4章 トメユキ、ウタカタ

第12話 お出かけ日和

 翌朝。病院の玄関口で私達を出迎えたのは、晴れ渡る空と肌をくすぐるくらいの柔らかな風だった。


 お出かけ日和とはまさにこういう日のことを言うに違いない。


「末那さまには、今からあちらのお車にご乗車いただき現地に向かいます」


「あの黒い車?」


 くうちゃんは今日も私とお揃いの服を着て、私が乗る車椅子を押している。

 部屋ではメイド服だけど、出かけるときは何を言わなくても着替えてくれてほっとした。


「えぇ、あちらの車は福祉車両と言いまして、車椅子のまま乗り込むことが可能です。本病院が外出をする入院患者向けに提供しているサービスの一環でして、今回はこちらのサービスを利用しました」


「へぇ~。これって予約とかいるんじゃないの? よくとれたね」


 お出かけをしようとなったのは昨日の昼だ。それでよく間に合ったな。


「えぇ、末那さまがお望みということで話をつけさせていただきました」


「えぇ?!」


 思わず後ろを振り向くと、くうちゃんは口元に手を当てて笑っていた。


「冗談でございます。総合受付で配車サービスを確認したところ、普通に予約できました」


「もぅ、びっくりしたじゃない」


 まさかくうちゃんが冗談を言うなんて。本気で騙されたじゃないの。


「それでくうちゃん、今日はドコ連れてってくれる予定なの?」


「はい、それは着いてからのお楽しみでございます」


 くうちゃんには自信があるらしい。なら大人しくしておこう。


「では車に乗りますよ。後部座席のドアから昇降リフトが出てきますのでそちらにそのまま乗り、車輪を固定致します」


 別に全く歩けない訳じゃないから、普通に乗ってもいいんじゃないのと思ったけれど。

 車のドアが開くとウィーンとリフトが降りてきて、トンと軽く地面を叩く。


「おぉー」


 なんだかテレビで見る遊園地の乗り物みたいで面白そうで、そのまま乗り込むことにした。


「私はこのままでいい?」


「はい、座ったままでお願いします」


 くうちゃんは車椅子を押して、リフトに乗せるとガチャッと大きな音がした。


「ぉわっ?」


「ご安心ください、ただいまの機械音は車椅子を固定した音でございます」


「びっくりした……」


 壊しちゃったと思ったよ。


「次にリフトが持ち上がります」


 くうちゃんの声に合わせてリフトが上がり、車の中へと運ばれて行く。

 ガチャッと大きな音がしたこと以外、動きはとてもなめらかで衝撃も感じなかった。


「では、隣の席につかせていただきますね」


「うん、ところで運転手さんはどこ?」


 反対側のドアからくうちゃんが乗り込んで、あとはもう出発するだけだ。


「はい、目的地は入力インプット済みですので運転手はおりません」


「あ、そうなんだ」


 てっきり誰か来て運転するんだと思ってた。


「はい、こちらは完全自動運転となっております」


 くうちゃんがなにやらパネルを操作すると、安全運転の注意みたいなアナウンスが流れ始めてドアにロックがかけられた。


「末那さまには、私めがついておりますのでご安心くださいませ」


 ぇ、もしかして車と張り合ってるの?


「くうちゃんに全部任せるよ」


 もとよりプログラム二人暮らししていなければ、外に出ようとも思わなかった。


「任されました。では、出発致します」


 アナウンスが終わり、パネルに新たな画面が現れる。くうちゃんがそれにタッチをすると、車は静かに走り出した。


「目的地までは三十分程で到着予定です」


「遠いのか近いのか分からないけど、診察室の待ち時間よりは短いね」


 それくらいなら我慢というほどでもないし、いつの間にか着いてるだろう。


「末那さま、乗り心地はいかがでしょうか?」


「んー、車椅子でもしっかり乗れるってことは分かったかな」


 車椅子ごと乗り込んだから、この車の座席って訳でもないし。


「末那さまは車酔いされやすいでしょうか?」


「んー、どうなんだろね?」


 やっぱり乗りなれてないから分からない。


「末那さまの生命兆候バイタルは私めがリアルタイムでチェックしておりますのでサインがでたら休憩を挟みます。しかし末那さまも酔いにはお気をつけくださいね」


「ん、わかった」


 まぁ、酔う酔わないは体質によるところもあるだろうし、どうすれば酔いにくいのかも知らないから気をつけようがないんだけど。


「ここには末那さまと私めしかおりませんので、いつものお部屋と同じ感覚でお過ごしいただけますよ。車窓の景色はいかがでしょうか?」


 車は大きい通りを進んでく。


 部屋から見える街並みのどこかなんだろうけど、流れる景色に見覚えは無い。


「その調子であれば酔いは平気そうですね。しばし街の景色をお楽しみください」


 ビルが立ち並ぶ通りを越えて、踏切を渡った先で大通りからそれて街道に入る。住宅街を走ると小学校と中学校の建物が見え、それを更に過ぎたところで山が近づいているのに気付く。


