第19話:死神


 真っ白な地面に赤色が混ざり、物体が空を舞う。

 白い大地に赤い池が作り出されていく。


 女子寮。妖精の園。

 そこには、白面の中に赤い華が咲いていた。


 切断面から溢れだす、血液が作り出す真っ赤な華。

 その華と大地が作り出す赤と白のコントラスト。

 遠くから見れば妖精の舞のフィナーレを飾るにはよく似合う華ではあるが、それが人から出ていなければ、さぞかし綺麗な光景に映ったであろう。

 

 その場を目撃した誰もが何が起きたのか分からなかった。

 周りの景色が、切り取られたかのように静止した中、赤い華だけが絶えず動いている。

 だからこその、静止したかのような時間。


 ぼとりと宙を舞った物体が地面に落ちたことで、一言、言葉が発せられたところで、その場で止まっていた景色が動き出す。



「……ぁあ?」



 確かに、玲はメイの首を切り落とそうとカタールを振り下ろし、切り落としたはずだった。

 今も、メイの首が飛び上がる光景が目に焼き付き、記憶として脳内に残っていた。


 しかし、メイの首はいまだ繋がっている。


 その代わりに、玲の右腕の肩から下が、鋭利な刃物で切られたように綺麗になくなっていた。


「あ……あああああああああ!」


 自分の腕がなくなったことに気づく。

 叫び声をあげ、なぜ自分の腕がなくなっているのか、それさえ分からずに、ただ激痛に辺りをのたうち回る。


 目の前に忽然と現れた男に気づきもしない。


 ――メイを助けるように男が立っていた。


「……何度も言ったよな? 危ないと思ったら、解決しようとせずにすぐに逃げろって。間に合わないところだったろうが」


 面倒そうに、メイの目の前に立つ男は煙草を取り出して吸い始める。


「カヤちゃん……なんだか、ピンチのときに助けに来てくれる王子様みたいです」

「お前は……恥ずかしいことを口走るな?」


 永遠名カヤ。


 SS級殺人許可証所持者

 コードネーム:ナノ


 事、人を殺すことにかけては、殺人許可証所持者、殺し屋組織の頂点に立ち、裏世界の誰もがその存在だけを知る。

 高天原により、コードネーム以外のすべてが謎に包まれ、噂だけで語られる存在。


 殺人許可証所持者としての異質な能力や、あまりにも迅速な手際の良い仕事や残酷さ。過去にあったナノが起こしたとされる大量虐殺から、裏世界の住人は彼のことをコードネームではなく、畏怖を込めてこう唄う。


 見た者おらず

 見た者全て『永遠』を奏で

   まるで亡霊のような殺し屋


 『名』も無き『畏怖』を司る

     二つ影の『死神』



 『閃光の二重影』


 と。


 裏世界の畏怖なる象徴して名を馳せるナノが、自分達の前に立ちはだかっていることを、彼等はまだ知らない。


「さてと、んで? この寮は大丈夫だったわけか? 怪我とかは……」

「お、おじさん!」

「……ないようだな」


 寮内から今まで震えるだけだった少女達に声をかけると、今までが嘘のように、悲鳴をあげることしかできなかった少女達が呪縛が解けたかのように一斉に歓声や泣き声を挙げ始めた。

 その中で際立つ声を放つ少女がカヤの言葉に大声で返す。


「私達のことより! メイ!」

「ああ、腕が拉げたんだろ? まあ、よくあることだよな。……半年ってところか?」「あ、あぅ……」


 カヤがメイの腕に触れると、メイは激痛に声をあげ、激痛に顔を歪めながらも、懸命にカヤに笑顔を向けた。


「……」


 カヤが、無言で立ち上がる。

 ふらふらと、腕を失い苦しむ玲に近づいていく。



(……私のこと、忘れちゃ駄目だよ?)



「……馬鹿……やろうっ……っ!」


 メイのその姿が、記憶の女性とダブる。

 過去に見た、思い出したくもない光景がカヤの視界に映った。


「――」


 カヤは、呟いた言葉を、自分にも聞こえないほどの小声で呟いていることに気づかない。


 忘れるわけが、忘れられるわけがないだろう……っ!


「ううう……腕……俺の腕をよくもぉぉ!」


 腕から飛び散る血を必死に止めようと押さえながら、カヤに向けて殺気を発散させた。


 寮内の少女達にもその気迫が伝わり、少女達は呼吸をすることも忘れるほどの圧迫感に襲われ、中には泡を吹いて倒れる少女もいれば失禁してしまう少女もいたほどに、殺気が辺りに充満する。

 近くで、駕籠にいいようにされそうになっていた望さえも、恐怖に閉ざしていた心を取り戻すほどに。


「うるさい」


 カヤが、目の前で叫ぶ玲の前に立つと、その一言を男に向かって告げた。




 雪が、その場にだけ降ることをやめた。




 降り積もった雪が、何十倍もの重力をかけられたように急にひしゃげる。


 いつもは大きく見える女子寮が、園を覆う大木が、辺りにある建造物がこの時だけ小さく見えた。



 やがて、音が、消える。



 少女達は起こりえるはずのない事象を目の前にした。



 カヤの目の前にいた玲の体が、窮屈そうに、まるで自分が入れない隙間に無理やり入ったように物理的に小さくなる。


 左右からの圧迫感。

 苛まれ、耐え切れなくなったのか、口から噴水のように血の霧を吐き出した。


 真っ白な雪の上を、さらに赤い模様が広がっていく。


「――」


 カヤが何かを喋ったようだった。

 口がわずかに動くが、言葉は聞き取ることはできない。

 

