第6話 B案

                 〇


 今日のイベントは地元バンド主催の企画ライブで、お客さんの数がいつもより少なめだった。

 ドリンクカウンターにもあまり人が来ないので会場を見渡していた。

 そしたらもう一人の先輩スタッフが、一人で居るお客さんに話しかけていた。珍しいな。


 ライブが終わって後片づけをしている時、先輩スタッフが店長と雑談をしていた。

「今日XXさん(さっき話しかけていたお客さん)、ちょっと元気無かったですね。何かあったんですかね」等と話していた。

 そうか、気にして声をかけたのか。こういうさらっとした気遣いが出来るのって、大人って感じがしてかっこいい。


 実際に此処で働いてみて、スタッフの人たちがこんな風に気を遣っている場面をよく目にする。

 バイトする前にお客として来た事は何度かあるけれど、ライブハウスの人は無愛想なイメージがあった。

 お馴染みの人とばかりお喋りしているノリが軽い人って思っていた。

 けれどもそうじゃなかった。話すタイミングとか、誰と話すとか、その場の空気を読んで考えているように見える。

 私もこの人たちみたいに動けるようになりたい。

 今やっている事といえば云われた仕事をこなすだけだ。お客さんとの会話は、聞かれた事に答える程度だ。話し込んだら仕事が疎かになりそうだし親しい訳でもないのに話しかけるのも何だかなぁ、と思って。


 このままじゃだめだ、もっと業界の事も知ってもっと深い所に携わりたい。

 とりあえず今日の打ち上げに参加してみよう。知らない人たちばかりだけれど……最初は誰だってそうなんだ。

 打ち上げ中に店長に、もっと積極的に仕事に関わりたいと話してみた。

 店長は「そうか、解った」と云い、とりあえず受付に入るのを増やす事と、リハ最初から来てって云われた。

 意外に軽い返事で拍子抜けした……。新人が何を、とか云われると思っていた。


                 ○


 土日はライブハウスに行っているけれど、平日は本業の会社員をやっている。

 会社に支障が無い範囲で認められたバイトだから無理な事は出来ないけれど、気持ちがとっても充実している。けれど会社に出勤すると土日とのギャップにうんざりする事もある。


 バイト先では皆が一つの目的に向かって仕事をしている、全体の覇気も高まるしそれに伴う緊張感すらちょっと心地良い。

 しかし会社は違う、与えられた仕事をすればそれでいい。

 それをやれば決まった月給が貰えるのだから。

 そしてそんな会社に勤めているお陰で私は心置きなく、ライブハウスに行ける。

 

 この会社に勤めるまで私は、フリーターや派遣やらで不安定な環境で働いていた。

 仕事が無いお金が無いといった事がどういう事か、身に染みて解っているつもりだ。

 だから会社の覇気がどうとか、自分の心の中でだけ思っていればいい。わざわざ波風を立てる事も無い。

 それよりも今必要なのは、もっともっとライブハウスの世界に深く入り込む事だ。


                 ○


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る