エピローグ

1

「そんなところかな。後は大体最初に話したとおり。雨が上がったのを契機に外へ出て電波を探して、携帯で警察へ連絡を入れた。到着してからすぐに鷲見連太郎の別邸であることがわかって捜査の手が引いた。途中、藤本正樹の運転していた車が横転しているのも見つかったし、彼の体内からはドラッグ使用の痕跡が認められたから、雨も手伝ってスリップしたのだろうという結論に至った。俺たちの証言からドラッグは実朝組から掠め取ったものらしいということになって、そこに胎児はなかったけど、確かに藤本正樹が犯人だったのだろういうことで、終わり」


 話を聞き終えた僕とともえ里子さとこは、視線を合わせた。意図したことではない。

 その目が語るところを無視して、僕は投げやりに答える。


「改めて推理する必要なんてないんじゃないの」

 巴里子はいかにもわざとらしくため息を吐いた。

 鈴木一は苦笑である。


「そう言わないでくれよ。せっかくこうして二人を訪ねたんだから。俺たちはあの時、こんな言い方をして信じてもらえるかはわからないけど、おかしかったんだよ。てられてた。その場の異常な空気と、逃げられないという精神的な圧迫感にね。だからひとまず誰かを犯人にしておいて落ち着きたかった。警察が本当のことを調べてくれると信じてね。正解率百パーセントの素人探偵なんて現実にはそうあちこちに居ないわけで。それが、ふたを開けたら捜査なんてほとんどしてくれない。俺だって変な気分になったよ。あいつらに語ったのはあてずっぽうもいいところだと自分で思っちゃうようなお粗末で即席のものだったんだから」


「いやあ、いいんじゃないかなと思うけど。別に、まとまってるじゃないか」


「ともかく」巴里子はコーラに一口つけると、だらだらと続く僕の話をぶった切る。「その話を全て聞き終えた私たちに、真犯人が誰であったのか考えてみて欲しいと」

「そういうことだね」

「どう、稔。いい加減観念して、何か思うところはある?」


 ああは言ったが、実際に鈴木一の話を聞いていて確かにいくつか気になったところはあった。それをどのように組み立てればもっともらしく聞こえるように完成されるのかは今のところわからない。その組み立て作業が面倒だから早々に終わりにしたかったのだが、巴里子はどうやら許してくれないらしい。


 仕方ない。


「どうでもいいことだけど」僕は新しく煙草に火を点けて鈴木一を見る。「誰の話だったかな……、幽霊がお辞儀をした、というやつ。あれを、鈴木くんはどう思った?」

「何よその質問。本当にどうでもいい」


「まあ、いいよ」鈴木一はにこりと笑って巴里子を制した。「俺は、あれは感謝の意ではなかったと思うね」

「ということはそもそもお辞儀という行為ではなかったと」


「うん。俺の自論だけどね。幽霊はつまり幻影と言うのかな、それ単体で生命体じゃないから、結局その人の精神状況が多分に反映されるものなんだと思う。ということは、それを体験した人間が感謝の意味かどうかわからないと思っている以上、それは感謝の意味じゃない可能性が高い。極端に言えば、そうでないと思いたいから、未だに納得できていないんじゃないかな」


「その人に怒られる理由こそあれ、感謝されるとは思えない。そう体験者が思ってるから真実が見えないと」


「そういうことだね。本当に極端なことを言い出すと、この話を聞いたとき誰もがお辞儀というものに目をくらまされていたけど、本当はそんなこと、どうでもいい話なのかもしれない。今語って聞かせた、頭部の話と同じだね。実際は幽霊が現れた時点できっと何かの意味があるんだけど、それを越えてお辞儀だけに囚われた。お辞儀をしたんだからそれには何か意味があるんだろうっていう思い込みが働いたんだ。体験者が意識的か無意識かはわからないけどそのことに気付いているのだとすれば、お辞儀に意味があったのかどうかというよりも、現れたことにどんな意味があったのかを考えるのが普通だろ。だから感謝と言われてもぴんと来ないんだと思う」


 確か怪談話をしている最中にも誰かがそんなことを言っていたような気がする。

「なるほどね。つまり幽霊が出たことに関してネガティブな思考が働いた人間にとってはそもそも頭を下げるという動作がお辞儀ではなくて、呪いの儀式と思われていたかもしれないと。精神状況に影響されるっていうのはそういうことかな」言っていることは理解できたが、とはいえ、この話がこれと言って意味のあるものかはわからない。「結局は思い込みなわけだね全部」


「この世のことの大半は思い込みだと思うよ。それこそ正樹を犯人とした俺の説で皆が安心できたのも、そうか確かに正樹が犯人なのかもしれないと思い込んだからこそだと思うし、結局真実がどうであるかは余り関係ないんだ」

「だけど、鈴木くんは真犯人を知りたいわけだね」

「俺はもう、お辞儀の如何を考えることを止めただけだよ。どうして頭部を切り離したのかではなくて、どうして殺人が起きたのか。そこに焦点を当てると、正樹が本当に犯人であったのかどうかはわからなくなる。だって誰かを特定出来るような証拠もアリバイも、何も出揃ってないんだからさ。そうでしょ?」


「どうかな」巴里子に視線を向けると、これぞ無表情というような色のない顔で見つめ返される。「別に僕は不自然に思わないけど。藤本正樹は胎児が欲しかった。そのために鷲見桃子を殺害し、腹部を開いた。注意を逸らすために頭を隠した。証拠やアリバイはともかく、流れとしてはよくできてる」