 しかし、読唇術を使える者なら何を言ったのか分かっただろう。



 それは、死の宣告。



 切り取られるという表現が正しいだろう。

 両足のつま先から、頭の天辺まで。

 玲は、痛みもなく切れていく自分の体を、ただ、見ることしかできない。


 少女達から見れば、玲が雪の中にゆっくりと消えていくという風にしか見えなかった。



 音が、戻った。


 雪が何もなかったかのようにゆっくりと降り始める。小さく見えた景色が、いつもと同じように見えた。

 ばさばさばさっと、忘れていたかのように大木に積もった雪が一斉に落ちていく。



「……」



 その場にいた全員が、言葉を失った。長年側にいたメイでさえも。



 カヤが玲に対して使ったものはメイと同じ『糸』である。正確には、必要最低限にまで薄くされた、ピアノ線だ。


 裏世界で糸を使う殺し屋は、現在では世界中を探しても、ナノだけである。


「――他に、死にたい奴はいるか?」


 ばしゃっと、空高く辺り一面に水が飛び散った。

 それは、改めて降りだした雪に混じり、白を赤へと変えて降り落ちていく。


 それはまるで、雨のように。

 赤い。赤い雨。

 切り取られて霧のように消えた玲の体に残った血液が、辺りに血飛沫となって舞い落ちてくる。


 血を纏う死神。


 その、血を浴びて佇む目の前の男が一歩ずつ、少しずつ、解に近づいていく。

 解が我にかえった。 


「……大抵の許可証所持者は、お前等非公認の殺し屋達とは違う。お前等など気づく間もなく殺すこともできるが――」


 カヤは右手を男達を指差すように向け、


「――試して、みるか?」


 そう、玲の殺気よりも、遥かに濃度の高い殺気を放ちながら、解と駕籠に向けて言い放つ。


「貴様は――」


 どれだけ脳内に形成されたリストの中を探しても、目の前に立つ男が誰か分からなかった。


 許可証を持ち、あっさりと、そして鮮やかに仲間を殺すことのできる男が、リストに載っていないわけがない。


 噂だけの存在。

 ふと、いつか聞いた言葉を思い出した。


「せ、閃光の、二重影?」

「ああ。……退くのもよし。退かぬもまたよし。……どうする? とは言っても、お前と会うのは2回目だ」

「華月本部をたった1人で襲撃したのは、お前かっ!?」

「ああ。面倒になったから帰ったがな。あの時、あの場にいたろ?」


 いた。

 何があったのか分からないほど、あっさりと殺されていく数多くの同胞を、次は自分の番だと、恐怖で動けなかったあの時に。


 怖くて、仲間達を置いて我先にと逃げ出したあの時に。


『……人を散々殺しておいて、自分は死にたくないから逃げるか』


 退屈そうに投げ掛けられた言葉を。


 華月が一気に縮小し、このような小さな依頼さえも受けなくてはならなくなった、組織にとっては屈辱と畏怖に支配されたあの瞬間に。


 確かに解は、あの燃え盛る炎の中にいた、死神を見ていた。


 まるで、歌う様に呟き、腕を振り下ろす中国服を着た男。


 今までどんな仕事をしていても、与えられることのなかった、恐怖を。


 解は、思い出した。


「時間は十分に与えた。退かないなら――」



 あの時と同じように。

 まるで歌うように言葉が紡がれる。

 カヤの腕がゆっくりと動く。


 ただ、それだけ。


 動くこともできず、ただ、そのカヤの行動に見入る事しかできない。

 

 カヤからしてみると、後は振り下ろす行動をするだけで、目の前にいる殺し屋はいとも簡単に死ぬはずだった。


 そこに、叫び声があがらなければ。


「いや、いやぁぁぁぁぁぁーーーっ!!」


 急に背後から聞こえてきた叫び声。

 カヤは女子寮から聞こえた複数の叫びに動きを止めた。


 『人が殺された瞬間を始めて見た』時に生じる硬直が、切れたのだ。


(お姉ちゃん!? お姉ちゃん!)


 少女達の叫び声が、違う叫び声とダブる。

 あの声は……確か――


「――カヤちゃんっ!」

「……っ!」


 意識が、戻る。

 静かだった園のざわめきがカヤの耳に届く。


「……退くか?」


 カヤの言葉に、しばらくの沈黙の後、小さな音とともにナイフをしまう。


「今日は出直そう。が、仲間の仇は取らせてもらう。……いずれな」


 救いが、死神からもたらされた。

 とにかく、解は、目の前の最高の殺し屋から逃げたかった。


 そんな虚勢が分かったのか、カヤは鼻で笑う。


「……おい、そこの強姦魔」


 びくっと、駕籠が震えた。

 今まで動くことも許されていなかった駕籠にカヤが声をかける。


「な、なんに……」

「警告はしたはずだ。で、こんな結果だ。

 にも手を出した。生きていられると思うなよ?」


 気づけばカヤの隣には駕籠に捕まれていた望が座り込んでいた。


「……え?」


 望自身、いつ移動したのかわかっていなかった。

 カヤは、自分に意識を集中させている間に巻き付けた糸を引っ張って望を回収しただけだが、周りから見ると瞬間移動したように見えたようだ。


 がくがくと震える足が止まらない。

 駕籠はこの男の恐ろしさが分からなかったが、手を出してはいけないものに手を出したとだけはわかった。


 解がカヤを警戒しながらも駕籠に近づいていき、駕籠に触れると気配が消え、やがて姿も消えていく。



「……辛いなりによく頑張ったな望」

「お、おっさん……」


 カヤに頭を撫でられながらかけられた言葉に、涙が溢れてきた。

 辛かった。

 こんなにも自分が無力だとは思わなかった。


 あんな思いはしたくない。

 もう戦いたいとも思わない。

 でも、もっと強くなりたい。


 周りを気にせず、心のままに。


 園に、望の泣き声だけが響く。


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