第13話 箱庭
「ネイチャーアクアリウムとは、水槽に可能な限り自然を再現し、循環型環境を作ったものです」
最低限の照明で暗い通路の両側に、スポットライトで照らされる水槽がいくつも並べられている。
その水槽の手前にはプレートがつけられており、その水槽に泳いでいる魚や水草の解説が載せられていた。
「普通の水槽と何が違うの?」
一番手前の水槽からひとつずつ眺めていく。
「そうですね。例えばこちらの水槽はどのようになっていますか?」
「えっと、水が全然なくて、真ん中の正面にあるのはちっちゃな滝、かな? 大きい草が
普通の水槽と違うことくらいは分かる。でもあまりに違いすぎてどう違うのか分からない。
「
「あ、小さなカニみっけ」
プレートには『身近な岸辺の生き物、サワガニ』と書かれている。
「水槽と言えばお魚やカニがメインと思われるかもしれません。しかし箱庭では滝も植物も全てが主役でございます」
大きな葉っぱの下に隠れるようにいたカニは、小さなハサミで口元をこしこしと撫でている。まるで顔を洗っているみたいに見える。
「この箱庭の湿度は滝が落ちることで高くなっております。その湿度で葉っぱを湿らせる植物はライトを浴びて光合成し、酸素を吐き出しながら成長します」
あ、もう一匹みっけ。
「大きな葉はサワガニの隠れ場所になります。そしてそのサワガニは小さな池に生える
「つまりその、餌あげなくてもいいってこと?」
「大まかに言えばその通りです」
そっか、普通の水槽だったら餌を上げたり掃除しなくちゃいけないけれど、ネイチャーアクアリウムだとそういう手間がかからないんだ。
「ただし、お隣にあるこちらの水槽の場合ですと、二酸化炭素や栄養剤の添加が必須で繊細な管理が求められます」
その水槽は上まで水が入っていて、いろんな種類の水草が植えられている。
その葉っぱの上や地面には、小さな赤いエビがたくさんいて、
「通常、砂や石が底に敷かれておりますが、こちらは養分の多い土の上にヘアーグラスが敷かれています」
芝生みたいに生えているの水草がヘアーグラスというらしい。
「また、後景にはウィローモスやミクロソリウムが定着された流木が沈められており、高さが演出されております。どのように自然環境を再現するか、それはアクアリストの腕にかかっていると言えるでしょうね」
プレートには『赤い宝石、レッドビーシュリンプ』と書かれている。
くうちゃんが話してくれた水草とか土のことまでは書かれていないけど、その分エビの生体が詳しく載っているみたい。
「あれ、これってクイズかな?」
プレートの下に手書きの吹き出しがくっついている。
「どうやら、飼育員さんからの挑戦状のようですね」
「えっと、『この赤いエビ、
ここ水族館だよね? こんな問題をクイズにしちゃって平気なの?
「末那さま、レッドビーシュリンプは見ての通り鮮やかな赤色をしております。末那さまのお答えはいかがでしょうか?」
あ、くうちゃんは気にしないんだ。
「えぇっと、もっと赤くなるんじゃない?」
「ではめくってみましょうか」
くうちゃんはどうなるか知ってるらしい。
「えぇっと、『えびせんべいみたいなピンク色です』」
「というわけで、薄いピンク色が正解でした」
……ぅん?
「ねぇくうちゃん、えびせんべいってなに?」
「エビが練り込まれたせんべいという和菓子です。そうですね、病院食ではまず見ることはありませんから、ご存じないのも当然でございます」
せんべいってお菓子のことは知ってるけれど、食べたことないからどんな味とか全然分からない。
「通常のせんべいは醤油やタレが塗られた甘辛い和菓子です。比べてエビの粉末が混ぜられたえびせんべいはそのまま口に運び、その香ばしさを楽しみます」
うまくイメージが結べない。
「くうちゃん、えびせんって作れる?」
「作れますが、そのままではなく再現の味になります」
カロリーとか塩分とかそういうところの意味だろう。
「じゃ、もし作れたらお願いできる?」
「かしこまりました、お任せくださいませ」
「うん、ところで……。なんの話をしてたっけ」
えっと、えびせんべいがおいしいかって話じゃなくて。
「はい、ネイチャーアクアリウムとは普通の水槽と何が違うのか、ということでした」
「あ、それそれ」
いつから食べる話になってたんだろ。
「アクアリウムとは奥が深く、特にネイチャーアクアリウムには作り手の意志が強く現れます。その唯一の表現を探し求めて行くなかで、
通路の左右に並べられている水槽は、どれも中身が違っている。
ごつごつとした岩が積み上げられていたり、流木がたくさん沈んでいたり、生い茂る水草でよく中がみえなかったりと色々だ。
「探し求めていくことを
くうちゃんは車椅子をゆっくりと進める。
青色のカエルがいる水槽や、プレコという吸盤みたいな口をした魚のいる水槽もあった。
「
二酸化炭素や栄養剤を添加しないといけなくて、それがないとすぐに壊れてしまう箱庭は、それでもそこに生きる生物にとっては本物で。
「ごめん、なんて言えばいいんだろうね」
今の
「
ネイチャーアクアリウムの通路を抜ける。
その先には曲がり角があり、順路と書かれた
「その言葉って?」
くうちゃんがハンドルを切り、正面に新たな部屋が見て取れた。
相変わらず薄暗いその空間は、地面から円筒形の水槽がいくつも突き出している。
「それはですね」
部屋に踏み込んだ瞬間、その水槽にぱっと光線が走り、なかを映し出す。そこでは小さな半透明の傘が舞い踊っていた。
「ぁ、綺麗……」
紫とか黄色とかの光線が、水槽を照らしてなかのクラゲもその光を透過して輝いている。
幻想的という言葉がよく似合う。
「それですよ、末那さま」
「え?」
暗くてくうちゃんの表情は見えないけれど、なぜか笑ってこちらを見ている気がした。
「綺麗、凄い、楽しかった、面白かった。そういう、肯定をする言葉です。泡沫は泡沫でしかありません。それを一番分かっているのが作り手で、その上で全てを認めていただけることが彼らの最高の報酬であります」
「そんなことで?」
「はい、そんなことでいいのです。ですから帰る際にはきちんと受付さんに伝えましょうね」
このクラゲの展示の作り手さんも、そう思っているのだろうか。
「所詮、
円筒形の水槽の間を抜けていく。
「クラゲは泳ぐことができません。ふわふわと舞っているように見えますが、これはポンプによって生み出された水流に乗っているだけです」
半透明に透き通るクラゲはまるで宝石のようにきらきらと輝いている。
「それでもそれは美しく、魅力的に映れば本物であるのです」
クラゲの空間を抜け、まっすぐの通路を抜ける。
出口はまばゆい光が埋め尽くしてて、その先は分からない。
「そしてこちらがこの水族館のウリである、二万匹が生み出す一糸乱れぬショーでございます」
光が落ち着いた時、目の前には巨大な水槽があった。壁一面がガラス水槽になっていて、魚の群れが竜巻みたいな大きな渦を作って泳いでいる。
「
前の魚が向きを変えると、天の川みたいにキラキラと輝きながら形を変えていく。
「脂が乗ってジュージューと美味しいお魚で、こちらは末那さまもお召し上がりいただいたことがあると……、末那さま?」
すごいって言葉しか出てこない自分がもどかしいけど、それでもきっと、帰りにちゃんと伝えよう。
目が離せませんでしたって、すっごく綺麗だったって。
「末那さま。すこし、一緒に見ましょうね」
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