第7話 失われた槍
あの木馬の中に敵が隠れている。
我々を打ち滅ぼしてしまうであろう敵が隠れている。
なのに住民は誰一人として信じない。私の声は届かない。この槍で木馬を破壊できれば私の言葉が正しいとわかるはずなのに。皆はあの木馬を聖なるものだと信じてしまっている。
私を信じて付き従ってくれた息子たちと、槍を構えたその刹那、不意に顕現した海蛇に絡みつかれてしまった。体長が数メートルはあろう海蛇は私たちを取り巻き、絡みつき、動きを封じてくる。--父上、父上--息子たちが懸命に海蛇を引きはがそうとしてくれるが、敵は絶えずその胴をくねらせとぐろをまいて私たちを放そうとはしなかった。
締め上げられた私たちはなすすべなく骨を砕かれ、噛みつかれ、やがて絶命した。せめてもの救いはカサンドラ様が無事だったことだろうか。
消えたギリシャ兵に沸き立ち、喜びの宴に興じる市民たちを、何もできずに虚空から見守ることしかできなかった私たちは、この後に起きる惨劇をも見守ることしかできなかった。
というのが、ギリシャ神話の中でも有名なトロイア戦争での出来事の一部だ。お察しのとおり私はラオコーンであり、この話の中心にいた者だ。信じられない? それはそうだろう。自分でも頭のおかしいことを言っている自信がある。だが事実だ。所謂転生というものかもしれないね。私は君たちに頼みたいことがあってここへきた。この私の話を大理石に刻むことになった君たちにだ。
槍を一緒に彫刻するのをやめて欲しいのだ。
理由は2つある。伝聞では私の槍は木馬に届かなかったことになっているが、本当は私が持っていたのは剣だったのが理由の1つ。もう1つの理由は、実は私は槍も剣もロクに扱うことができなかった文官だったということだ。後世に見栄を張っても仕方がないが、嘘を残すのも気がひけるのだよ。
こうしてあらゆる彫刻の中でもっとも好まれているといわしめたラオコーン像の手には何も残らなかったのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます