第13話:迎撃前


「……お粗末な永遠名の探知でも引っかかるほどの距離……」

「粗末言うな」

 

 寮内。

 今は夜中。すでに寝ている女学生もいるであろう。


 管理人室から200mほど続く真っ直ぐな廊下を4人が、音を立てないように静かに歩いている。

 木製の暖かみのある床が続くその道の先の大広間へと向かいながら、水地は改めて今の状況を考える。


 カヤの、広範囲に渡って『気配』を確認する『探知』と呼ばれる技法は裏世界の住人にとって必須の技である。


 事が命を天秤にかけられた状況下において、相手がすぐ側に来た時にはすでに遅い。

 周りに気を配り、気配を辿り、予想し柔軟に思考を巡らし生存確率を増やす。

 それは裏世界では常識的な技術。

 しかし、カヤの『日常に置いての探知』はカヤ自身もわかってはいるが、あまり誉められるほどの技術の域ではないことを水地は知っていた。


 集中下においては裏世界でも十分な域には達するものの、常に使い続けるとなるとそれは特殊な訓練と熟練が必要になる。

 もちろん、カヤは常に使い続ける特殊な訓練を行ったことはない。

 カヤは生粋の殺し屋。暗殺者となんら変わらない。

 瞬時の広範囲の探知ができれば――裏世界最強と言われ、『閃光』とつけられ恐れられる存在にとっては、対象が目の前に現れる前に確実に相手を殺すことができる。

 何よりも、誰よりも早く。その速さが裏世界最強と呼ばれる所以。

 それが、『閃光』の弐つ名の意味でもあった。


 水地は管理人室のカヤの言葉で、『敵』が寮管理地に侵入していることを確信していた。

 水地の探知の網にもかかる距離まで近づいている。


 カヤが警戒するほどの相手。

 裏世界最強の殺人許可証所持者から逃げる実力を持った相手。


 殺し屋組織・華月。

 その構成員数人が近づいてきている。


 脅したということから、カヤとしても少なからず時間は稼げるはずだと思っていたはずだと考えるが、「脅す」ということが引っ掛かった。

 ほんの少しのこの日常は、殺伐の日々しか送っていなかったカヤにはいい意味で堪えたらしい。


 があって、早5年。忘れたいかのように常に塵芥の裏世界で仕事をし続けていたカヤ。

 だからこそ、もう少し。

 彼に休暇を与えてあげたかった。


 仕事仲間でもあり、友人でもある水地にとっては、カヤの変化は喜ばしいことではあった。

 ただ、この戦いが終われば、間違いなくカヤはこの場から去り、また裏世界で畏怖の存在に戻ってしまう。

 水地は、友人として悲しくあった。


「なあ、メイ。状況がまったく分からないんだけど……おっさんがあの閃光の二重影ってのもいまだ信じられないし」

「あははっ……カヤちゃん、普通にいそうですから」


 背後でそんな声が聞こえた。

 カヤから受け取った指輪を一つ一つ丁寧に指につけながら、何も理解できていない望に、これから起こることを話すメイ。

 2人を肩越しに見つめながら思考を巡らす。


 望が追い出した駕籠が、報復の為にこの寮を手に入れようとしており、邪魔物を排除する為、その為にしては不必要なレベルでの上位集団と手を組んでこの寮を制圧しようとしている。

 制圧されれば、その時点でこの寮の少女達は表世界に戻って来れないだろうし、悲惨な最期を遂げることが確定するだろう。

 行き着くのは、どこぞのペットか、人の生産工場か解体市場か。実験場であまたの研究に使われれるかもしれない。

 そんなことはこの寮に恋人のいる水地としても許せることではない。


 追い出すのではなく、望が殺人許可証所持者としてその時に殺してしまえばこのようなことも起きることはなかったとは思うが、これはあくまで裏世界の考えであり、普通はそういう考えに至ることはない。


 駕籠を追い出した時に水地はその場にいなかった為その時の状況は分からないが、寮内での行動であれば周りに女学生も多いことも、最下位ランクの望がおいそれと殺人行為はできなかった。

 付け加えると、望は所持者ではあるが初心者であり、その中でも裏世界にまったく精通していない一般人に毛が生えた程度でしかない。


 駕籠が裏世界の人間だと知らずに追い出したのであろうが、一般人と思っていたからこそ、そういった行動で終わらせた、と水地は考えている。

 それは間違ってはいないが、裏に手を出している相手に行うことではない。

 そこが望の落ち度であり、考えの浅さでもあった。


 そういう一般的な考えしか持っていない望を危険と感じ、水地は保護という意味を含めて師弟関係を結んでいる。

 B級殺人許可証所持者の庇護があれば、大抵の裏のトラブルは回避ができる。特に、それがネームバリューのある所持者であれば尚更謙虚に現れる。


「え、今の状況って私のせいなのか!?」

「いえ、望ちゃんのせいではないですけど……」


 そんな風に背後で驚いている、甘い考えを持ってまだ現状を理解できていない望に、カヤが指摘したように、もう少し裏世界の知識を与えるべきだったと師としての教育に後悔した。

 裏世界に通じていなければ、何事もなく学生生活を過ごしていたと思えるその2人を見ながら、もし通じていなければ、この寮内にいる女学生全てが今頃は裏世界で売り出されていたのであろうとも思う。


 望にある程度の知識を与えていればこのようなことは起きなかっただろうか。

 起きなければ、カヤの休暇ももう少し長くなったであろうか。


 とはいえ、これが不幸であるのか幸運であるのかは分からないが、少なからず護ることのできる人材がこの場にいたことは幸運であったと思う。


「えっとですね……望ちゃん。殺し屋組織ってわかります?」

「それくらい分かるよっ!……何でメイのほうが詳しいのかが分からないけど」


 メイちゃん……俺よりもネームバリューがあるんだけどな……。


 望の質問攻めに、困ったように苦笑いを浮かべるメイを見てそう思うとともに、望自身が一般人と決め付けているメイが、実は自分より各上の存在だということを知らないのは何とも幸せなものだとも思った。



 メイ――はるかメイは、昔からのカヤの知り合いである。


 メイの姉――A級許可証所持者、『聖母』の弐つ名を持つ遥メグと、当時B級許可証所持者であった弐つ名のない永遠名カヤと共に、カヤがA級に昇り詰めるまで一緒に行動を共にしていた。


 修羅場の経験は、水地よりも遥かに上。


 メイは、許可証所持者でもなければ殺し屋でもないただの一般人であることは確かだが、2人とともに仕事をしていたことで、裏世界のほぼ全てを網羅している。

 正反対に、望は裏世界の入り口に入ったばかりの、身体能力が高いだけのただの一般人と変わらない許可証所持者。


 2人の経験則としての決定的な違いは、それだけではない。

 裏世界においての仕事における『人殺し』を経験した。という点だ。

 その中でもメイの人殺しの経験は、起こりえるはずのない殺しであった。


 ――メイは、自分の目標である大好きな姉である「メグ」を殺している。


 そこに何があってメイがメグを殺したのかは水地は知らないが、それを聞いたときは「あの仲のいい姉妹に何が? あの、メグを?」と耳を疑った。


 遥メグ。

 彼女は死ななければ、カヤに代わって最強と呼ばれたであろう女性であり、

 裏世界最高機密国家『高天原』が起こした、世界樹事変大惨事を救い、世の中に殺人許可証を広めた『三修羅』、現高天原最高幹部『三院』に連なる女性である。


 『紫閃光の修羅』遥 瑠璃。SS級殺人許可証所持者、コードネーム:ガンマ

 『紅閃光の修羅』永遠名 冬。SS級殺人許可証所持者、コードネーム:ラムダ

 『黒閃光の修羅』立花 松。SS級殺人許可証所持者、コードネーム:フレェクルズ


 世界中を震撼させた大惨事で、ルールも何もない混沌の渦中に戻りかけていた裏世界で最強と呼ばれたのはたった1人。


 紫閃光の修羅 遥瑠璃。


 その長女として『最高傑作』『終焉に導く聖母』と唄われ、三修羅に次ぐ裏世界の抑止力となった女性が、遥メグであった。


 しかしその力は、次女である遥メイの力には遥か敵わず。


 メグがぼろ雑巾のように、太刀打ちもできずに一般人に殺された。という事実と、膨らみに膨らんだ虚言。

 そしてこのメイの殺人は、その後に続く永遠名カヤの『閃光の二重影』の弐つ名の由来となる、裏世界最悪の歴史に残るであろう『無差別殺戮』の発端ともなっている。


 カヤの無差別殺戮の影に隠れた、女性の死とその女性を死に追いやった妹。


 その発端の少女が、自分の目の前にいるということを、望は知らない。



「さて……ここを抜けられたら終わりなわけだが。一応聞いておくが、状況は理解できたか?」



 気づけば大広間。

 カヤが大広間の真ん中で立ち止まり、振り返って3人に聞く。


 長い夜が始まりそうだ。と、水地は玄関の先を見据えて探知を開始した。


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