「ねぇ、もしかして行き先は山?」


 車で上れるのか分かんないけど、病院よりも遙かに高い山のてっぺんから街を見下ろすのも面白い。


「えー、ここまで来たらもう山しかないんじゃないの? もう二十分くらい経ってるし、この辺りなんだよね?」


「はい、もうすぐ到着致します。しかし山ではございません」


 もう街のエリアは抜けている。これで山でない場所か。


「ヒントちょうだい」


「そうですね。このカーブを抜けた先がヒントです」


「この先って……、トンネル?」


 口の広い大きなトンネルに入ると、等間隔に置かれたライトがぱ、ぱ、ぱ、と顔に当たった。


「全然出口が見えないし」


「八分ほどかかるでしょうか。トンネルは、中に水が溜まって水没しないよう、弓なりに勾配がつけられております。いくら真っ直ぐでもこれだけ長いトンネルですと、向こうの出口は見えません」


 山に上らないってことは分かったけれど、トンネルのどこがヒントなのか分からない。


「では大ヒントです。『サクラ学舎の三人娘』の五巻で長期休暇の回がありました。このとき、山とどこが候補にあがったでしょうか?」


 その回は覚えてる。確か、虫刺されを気にするリツが説得する形で海に決まって、三人は海水浴を楽しんでいた。


「ぇ、もしかして……?」


「おや、トンネルの向こう側が見えますよ」


 前を見ると米粒のような小ささの出口が見えた。けれど眩しくてその先がどうなっているのかまではまだ見えない。

 徐々に大きくなる出口と光に目を細めたその先は、一面の青だった。


「きれい……」


 レイリー散乱だったっけ。水面がきらきらと反射して輝いている。


「そして、本日の目的地はあちらでございます」


 くうちゃんが手を向けた先には海に突き出す大きなドーム型の建物が見えた。ちょうど横切った看板にはイルカのイラストと水族館の文字が書かれている。


「そっか、水族館だったんだ」


 海の生き物は、テレビで特集しているとついつい見てしまうくらい好き。

 水族館のことは知っているけれど一度も行ったことないし、この場所に来るのも初めてだ。


 車は水族館の正面玄関前で停まり私達を降ろすと、また自動で走り出して駐車場に入っていった。


「では末那さま、まずはチケットを買いに行きましょう」


「うん」


 手続きは全てくうちゃんに任せ、チケット売り場から少し離れた場所で待つ。

 お客さんはまばらであまり混雑していない。くうちゃんも思ったより早くこちらに戻ってきた。


「お待たせしました。こちら水族館のチケット兼館内地図となっております。こちらのチケットを改札にいらっしゃるスタッフさんにお渡しし、半券を切って頂くシステムとなっております」


「うん、ありがと」


 くうちゃんに車椅子を押されて改札へ行き、改札員さんにチケットを切って返してもらう。


「ちなみに豆情報ですが、このチケットを切ると言う行為もこの水族館のウリのひとつになっております」


「え、これが?」


「最近はどこも電子化されており、わざわざ紙でチケットを切るという場面はありません。ですがこの水族館ではこれも様式美のうちと、チケット切り体験として残しているそうです」


 半分が切り取られたチケットに目を落とす。確かにこういうチケットの方がワクワクする気がする。


「末那さまは水族館に来られたことはありますか?」


「ないよ。テレビで見たことあるくらいかな」


 通路を進むごとに少しずつ暗くなってきた。


「こちらのような施設には順路というものが存在します。それの通りに進むと館内のほぼ全てが廻れるように設定されておりまして、まずはネイチャーアクアリウムゾーンに入ります」


「うん、早く行こ?」


 奥の通路からぼんやりと光が漏れ出しているのが見える。きっとあそこからスタートだ。


「では参りましょうね」


 くうちゃんに車椅子を押され、一段と暗くなる通路に踏み入れた。

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