「真面目に考えなさいよ」

「だってほかに動機を持つ人物は居なかったと、鈴木くんたちは納得したんだろ」


「でもそれはさっきも言ったように、藤本正樹が居なくなった後だ。こんな好都合な場面で、本当は何か動機があっても、易々と話すやつは居ないと思うよ」


「まあ、それもそうなんだけど……。僕は君たちのことを正直よく知らない。それぞれの性格も相関図も、ほとんどね。与えられた材料で考えていくしかない。そうなると、鈴木くんたち当事者のほうが何かに思い当たりそうな気もするけど」巴里子の不機嫌な表情を横目に、煙草を灰皿に押し付ける。思わずため息が漏れそうになるのを堪え、「だから僕からすると動機が云々というより、どうして頭を切ったのかというほうに自然、意識が向いてしまう。それは仕方ないことだと思って」


「やっとエンジンが掛かったのね」巴里子は灰皿を脇に寄せる。「お手並み拝見と行きましょうよ」


「やめてくれよ」鈴木一のほうへ向き直る。「これはあくまでも僕の推論であって、真実かどうかはわからない。最初に鈴木くん自身が言ったように、納得できたら万々歳というレベルに留めておいてくれ。それから、もし気分が悪くなるようだったらこの話はやめる。いつでも止めて構わない。まあ僕は、ここまでの時間が無駄にならないことを祈るよ」

「早く始めなよ」


「竹本浩二の話を抜粋すると、一般において遺体を切断して頭部を隠しておく理由として、人物の誤認、もしくは犯人を示唆する証拠の隠蔽とあったね。この二つに関しては、実際軽井沢でなされた会話の通り、僕はどちらも違うと思う。理由も鈴木くんが言ったのと同じだから、ここでは省略させてもらう。ただ、僕はもうひとつ、割合ポピュラーな可能性を思い浮かべた。逆になぜこの理由が登場しなかったのか、話を聞いていて不思議に思ったくらいなんだけど」


「なんだい?」鈴木一が煙草を吹かす。


「ずばり、死因の隠匿だよ」

「死因の隠匿?」


「証拠の隠蔽と似たようなものだけど、例えば、犯人は憎き相手の頭をギターで思い切り殴って殺したとしよう。犯人はどうしてもそれをほかの人間に知られたくなかった。なぜと言って、そんなギターなんかを持ち合わせているのは自分だけな上、ギターを調べられたら一発で証拠が出てきてしまう。ギターで殴り殺したとばれたくない。そういう場合、頭を隠すのも頷ける。違う?」

「まあ、確かにそうかもしれない」


「これを今回の軽井沢の件に重ねてみると、どうやら鈍器類で殴り殺したために切断したものではないらしい。やはり理由は、すぐに頭が見つかったからだ。それに鈴木くんが言うには、かすり傷はちらほらあったようだけど、陥没とかはなかったわけでしょ? つまり犯人は撲殺を隠蔽したかったわけではない」

「そうだね。確かにそんなものはなかった」


「ということはどうなるのか。犯人が真に隠したかったのは頭部ではなく、まさしくだったということになりはしないかな」


 鈴木一が空いた缶に灰を落とす。

 じゅっという音が部屋に鳴る。


「つまり?」

「犯人はを、隠蔽したかった。そういうことになる」


「そのために切断したと?」

「そう。だから、壁の穴に入らないからと言って首を完全に切り取ったわけじゃないんだ。最初から首は持ち去る予定だった。ただ、ベッドで全ての作業を済ませようとしていたけどこれがうまくいかないから、途中から風呂場に移動した。風呂場が血塗れていたのはたったこれだけの理由だと思う。多分君たちの言うように、血抜きも兼ねて洗い流してやれば効率が良くなると考えたんだろう。実際はどうだったのか知らないし、知りたくもないけど」


「それで?」

「僕は、これを、絞殺の隠蔽だと考える」

「どうして?」


 鈴木一を見つめる。

 彼も見つめ返してくる。

 綺麗な瞳に思われる。

 僕は意図的に視線を外した。


「ところで鈴木くん」

「何?」

「携帯電話がない生活というのは退屈だろう」

 苦笑される。

「どうしたの急に」


「いや、僕がその別荘にお邪魔したとして、携帯の電波が入らないので弄っていても楽しくないですよとなったら、きっと大層退屈するだろうなと思って」

「それがこの話とどう関係があるって言うの?」


 巴里子が言うのを無視して、

「ただ、玄関口に据え置きの電話があるらしいとなったら、一応暇つぶしに見てみると思うんだよね。本当に何か緊急の事態があったとき、これ、通じるの? と思って」

「話したとおり、俺も確認したよ」


「そう。そうなんだよね」僕が言うと鈴木一は首をかしげて、巴里子の方を見た。「鈴木くん」

「何?」


「よく思い出してほしいんだけど、僕が聞いた話というのは、ほとんど事実に基づいていると思っていいんだよね。会話とか、大抵のことは真実であったと」

「そう居てくれると助かるけど」


「じゃあひとつ聞いていいかな」深呼吸の必要があった。「鷲見桃子の遺体が発見されたとき、警察へ連絡を入れる入れないと、少し揉めていたね」


「LSDの件があったからな。朝野がなかなか頷かなかった」

「結局はその朝野保彦が代表して固定電話を確認しに行ったとき、自分がどう声をかけたか覚えてる?」

「どう声をかけたか?」


「そう。僕の記憶だと、朝野保彦は一言、、と全体へ声をかけた。それに対して鈴木くんは、  と聞いた」

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