第2話 ‐悪魔を育てよう‐

 フランクとジミーが、《フランケンシュタイン・パラサイト》の作製に取り掛かって1か月が経とうしていた。

 人間を作り替える生物に、便宜上の名前を付けたのだ。普段はさらに縮めて《パラサイト》と呼んでいる。

 《パラサイト》と名付けた理由は、遺伝子デザインのベースとなる生物に、フランクが飼育している線虫を選んだからだ。フランケンシュタインの怪物を創り出す寄生虫という意味合いである。

 遺伝子デザインにおいて、フルスクラッチDNAを作製する場合であっても、既存の生物のゲノムをベースにデザインすることが多い。既存の生物の系統樹から離れた、完全に新しい生物を創造するような遺伝子デザインは、《ビーグル》にしか出来ない芸当だ。


「ジミー。《パラサイト》のデザインはどんな感じだい」

「難攻しているよ。そっちの《プリ・パラサイト》こそ、元気にやっているか」


 《プリ・パラサイト》は《パラサイト》の前準備として創ったデザイン生物だ。様々な制限をかいくぐり、いきなり目的の《パラサイト》を創れるとは思っていない。だから、フランクとジミーは、三つ段階に分けて《パラサイト》の作製を行うことにしたのである。

 その一つ目がベースとなる生物、《プリ・パラサイト》の作製だ。


「元気だぞ。直接俺たちが飲み込んでも大丈夫だろう。こいつの性能は完璧だ」

「冗談でもやめておけよ。僕らも含めて実際に人間の身体では試さないって約束だろ」


 フランクに協力するにあたって、取り付けた約束事である。人体実験は決してしない。未知の領域に挑むということは、不測の自体がどこで起きるかわからないということだ。そんな未成熟な技術を、ただの好奇心から人間で試すなど、科学者としてありえなかった。

 社会に胸を張れないような事に挑むからこそ、研究に対しては誠実であるべきだと二人で話し合った結果だ。


「支援AIの警告も出なかったし、実際に塩基配列解析シークエンスして機能を確認しただろう。《プリ・パラサイト》は人体に入り込んだあと、細胞単位にひとつずつ細かく分かれて、あらゆる組織に入り込む。そして30分も経たずに、完全に消える。ただそれだけの無害な生物だ」


 《プリ・パラサイト》は薬などの有効成分を標的の組織に直接運ぶ能力を持った寄生虫だ。細胞質中に有効成分を注入したうえで飲み込めば、標的の組織で細胞が壊れて、有効成分が病変に直接届く仕組みである。

 遺伝子を改変する能力もなく、特定の環境以外では自動的に死滅するようにデザインしたから、周囲に漏出した場合でも環境に対する影響はない。

 似たような能力を持ったデザイン生物はすでに存在して医療に応用されている。ジミーは、その能力を線虫に適用させたに過ぎない。

 ここまでは、若い研究者が勉強のために、既存の技術を別のアプローチで再現しているとしか思われないはずだ。監視に引っかかる要素はひとつもない。


 だから、ジミーとフランクの挑戦は、ここからが正念場だった。


 二つ目の段階は《プリ・パラサイト》をベースにして、幹細胞の制御能力を持たせるように《パラサイト》の遺伝子をデザインすることだ。

 目的の組織で、細胞を多能性幹細胞に初期化し、新しく分化を誘導して再形成させることによって、身体を作り替えるのである。


「幹細胞の制御は複雑過ぎるんだ。線虫の限られたゲノムサイズだと、詰め込める要素だって限界がある。目に見える変化を一つに絞っても、難易度は高い。おまけに支援AIの監視をかいくぐることだって考えないといけないからね」


 幹細胞の制御において、重要なのは幹細胞を維持する微小環境ニッチの構築と、目的の組織を形成するための分化誘導だ。この過程には多くの遺伝子や、細胞同士の相互作用が関わっている。

 一歩間違えれば、分化が止まらずにがん化を引き起こす危険性だってあった。これを支援AIの助けを借りずにデザインすることは困難を極める。


「とりあえず《パラサイト》のベースデザインだけは早々に固めるけど、そこから先は君も手伝ってくれよ。支援AIに頼らずネットワークの監視もかいくぐるってことは、アナログな方法でやるしかないんだから」


 遺伝子デザインソフトを使ってデザインするのは、《プリ・パラサイト》をアレンジして幹細胞を制御するためのベースを追加するところまでだ。幹細胞の制御や遺伝子の改変まで機能するようなデザインを直接すると、監視に引っかかる可能性が高い。

 だから、そこから先は紙に配列を書いたり、遺伝子模型を組み立てるなど、アナログな方法でデザインしていくしかない。ジミー一人では時間もかかるから、ここからはフランクも手伝うことになっている。


「わかっているさ、ジミー。お互いにやれる事はやる。全力を尽くそうじゃないか」


 遺伝子デザインが終われば、ついに最終段階へと移る。

 《パラサイト》を実際に作製するのである。

 《ビーグル》のナノロボットを使って作製するのはベースとなるDNAで、当たり触りがないものになる。そこから目的の《パラサイト》を作るには、伝統的な手法による遺伝子編集を行うしかない。

 ジミーが遺伝子デザインをしている間にフランクは、伝統的な手法の研鑽と材料の調達を行い、この最終段階を実行できるようにする。他の研究室とのコネもあり、伝統的な手法を得意とするフランクには適任だった。

 二人の挑戦の滑り出しは順調だった。けれどもジミーはすぐに壁にぶつかることになる。




 共同で研究するといっても二人で同じ作業をする訳ではない。実験の結果や遺伝子デザインに対する考察や議論は交わすが、基本的に作業は別々で行っている。フランクは他の研究室や学校に材料を分けて貰うため、外に出ることも多かった。今のご時世では、伝統的な手法に必要な試料を常備している研究室は少ない。ネットワークを通じて取り寄せることも可能だが、監視を考慮して、フランクは自らの足で調達することにしている。

 この日はジミーと《プリ・パラサイト》たちしかいなかった。今は数を増やしている段階だ。

 フランクの代わりに世話を頼まれていたので、ジミーはビニールカーテンで区切られた実験室に移動する。

 ジミーはデジタルな作業である遺伝子デザインの方が得意とはいえ、《プリ・パラサイト》の飼育法も学んで実践できるようにしていた。フランクが体調不良など研究室に顔を出せない時に代役を果たせるようにするためだ。

 《プリ・パラサイト》は、既存の線虫と同じで、丸いガラス製のシャーレに敷かれた寒天培地で飼育している。エサとなるのは大腸菌だ。

 今日は、古い培地から、新しい培地へ《プリ・パラサイト》を移植する植え継ぎの日だった。遺伝子デザインされているが、生物である以上排泄物などが溜まるから、定期的に環境を新しくしなければならない。

 机に設えられたガス口にガスバーナーの管を差し込み、元栓を開放する。そして火をつけた。脇には実体顕微鏡も用意している。《プリ・パラサイト》を実体顕微鏡で観ながら、ガスバーナーで滅菌したワームピックと呼ばれる道具で寒天培地ごと切り取り、大腸菌を塗布した新しい培地へ移植するのだ。

 この一連の手技は100年前とほとんど変わらない。科学の実験という領域でも、自動化できるものが増えたが、実験動物の飼育に関しては、人間の手によるものがまだまだ多い。単調なルーチンでありながら、生物の扱いには繊細さが要求されることもあり、機械装置を置くよりも、熟練した人間がやった方が余計な場所も取らずに作業速度も速いという実情もある。

 顕微鏡下で観察できる《プリ・パラサイト》は古くから飼育されてきた線虫と見かけ上は全く変わらない。

 かたちを大きく変えることなく、機能だけが特別にデザインされる。伝統的に引き継がれてきたものをベースにより良い存在へと発展を遂げる。ジミーは遺伝子デザインという技術と、その社会における扱いに込められたこの意味を好ましく思っていた。

 積み上げた過去の歴史へ敬意を払い、より良い未来を創り出す。科学者としての本分とも言えるだろう。フランクも似たようなことを言っていた覚えがある。

 

 だからこそ、ジミーはかすかな不安を感じていた。

 

 これから創ろうとしている《パラサイト》に求める機能は、これまで引き継がれてきた機能やかたちを否定する能力だ。既存のかたちを否定して、全く新しい存在へと作り替える。世界を揺るがすような存在を目指すということであれば、これくらいの飛躍は必要なのかもしれない。

 AIが制限する領域への挑戦。一度は納得したし、惹かれるものがあったのも事実だ。だが、理性ではこの《パラサイト》がどういう意味を持つのかを考えてしまう。

 人類があらゆる制約を超えていけることの証明としての生物。諦めていた“wanna beなりたい”自分を手にできる可能性の提示。 

 《パラサイト》を創ることができたならば、それは今の社会の規制が機能しないことも意味してしまう。

 まるで悪魔の誘惑だと思った。この研究はジミーとフランクの二人だけのものになる。人類の知能を越えたAIと社会の規制を出し抜くことが出来る達成感は、普通の一生では得られないものになるだろう。だがその代償に何を差し出すことになるのかは分からない。悪魔を育てているのかと思うと、寒気がした。

 紅茶が飲んで落ち着きたい気分だった。さっさと作業を終わらせてしまおうと、ジミーは顕微鏡を覗き込む。

 ジミーにはこの挑戦が成功する具体的なイメージが、まだ描き切れていない。遺伝子デザインが上手くいっていないことによる不安が払拭できないから、こんなことを考えてしまうのだろうと無理矢理にでも納得させて、思考を切り替える。

 植え継ぎがひと通り終わり《プリ・パラサイト》が入ったシャーレを飼育用の恒温庫に戻した。古い培地を乾熱滅菌機に放り込み、使用した道具を洗浄して片づけていく。

 ビニールカーテンを開けて実験室に戻ると白衣を脱いで、紅茶をカップに注ぐ。こちらの狭いスペースには給湯設備が無いから、寮で淹れてきた紅茶を保温ポッドに入れて持ってきていた。

 ティーカップはあるが、流石にミルクは用意していない。味気なさを感じるが、贅沢は言ってられなかった。

 ジミーは椅子に深く腰掛けながら、難攻している遺伝子デザインについて考えを巡らせる。人間の身体を作り替えて、さらにそれを正常に機能させるには、筋肉や皮膚、神経に限らず、多種多様の組織の働きを制御する必要がある。だが、線虫の限られたゲノムサイズでは、制御するための機能を全て詰め込むことは不可能だった。


 発想の転換が必要だと感じていた。突破口がひとつあれば、それで解決するとも思える。

 

紅茶をひと口含むと強めの渋みと、心地良い香りが広がっていく。濃く淹れてあるから、味の主張が激しい。沈んだ心には丁度良い刺激だった。

 紅茶は、ただお湯を注ぐだけのストレートな飲み方でも茶葉の量や淹れ方によって味わいが変わる。他にもミルクやレモンを入れたり、ロシアではジャムを入れるなど様々な飲み方がある。また、原料である茶葉の発酵方法の違いで、別の飲み物へも変化する。茶葉を完全に発酵させたものが紅茶で、全く発酵させないものが日本で親しまれている緑茶だ。順番を追ってゆっくり発酵させると烏龍茶になる。

 ベースとなる素材が優秀だからこそ、創意工夫の余地が広がり色んなバリエーションが生まれていくのだ。


「そうか。全ての機能を《パラサイト》のゲノムに持たせる必要はない。別のところから素材を組み合わせて、新たなバリエーションが生まれるようにすればいい」


 紅茶の刺激で閃きが頭を駆け抜けた。遺伝子という存在の本質と、その機能と構造の基本に立ち返れば、求めるデザインが見えてくる。

 すぐに携帯端末を取り出して、思考をまとめていく。《パラサイト》に抱いていた不安なんて吹っ飛んでいた。

 研究室の扉が開いた。フランクが颯爽と入ってくる。鼻唄も歌っていた。機嫌が良いようだった。


「ただいま。戻ったぞワトソン、調子はどうだ」


 フランクがいつものようにふざけた洒落をかけてくる。冷たくあしらうところだが、今日は違う。


「おかえり。クリック、調子は悪くないよ」

「だから、俺のことはクリックと呼べって……。どうしたジミー、いつもとノリが違うじゃないか」


 研究室に着くなり、ビニールカーテンの向こう側の実験室に消えようとしていたフランクの足が止まった。珍しく驚きの表情を顔に張り付けている。

 いつもこちらを驚かせてばかりで、行動を読んでいるかのようにふるまうフランクの意表を突けたようで、満足だった。たまにはこういうことも悪くない。


「僕だって君の陽気なノリに合わせたくなるくらい気分がいい時だってあるさ。フランク、難攻していた《パラサイト》の遺伝子デザインだけど名案が浮かんだ。聞いてくれるかい」

