空に呑まれる

愚っ痴ぃ

空に呑まれる

「空に呑まれる」とは、

 人が決して毒されてはいけない欲求。

 一度空に呑まれると魂は此方に戻っては来られない。結末に向かう迄精神と肉体は絶えず動き続ける。

 呑まれた人間の理性がこの欲求に勝つ事は有り得ない。


 ​

 ​────遺体を囲む真赤なアスファルトだけが私の眼に焼き付いていた。


 遺体はまるで、羽根の折れた蝶。

 彼女の折れ曲がった脚がそのような幻覚を見せたのかもしれない。

 私なんかに、届く筈もない空に手を伸ばした蝶の痛みを知る術はなかった。


 自分を殺める事への痛覚を。

▪️

 空はいつもの様にそこに在る。

 まるで青く塗ったキャンパスに白い綿が浮いている様.....なんてまたいつかの思考をしてしまう。

 誰かに見せたいと思う時もあったけど、この屋上から見える景色だけはやっぱり自分だけのモノにしたい。


 ​───春の心地良い風が私の髪をなびかせては通り過ぎていく。そんな中私は頭上を見上げては声を漏らした。


 空を見ていると自分なんて小さな存在に感じるな。

 あまりにも大きくて、ただそこに在るだけなのに私達を圧倒させる空。


 何故「空」は私達を圧倒させるか。

 幼い頃に考えた私の自論は人間がこの「空」に対して何も出来ないからだと思った。

 だって私が空を独り占めをする事は出来ないし、空に飛び付くことだって出来ない。


 .....多分人間は、空に触れることを禁じられているんだと思う。

 空を感じる事も、空へいく事もできはしない。だから、この広い大きな空に圧倒される。


 .....いや、自分の上は「空」なのかな。

 ただ単に上に手を上げれば、それは「空に触れる」ということなのかな。


 .......難しいことは分からないや。


 ​────私は屋上の椅子から腰をあげると錆びた緑色のフェンスの間からビル群を見下ろした。




▪️

 高い所から下を見ると「落ちてみよう」って欲求が出てくるのは何故だろう。

 駅のホームでもそう。ここでもそう。

 何かに引っ張られるように、吸い込まれるように落ちてみたくなる。

 死んでしまうって事は分かっているのに。

 高い所に居ると頭がおかしくなってしまうのだろうか。

 .....今だって、自分の理性が働いて「ソレ」をする事を制御しているし。


 何故「高い」は「落ちる」に直結してしまうのだろう。

 ロープウェイやタワーから景色を見た時はあんな欲求は出ない。だけど、あれはちゃんとした「人工的な柵」と「人工的な地面」が在るから。

 理性という「本能の柵」が壊れて、飛ぼうとしても「人工的な柵」があるからソレは出来ないのだ。


 .....でも「人工的な柵」なんて、簡単に乗り越えられる。行きたいと思えばいつでもいけるんだ。

 .....そう。このフェンスみたいに。


▪️

 ​───────あぁ、

 この空の向こうには一体何があるのだろう.....?

 私はそれが知りたかった。この空を欲しているのに、何も出来ない自分を嫌いになっていた。

 久しぶりに見たこの景色。

 空はいつもの様にそこに在る。


 ─────私はたくさんの切傷がついた手でフェンスを乗り越える。


 このずっと続く空とひとつになりたい。

 だって私は飛べるから。飛べるはずだから。

 そう信じている筈なのに何故か私の心臓の鼓動が早くなる。胸が苦しくなって、今にも倒れてしまいそうだ。


 端に痣だらけになった両足を揃える。


 この欲求には、誰も逆らえない。

 心も躰も浮いている感覚が私を襲う。下に見える小さなビル群がまるで玩具のよう。

 私の手が届きそうな玩具達は、こっちに来てと手招きしている。


 ─────深呼吸をして震える脚を落ち着かせる。


 ここから翔べば私は死ぬのだろう。

 大丈夫。どうせ、消えてもいいこの命。

 人間なんてこの世界に必要でありながら欠けてもいい代用品。ひとりぐらい消えても世界は変わることもなく廻っていくんだから。


「.....さて、正当化は出来たかな。」


 いや、下手な自己暗示なんて何にも変わらないか。


 自殺は悪い事だ。

 自分で自分を殺すなんて、一番やっちゃいけない事。だから、自分を騙して飛ばすしかない。


 ────私は空が好きなのだと。



 どうせ死ぬなら。

 空を一度でもいいから飛んでみたかった。

 好きな空に溶けて一体になりたい。


「─────行こう。」

 もう一度深呼吸をして私は目をつぶって跳んだ。



▪️

 私は飛んでいた。

 あの数秒間は、とても気持ち良かった。

 これが「飛ぶ」事なのだと、疑いもしなかった。

 願いが叶った。私は飛べたのだと。


 これで最期だから綺麗な空を見てみたい。

 あの私を圧倒するあの空を。


 落ちる最中、目を開けて上を見上げる。


 ───私は言葉が出なくなってしまった。

 空はビルに邪魔をされ、人工的な空へと変貌していたから。それは私が地から見るいつもの空だった。


 私は空に行きたかったのに、どんどん遠ざかっていく。

 それが酷く悲しくて、泣いてしまいそうだった。


 私がしていたのは「飛行」ではなく「堕落」だったのだ。

 自分を騙しても、世界は騙せない。

 空に飛べない私が行く先は。


 あの絶景からはかけ離れた、汚い人工的な地面なのだろう──────



 ▪️

 何も見えない。

 身体も動かない。

 何も感じない。

 痛いのかもう分からない。

 私の目からどろどろとした涙が溢れて止まらない。

 肌で感じるものは、ごつごつとしたアスファルト。

 私は、多分「空」にへは行けなかったんだと、他人事の様に思い出す。


 現在いまに居場所のない私が「空」に行けないのなら、行く所は地獄なのだろうか。

 ─────いや、そんな事はありえない。


 天国でも地獄でもない。

 私が行ける場所は、煉獄しかないのだ。


 痛苦、悲哀、苦悩しか存在しない場所。

 自分で自分を殺すなんて、人間の倫理に反している。

 人間が創り出した死後の場所にもそれは存在する筈。だから、私は煉獄にしか行けない。私は「空にいく」ことを望んだが、空は、世界はそれを許さなかった。


 ───私の場所は空にさえなかったんだ。


 あんなに、近くにいたような空は虚しく遠く離れていく。私の心でさえ空を触れられない。

『これが空に呑まれるという事なんだ。』

 だけど、其れを知るには少し遅かったみたい。

 私は冷めていく躰を追うように意識を底に落とした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

空に呑まれる 愚っ痴ぃ @Gucy

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