第17話 お茶会とジャム入り紅茶

「やあ末那! 今日はよろしくお願いするよっ!」


 お昼になって穂乃香さんがやってきた。くうちゃんが出迎えたけど、この病室の入り口にもチャイムってあったんだ。もしかして鳴るの初めてじゃない?


「おー、ここが二人の愛の巣かー」


 反応に困っちゃうコメントをする穂乃香さんは興味津々とあちらこちらを見て回る。

 見られてまずい物はないけど緊張するよ。


「穂乃香さま、只今紅茶をご用意いたしますので席へとおかけください」


「む? あぁ、失敬、失敬。プライベートな空間だものな、くうちゃんがどんな空間で生活をしているのか気になって、つい見すぎてしまったか」


「ささ、末那さまも席へどうぞ」


 くうちゃんに促されて席に座ると、穂乃香さんがその真正面の席に座った。


「よろしくね、末那」


 とても気さくな人。いろいろな言い方はあるのかもしれないけれど、良い言い方をすれば穂乃香さんはそういう人だ。


「ようこそ、今日はお願いします」


 このお茶会は昨日、水族館から帰ってきた私達が、また穂乃香さんと廊下でばったり会ったことがきっかけだった。

 穂乃香さんはその人懐っこさで水族館のお土産話を聞きたがり、これから部屋で一杯どうかとお願いされた。

 けれど帰ってきたばかりだったし、疲れもあってまた明日、と時間をずらしてもらって今日になる。


「どうぞ、お好みでジャムを溶かしてお飲みください」


 テーブルの上にはティーセットの他に、三つの瓶が置かれている。それは順に赤色、オレンジ色、濃い紫色をしている。


「へぇー、君たちは紅茶にジャムを溶かして飲むのかい? 洒落た飲み方じゃぁないか」


 スプーンを手に取り、穂乃香さんはどれにしようかと順繰りに瓶を手にとりしげしげと見る。


「いえ、いつもは紅茶本来の味を楽しんでいます。本日は穂乃香さまがいらっしゃるということで、少し冒険させていただきました」


「そうなのかい、末那?」


「はい、私もこんなの初めてです」


 そもそも紅茶にジャムを入れて飲むのは普通なの?


「二人の初めてをいただいてしまったようで申し訳ないね」


 全然申し訳なさそうじゃないけれど、穂乃香さんが私に見やすいように瓶をこちらに向けて並べてくれた。


「それぞれイチゴ、オレンジ、ラズベリージャムとなっております。砂糖不使用ですので末那さまもお召し上がりいただけますよ」


 もしかして、これもくうちゃんのお手製ジャムだったりするのかな。でもそうじゃないと私が食べれるようなのってないと思うしそうなんだろう。


「それにしても、ジャムを溶かして飲むなんて……」


 なんだか紅茶に悪い気がする。


「どうしたんだい? 末那」


「ぁ、その、なんていうか。混ぜちゃうなんて、紅茶の風味を台無しにしちゃう気がして」


「そうか、末那にとってはジャムを溶かすなんて邪道なんだね。くうちゃん、私から説明をしてもいいかい?」


「はい、お願いいたします」


 くうちゃんも椅子に座り、三人でテーブルの真ん中に置かれた瓶を囲む形になった。


「それじゃ説明しよう。まず、外国では紅茶にジャムを溶かして飲むのは一般的なことなんだ」


 一般的なこと……。


「あちらには古くからティータイムという文化が根付いているからね。この国のなんちゃってティータイムなんかとは違う、本当に優美な時間のことさ。そこでそれぞれが持ち寄ったジャムを紅茶に溶かして楽しむんだ。イメージは薔薇の庭園、ティータイム」


 赤いバラが咲くお庭でのお茶会で、みんなが持ち寄った瓶を並べられたテーブルで、カップに紅茶が注がれる。


「向こうでは、ジャムを自分で作るというのが普通だからね。自家製のジャムだから味付けもみんな違うし、それはそれは話のタネになるんだよ」


 お菓子を持ち寄ることもあるだろうけど、そういう風に楽しむのも面白いんだろう。


「ジャムを溶かして、溶け残った部分を飲む前に取り出しておくというルールというかマナーのようなものがある。それは各コミュニティによって定められているものだけど、紅茶にジャムを溶かしてはいけないというルールや溶かすことを邪道としているところはないよ」


「それじゃ、そのジャム同士を混ぜたりするのはどうなんですか?」


 目の前には三つの瓶があるけれど、三杯も紅茶は飲めないし。ちょっとずつ飲んだりするのかな?


