5章 トケアウ、ウケツグ

第16話 くうちゃんと末那さんの朝

「まな、早く起きなさい」


 ……。


「もう七時過ぎてるわよ。まなが一番楽しみにしてたんじゃなかったの」


 楽しみに、してた?


「遊園地に行くんでしょ、もうお寝坊さんなんだから」


 そっか、遊園地。お馬さんがくるくるまわってるのに乗って、ティーカップがくるくるまわるのにも乗って。

 前は背が届かなかったから見てるだけだったけど。今日こそジェットコースターに乗ってやる。


「もう。だからあれほど昨日は早く寝るようにって言ったじゃない。ママはご飯の準備してるから。……ちゃんと起こしたからね?」


 そうだ、遊園地に行くのが楽しみで、昨日は全然眠れなくって。肩掛けカバンに何を入れていこうかずっと悩んでたんだっけ。


 あぁ、目覚まし時計が鳴ったまま。

 本当は六時半に起きようとして、その時間に合わせてたんだ。


 でもほんと眠くって。


「まな、まだ寝てるのか?」


 その声はだれ……?


「早く起きないと置いてくぞ?」


 置いていく?


「兄ちゃんだけでジェットコースター乗っちゃうぞ?」


 それは嫌だよ、連れてってよお兄ちゃん。


「あぁ、やっと起きたか。ほら、はやくパジャマ脱いで用意しろ。時間はもうギリギリなんだから」


 そっか、ご飯食べる時間ある?


「俺はあるけどまなにはないかもしれないな」


 それは困る。


「そりゃあ困るな」


 どうしたらいい?


「とりあえず着替えろよ。それで食べる時間があれば、朝ご飯抜きにはならないぞ」


 そっか、それじゃ早く着替えなきゃ。私の服はどれ?


「おい、まだ寝ぼけてんのか。昨日これを着てくって机の上に出していただろ」


 机の上? あぁ、この服ね。分かったよお兄ちゃん。


「着替えたら歯を磨いて身だしなみを整えて、ちゃんとしてから朝ご飯食べにくるんだぞ」


 ちゃんと私の分を残しといてね。食べちゃったらやだよ。


「まなと違って、俺はそんなに大食いじゃありません。それじゃ、早く着替えろよー」


 うん、起こしてくれてありがとう。


「そう思うなら、次からもっと早く起きてくれると嬉しいぞ?」


 がんばる。


「その心意気やよし。じゃ、また後で」


 ……目覚まし時計は、止めた。布団だって整えた。机の上にあった服、うん、ちゃんと着替えられたよね。


「まな、二度寝してないか? お、えらい。ちゃんと準備しているな」


 ……?


「あぁ、ママに言われて呼びに来たんだよ、パパは。ママは心配性だからなぁ」


 朝ご飯はどうしたの?


「もうごちそうさましたよ。それでコーヒーを飲んでいたらママが見てきてっていうからね。この様子じゃ心配なかったな」


 うん、大丈夫。カバンもほらこの通り!


「そうだな、忘れ物もないように」


 それは昨日のうちにちゃんとみた。


「よくやった」


 うん……、もっと早く起きれたらよかったんだけど。


「そう思えているなら大丈夫。まだ今日は始まったばかりだからね。ほら、まなには次にすることがあるんじゃないか?」


 歯みがきと、寝ぐせなおし。


「その通り。きちんと身だしなみをみるんだよ。でも、ママが待っているからできるだけ急いでね」


 ママ怒ってる?


「どうだろう。ちなみにパパは怒られました」


 どうして?


「コーヒー飲み終わってから、って言ったらね?」


 うん。


「なに一人優雅気取ってんのよ、だって」


 ゆうがってなに?


「あぁ、そうだね、まだ教えてなかったか。優雅っていうのは……」


 ゆうがってゆうのは?


「雅な、う~ん、違うな」


 みやび?


「だよね。そうなるよね。えっと、とってものんびりしてたってこと」


 とってものんびりしてたんだ。それでママ怒っちゃった?


「時間ないって言っているのになんでパパだけそんなにのんびりしてるのよっ、ってね」


 あぁ、そうだったんだ。それで怒られちゃったんだ。


「そうなんだよ、まな。パパの味方はまなだけだ」


 もう、パパは大げさだなぁ~。


「ちょっと二人とも早くしなさいって言ってるじゃない!」


 あ、ママだ。


「ご、ごめんよ」


 まな、ちゃんと準備してるから。


「時間がないって言っているのに、またお喋りなんかしちゃってもう! はぁ~、パパ、ちゃんとしてよ」


「ご、ごめん、それじゃまな、パパは行くからね」


 うん。


「早く歯みがしてきなさいよ! あ、そうそう。もう時間ないからまなの朝ご飯は抜きだから」


 えぇ~~!


「そうなのかい、ママ?」


 ご飯……。


「パパがお喋りなんかしちゃってたせいよ。……途中でパンかなにか買ってあげるから、それまでまなは我慢して」


 ジャムパンがいい!


「はいはい、売ってたらね。ほら、もう早くしなさいよ!」


 ……たのしいな。

 ママがいて、パパがいて、お兄ちゃんがいる。


 いつの間にかお馬さんの背中の上で、ティーカップのなかにいて。


 ジェットコースターはなんとか乗ることができたけど、べろかんじゃってイタかった。

 お兄ちゃんはわぁあああって叫んでた。

 パパとママは下から見てて、ソフトクリーム食べてたな。あとで買ってもらおっと。


「まな、楽しいか?」


 たのしいよ、お兄ちゃん。


「またこよう」


 うん。


「そのときはまなも一緒に叫ぶんだ!」


 うん!


「忘れんなよ?」


 うん、忘れない。


「まなが忘れても、兄ちゃんがちゃんと覚えてるからな」


 うん、忘れてないよ。


「それじゃ、パパ達のとこに戻ろっか」


 だから、ごめんなさい。


「おー、初めてのジェットコースターはどうだった、まな?」


 たのしかったの。


「お兄ちゃんがついてたし、平気だったわよね?」


 だから、忘れられなくて。


「パパ達も乗ればよかったのに」


「はは、パパたちは見てるだけで楽しいんだ」


「そうよ、というかママはジェットコースター苦手だし」


 これは、ずっとずっと昔の話。

 私の病気が見つかるほんの半年前の家族旅行で、みんなで遊園地に行ったときのこと。

 まだ小学生にもなる前で、今思えばあのジェットコースターは子供用。大人がのっちゃいけないタイプのそれだったんだ。


「――――、――」


 夢をみているんだって、最初から気づいてた。


 でも、ずっと見ていたかった。

 だって、今はもうパパもママもお兄ちゃんだって私の前にはいなくって。


「――さま」


 小学校に入ることもできなくなって。

 それで、ママが自分のせいで、って、ママは何も悪くないのに、それなのにママは自分で自分を責めちゃって。


「なかなか――」


 病院に入ってから、少しの間はみんながきてくれたけど。

 ママの具合が悪くなって、パパもあんまり来てくれなくなってきて。


 最後に来てくれたお兄ちゃんは、『まなの話をしただけで、ママが泣き叫んで暴れるようになったんだ』って教えてくれた。


 パパが来なくなったのは、ママを思ってのことなんでしょう? だからパパも悪くない。


『兄ちゃんな、まなの部屋にあったもの、全部片付けた。部屋に鍵かけてたけど万が一、ママがそれを見てしまったら。どうなるか分からなかったから』


 うん、ママを守るためだもの。お兄ちゃんだって悪くない。それに、いつ家に戻れるのかもわからないし、置いておくだけ邪魔になるよね、仕方ない。


『最近、ママが兄ちゃんのこと見張るようになったんだ。理由は考えがつくんだけれど、どうしたらいいか分からなくって。今日はなんとか抜け出せたけど、これからは来ることも難しい』


 まなは大丈夫。ママも、パパも、お兄ちゃんだって悪くない。


 まなは平気なんだから。

 だからお願い。そばにいれないまなの代わりに、ママと一緒にいてあげて。


「揺さぶれば起きるでしょうか? 末那さま、いき――」


 あぁ、とっても楽しかったな。


「あ、末那さま。お目覚めになられましたか?」


 すぐそこにくうちゃんがいる。


「……おはよ、くうちゃん」


「おはようございます、末那さま。昨日の水族館の疲れでしょうか、よくお眠りになられていましたね」


 そんなに寝てたんだ、私。寝起きはいい方なんだけど、今日はまだぼぅっとしてるかな。


「なにか夢でも見られましたか?」


「夢?」


 そうだ、なにか夢を見てたんだ。


「すごく楽しそうでしたので」


 寝顔をじっと見られてたとか、くうちゃんでもやっぱり恥ずかしい。


「えぇっと、ジェットコースターに乗った気がする」


 ぼんやりとした夢の記憶はもう輪郭さえも分からない。


「ジェットコースターですか。推測ですが、昨日水族館に行ったことが原因で、今度は遊園地に行きたいという深層心理が夢に現れたのかもしれません」


「そうかもね」


 でも、ジェットコースターなんて今の私が乗っちゃいけないんだろうけど。


「では朝食にしましょうか。本日は午後より穂乃果さまがいらっしゃる予定です。午前中は時間がありますので、ゆっくりとおくつろぎください」


「ねぇ、くうちゃん」


「はい、なんでしょう?」


「……ありがと」


 自分でもなんでか分からないけど、なんだか無性に言いたくなった。


「どういったニュアンスなのか、判断がつきかねますが。こちらこそ、そばにおいてくださりありがとうぞんじます」


「それじゃ、ご飯だね?」


「はい、本日もよろしくお願いしたします、末那さま」


「こちらこそよろしくね、くうちゃん」




※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


  末那さんにも家族はいたんです。


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