れだったら、二八にはちってのもいいかもな」


 にはち? 二八蕎麦っていうのがあるの? 首を傾げると、くうちゃんが耳打ちをしてくれた。


「末那さま。二八とは、麺を練る時の水とそば粉の黄金比です」


 そっか。それじゃ、出雲か二八って名前も候補に入る? でも二八も男の子の名前みたいだし。


「ふむ。私はネーミングセンスなど持ち合わせてないからな。そうだ、ここは姉になるくうちゃんが決めると言うことでどうだ?」


「私めが決めるのですか?」


「あぁ、末那もそれでどうだろう」


 まぁ、くうちゃんが決めるなら。父ちゃんとかじっちゃんだとか、おかしな名前じゃなければいいや。


「それじゃくうちゃん、この子にどんな名前をつける?」


「私めは……」

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