「そいつは最高の話じゃないかジミー。是非とも聞かせてくれよ」


 フランクを大急ぎで、実験室に入ると、調達してきた材料を冷蔵庫や薬品棚に収納していく。

 そして、戻ってきたフランクは壁際に立て掛けていた折り畳み式の椅子を取り出すとジミーの前に陣取った。

 ジミーは、フランクにも紅茶の入ったカップを渡して、まずは一口飲めと促した。この素晴らしい閃きを抱いた瞬間の感動を共有したかった。珍しく感傷的だなと自嘲したくなるが、楽しい気持ちの方が勝っていた。

 強い渋みに顔をしかめたフランクに。端末に書き殴ったメモを示す。


「《パラサイト》には幹細胞を制御する機能を直接持たせる必要はない。必要なのはベースとなる“文字”と、外から別の遺伝子断片を取り込み、それを“継ぎ接ぎ”する機能だ」


 端末にはgene遺伝子という単語とomという文字、そして、その横に矢印が引かれておりgenomeゲノムという別の単語が示されていた。

 フランクが考えこむように顔をしかめた。そして、その一瞬あとに表情が徐々に華やいでいく。ジミーは、フランクが寸分違わずにこちらの意図を理解したのだと確信した。

 気が付いたら二人で声を出して、笑っていた。理性的な喜びを、この瞬間に共有しているのだと思った。


「そうか、文字と文章と意味の考え方か。文字の組み合わせで文章を創りだし意味を持たせる。遺伝子デザインでは基本中の基本だ」


 英語ならアルファベットというAから始まる26種類の文字を組み合わせて文章を創り意味を持たせる。遺伝子であれば、ATGCという4種類の塩基文字によってゲノム上に文章を創り出し、その組み合わせで意味である機能をコードする。

 この組み合わせを考えるのが遺伝子デザインだ。だが、ジミーがこれから目指すものは、それを基本として、ひとつ先にあるものだ。


「その通りだよフランク。gene遺伝子という単語がomという別の文字を組み合わせて gen-om-eゲノムという別の単語に変わるように、ベースの単語と外からの文字の組み合わせで、目的の機能意味を創り出せるようにすればいい。

 最初から完璧な機能をそろえた生物をデザインしようというのが無茶だったんだ。ひとつの《パラサイト》で全てをまかなうんじゃない。組み合わせによって、多様なバリエーションが生まれるような《パラサイト》を創るんだ」


 外から加えられた遺伝子断片を認識して取り込む機能をデザインする。そして、取り込む遺伝子断片によって、制御する幹細胞や標的とする組織を自在に変えられるようにすればいい。

 《パラサイト》という生物上で、新たな機能を遺伝子の“継ぎ接ぎ”によって創り出す。そうして生まれた様々な機能の《パラサイト》をまとめて取り込めば、人間を作り替えるという目的が果たせる。


「それでも、複雑なデザインになるぜ。《パラサイト》に膨大な組み合わせを創り出せるような文字を配置して、特定の配列を持った遺伝子断片を取り込んで、さらに任意の組み合わせを正確に創り出せる機能を持たせる必要がある」


 理想を口にするのは簡単だが、実際にそれは困難な道のりだった。それでも無理だとは思わなかった。物理的に不可能な容量ゲノムサイズの問題をクリアできるから、フランクと二人でなら十分に可能だという確信があった。


「フランク。ゴールはもう見えた。あとは突き進むだけだ。手間がかかるけれど、出来ない無茶じゃない」

「ジミー。普段は冷静な君がそう言い切ってくれると、ワクワクしてくるよ。君は最高だ!」


 フランクがたまらず抱き着いてきた。勢いを受け止めきれずに椅子から転げ落ちる。背中に床の冷たさを受け、正面にフランクの体温を感じる。

 その奇妙な温度差が心地良かった。気分が今までにないほどに高揚していた。どんな困難も、二人でなら超えられると思った。


 それから一か月間は輝かしい充実した日々だった。困難な道のりも、手探りでは無くなったから、一歩一歩着実に進んでいく実感があった。何より親友と、かけがえのない時間を共有しているのが楽しかった。

 この先も、二人で進んでいく未来が続くことを、願わずにはいられなかった。

 

 だが未来は不確定で、ちょっとしたことで道が分かれていく。

 二人はあくまでも別々の人間で、全く同じものを見ている訳ではない。

 それでも、二人は相補的な関係だった。互いに欠けたものを持ちより、二人でいるから大きなことを成し遂げることができる。

 それだけは、決して揺るがない事実だった。

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