第3話 そこになにかが残ること
「覚えておられますか?」
こちらの様子を見るように、この子のお話は始まった。
「先日、
『残念ですが……。クスリの
最初はいつもと変わらないと思ってた。
ある程度長い間同じクスリを飲んでると、耐性ができて効き目が薄くなる。だから今日も、また別の、新しいクスリに代わる説明なんだろうと思ってた。
でも、いつもより女医さんの声がやけに冷たいように思えて……だから、あぁ、これがそうなんだ、ってピンと来ちゃったんだ。
『実感はまだないでしょう。しかし、ここに出ている数値は急激に悪化しています。手術は難しく、この進行速度では――』
やっぱりね。
淡々と続く説明を聞きながら、不思議なことに心は落ち着いていた。まぁ、もう何年と入院してたから。そういう覚悟もずっと前から出来てたし。
でも、そっか。
『いい子にしてればきっと治るよ』
私だって分かってる。
サンタさんがいないことだって知ってる年齢なんだから。
そう、だから。
だから、信じてたわけじゃない。でもその言葉を支えにして、太い注射も苦いクスリも我慢した。
「末那さまに与えられた選択肢はふたつ。ひとつ目は、より強いクスリに変えること。一年は
つまり寝たきりになるってことだ。
私には『サクラ
「もうひとつは今のクスリのまま状態をみることです。ご病気の進行を受け入れる、という選択になります」
もしかしたらまた、クスリが効き始めるかもしれない。だけど、悪くなる可能性のほうがよっぽど高い。それでも、動けるだけ動けた方がまだいいや、て思ったんだ。
「選択を迫られて、さぞかしお
立派とか、そんなに誇れることじゃない。
ただ気づいたんだ。
『いい子にしてればきっと治るよ』
あぁそっか。
私って、いい子じゃなかったんだ。
だから治らなかった。……女医さんにも、こんなツラい顔させちゃった。
『治ったらなにしたい?』
病気と闘うには、負けない心を持たないとダメ。
だから、夢とか希望とか、なにがしたいかをしっかり持って生きないと、って。
だけど、どんなに考えてみてもなんら思い浮かばなかった。……病との付き合いが、あまりに長すぎたから。治った姿なんて想像できなくて、
でもそのかわりと言っちゃなんだけど。治らないとはっきり言われて、はじめてやりたいことが見つかった。
生きた証、なんて大げさなものじゃないけれど。
せめて何かを残したい。
私がそこにいたって分かる、そんななにかが欲しかった。
それと。ほんと、いまさらなんだけど。ほんのちょっとだけ……いい子になってみたかった。
だからその、メイドさんは立派と褒めてくれるけど、これはただの自分勝手なわがままがぽろっと出ちゃっただけなんだ。
「そうして末那さまは[プログラム]への参加表明をされました。先進技術が用いられた医術ですが、人への応用例は片手で数えるほどしか報告されておりません。保証なども致しかねます」
保証もなにも、命の終わりはどうせすぐそこなんだ。
もう怖いものはなにもない、全力で使い切ってやるんだ。
その[プログラム]がどういうものでどんなことをするのかなんて、正直な
大切なのは、そこになにかが残ること。ただそれだけだ。
だからてっきり私はもう、新薬とかが私の体に打たれてて、データ取りが始まってるんだと思ってた。
「私めは、[プログラム]に
まさかこんなメイドさんが押しかけてくるなんて。
あれ、そういえばこの子は始め、なんて言ってたんだっけ?
そうだ、たしかこの子は――
「末那さまのご病気を治すため、『二人暮らし』に
メイドさんは頭を下げて、
「どうか、お許しくださいますようこの通りお願い申し上げます」
テーブルに向けて言葉を降らし動きを止めた。
ここで許さないと言えば、私はいつもの毎日に帰れるのかな。
……女医さんも似たようなことを言っていたっけ。
『[プログラム]はなんら保証がありません。なのでどんな時でも本人の意思により、一方的に中止することが許されています』
朝起きたとき、知らない誰かさんが私の顔を覗いてて、すごく、すごく怖かった。
ベッドから転げ落ちるようにして、誰かさんとは反対側の床にお尻をついた。すぐに部屋から逃げ出そうとしたけれど、病室を出るには誰かさんの真横を通り抜けないと無理だった。
武器なんかない。
こちら側には
逃げも隠れも出来なくて、だけど振り向くのも怖い。
そんなに興味のない朝のニュースを、食い入るように見てるしかない状況だった。
だから
なのにそうとはせずに、それどころかやけに丁寧な口調で話しかけてきて。
とっても怪しい子。
それがこの子に対する第一印象というヤツで。
私はそのまま朝食の時間まで粘り、看護師さんに助けを求める持久戦に持ち込んだ。結局、助けは来なかったけど。
ふと、紅茶が注がれたティーカップに目がいった。セピア色した水面には、私の顔が
「確認だけど、あなたの名前は
「正確には、それは名前ではありません。医療用バイオロイド
ずっと顔を伏せたまま、メイドさんは答えを返す。
「そっか。それじゃあなたのお名前は?」
「名前は設定されておりません」
医療用バイオロイド
すごく、すごく気になった。
「こっち見て」
「はい」
ゆっくりと持ち上げられたその顔にはなんの表情も浮かんでいない。
もしかしたら
「ねぇ。今私、どんな顔してる?」
「はい。
「そうじゃなくって、えぇっと。どんな表情してるか分かる?」
「小さな笑みを浮かべています」
やっぱりそっか。
ティーカップに映った顔は、自分でも笑っているように見えていた。
「くうちゃん」
「くうちゃん、とはなんでしょう? 恐れながら私めには未登録の単語です」
「
単純すぎる気もするけれど、いい名前だと思う。
「かしこまりました。くうちゃんを名前として登録します」
「よろしく」
これでもう、カップに紅茶を残しておく必要もなくなった。すっかりぬるくなったそれを口に持っていく。
「それで私めは、お傍に寄せていただけるのでしょうか?」
そもそも
「そりゃ最初は襲われるってびっくりしたし、めちゃくちゃ怖かった! 今でもあれは、もうちょっとどうにかならなかったのって思ってるっ」
「では」
メイドさんはなにを思ったか立ち上がろうとして、
「だけどっ!」
中腰で少しだけ固まって、あらためて椅子に座り直した。
「ご飯、おいしかったし……」
この子は私に合わせて作られたとも言っていた。だったら、その私が受け入れなければこの子に行くあてなんてある?
「いつ出ていって、っていうか分からないけど。仕方ないからそれまでは許してあげる」
それまでは、
「ありがとうございます」
「お礼なんていらないよ」
「紅茶のおかわりはいかがでしょうか?」
くうちゃんはティーポットを掴んで軽く揺すった。
「おかわり禁止じゃなかったの?」
「紅茶は特別扱いです」
さっきより少しだけ、くうちゃんの雰囲気が丸くなっている気がした。
「そっか。それじゃいただける?」
「
セピア色の液体でふたたびティーカップは満たされた。けれどもう、その水面になんて気をとられない。
「ただし、まだまだ聞きたいことがある! くうちゃんにはとことん付き合ってもらうからっ!」
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