「混ぜてもいいよ。イチゴとオレンジとラズベリー、とても楽しい味になりそうだ」


 ぁ、絶対に不味いやつだそれ。


「とまぁ、そんなわけで末那も試してみるといい。溶け残りを取り出すか、そのままよけて飲み干すかは好きにしてくれればいいし、私は気にしない。くうちゃんはどうだ?」


「お好きなようにお楽しみいただければと思います」


「だそうだ。さ、選べ末那。一番オーソドックスなのはイチゴで、人によるのがラズベリーだ」


 目の前には三つ並べられた瓶がある。イチゴ、オレンジ、ラズベリー。楽しげな穂乃香さんの視線の前で、イチゴの瓶を手にとった。


「そうか、末那はイチゴにしたか」


「末那さまは紅茶のジャムにイチゴを選ぶ。学習しました」


 そんなに注目されると恥ずかしい。


「くうちゃんはどうする?」


「穂乃香さまからお選びください」


「なにを言ってるんだ。私はくうちゃんのママだぞ、先に娘に選ばせて当然だろう」


 穂乃香さんとっては何気ない一言なんだろうけど。くうちゃんはびっくりして固まっちゃうし、私だって口を挟むことはできないし。


「ん~? どちらがいいんだ、くうちゃん?」


 冗談でも気取った風でもなく、それを素で言えるのだからこの人はとても強い人に違いない。


「……でしたら私めはオレンジをとりますね」


 くうちゃんがオレンジの瓶に手を伸ばす。


「くくく、では私がラズベリー担当か。どろっどろになるほどたっぷり紅茶に沈めてやるわ。ん、どうした末那、そんなにこちらをみて? もしかしてラズベリーがほしいのか? いいぞ交換してやろう」


 無邪気というかなんというか、笑顔がとてもよく似合う。


「ぁ、イチゴのままで」


「なんだいいのか、つまらん」


 穂乃香さんはしぶしぶといった様子で、ラズベリーの瓶を手にとった。ふっという掛け声とともにフタを回すと、豪快にスプーンを突っ込みその中身をかき出した。


「おりゃぁあああ! ティーカップの海に沈むがいいラズベリー共!」


「穂乃香さま、紅茶が零れてしまいます」


「構わん! 一気呵成に攻めるのじゃ!」


「お戯れもほどほどに」


 くうちゃんが娘で穂乃香さんがママだけど。今の二人はどっちがどっちか分からない。


「ほら末那も飲め、おいしいぞ?」


 穂乃香さんほどいれるつもりもないけれど。心持ち多めに入れたほうがいいのかな?

 スプーン二杯分を紅茶に溶かしてほどよいくらいにかき回し、くいっと口に運ぶ。


「ぁ、おいし」


 ほどよい酸味と甘さが加わって、香りもマイルドでフルーティになっている。


「だろう? ん、あれ、おかしいな、落ちない」


 続いて穂乃香さんもティーカップに口をつけたけど、どろどろすぎて飲むのに苦労しているみたい。


 あ、スプーン使った。


「ふぅ、なかなか手ごわい相手だったが綺麗さっぱり始末してやったよ」


 お茶漬けじゃないんだけど、あれだけ入れたらそうなるよね。


「くうちゃんも飲んでるか?」


「はい、こちらのオレンジもさっぱりとした味がして、三つともジャムは成功のようですね」


 くうちゃんは出来に安心したのか、もう一度カップに口をつけて息をついた。


「ねぇくうちゃん、いつの間にジャムなんて作っていたの?」


「はい、一昨日のことです。ジャムは作ったその日から食べられますが、少し置いてからの方がよく馴染むのですよ」


 ということは穂乃香さんと初めて会ったとき? その時にはもう穂乃香さんが押しかけてくると踏んでたのかな。


「くうちゃんは準備がいいな。……おかわり」


 早速二杯目の紅茶を注ぎ、今度はオレンジを溶かす穂乃香さん。


「さて、お茶もバッチリだし水族館デートはどうったか聞かせてくれないか、二人共」


「はい、それはいいんですけど穂乃香さん……」


「どうしたんだい末那? ……まさか、その二杯目を飲み終わったらとっとと帰れ、とでもいうのかい?」


 演技だと分かっているけれど、目の前でよよよと泣かれては弱い。

 ブンブンと手を振ってみせると、次の瞬間にはケロッと穂乃香さんは笑顔を見せた。


「それじゃぁなんだい、他に何を聞きたいんだね?」


「ぁの……、穂乃香さんの右肩にのっているソレ……なんですか?」


 茶色と黒がまだらに混ざっている毛色のそれは、ぶとっとした顔で穂乃香さんの肩にとまっていた。


「あぁコイツかい? こいつはくうちゃんの妹さ」

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