3


 誰もが目を丸くした。

 しかしどこか冷静な部分で、確かに普段の量に比べ昨日は余り飲んでいなかったような気がすると、ぼんやり考える。


 鷲見桃子と藤本正樹の交際開始は今年度の初め辺りだったが、それ以前から身体的な関係があったと当人から聞いたことは前にも言った。どうやら、その曖昧な頃に授かった命が最近になって発覚したということらしい。こうして改めるといかにも気分の悪い話というか、不思議な順序だと感じる。


「私も詳しいことまで全て聞いてるわけじゃないけど、桃子のほうが産むことに反対という立場だったみたい」

「どうして桃子ちゃんのほうが? 普通逆じゃない?」

「怖い、って言ってた。私は家庭のことは余り知らないからその言葉がどれほどの重みだったのかわからないけど、自分が自分の父親のように子どもに愛情を持てない人間になるのではないかと不安なんだって、それが怖いんだって、そう聞いたわ」


 それは神崎奈美から聞いたような過去の経験から湧き出た思考なのだろう。嫌でも親には似るものである。そればかりは否定しきれることではないだろう。

「正樹はそれでも産んでほしかったわけだな」

「ヤクザの末端なんかやってるくせにか」

「それは関係ないだろ。誰だって人の子には違いないし、人の親にはなれる」

「あんな化け物染みたやつでもか」

「そうだ、実朝組のこと、教えてくれよ。一体どうして、何があってそんなことになったんだ」


 不穏な空気をいち早く読み取ったのか、朝野保彦に言われ、俺は大学一年時の出来事を語って聞かせる。昨日竹本浩二から発言があった時点で、この秘密はもはや秘密としては扱えない。


「じゃあ正樹は一を庇おうとして組に入ったのか? それで納得したのか?」

「正直俺、そのときほとんど朦朧もうろうとしていたからどんな会話があったのか覚えてないんだ。でも結果から見れば納得したんだろうな。猫を轢いた本人が入るならいいだろうっていう変に律儀な人間だったのかもしれない」

「冗談みたいな話だな」

「それか、俺は使うにも殺すにも価値がないと思われたか」


 一瞬の間が生まれたが、すぐに、

「実朝組の話は大体わかったわ」上田亜里沙が区切る。「それより鈴木くんは、桃子が妊娠していて、産むことに反対だったから二人は喧嘩していたのだとわかって、どういう立場を取るの?」


「はっきり言って、ほかに桃子を殺しうる動機を持っている人間が居ないと思うんだよ。そうじゃないか? 俺たちに、桃子を殺す動機が何かあったか?」

「そんなこと、知らないよ。私にはないとはっきり言える。けど、それが鈴木くんも同じかどうかなんて、私にはわからないわ」


「僕だって殺す理由なんかない。でも亜里沙ちゃんの意見には同感だね。ほかの人が桃子ちゃんを殺す動機があったのかどうかなんて僕のあずかり知らないところだ」

「おいおい。お前そうやって正樹を犯人に仕立て上げたいだけじゃないのか」竹本浩二である。「逃げたのかどうかはともかく、正樹がいなくなった状況においてそんな質問したって、皆ないって言うに決まってるじゃないか。犯人にとってこんな都合のいいことはない」

「何度も言ったが、俺は殺してない」

「どうだか。証明は出来ないだろ」


「それは皆同じだ。そうだろ? お前には自分がやってないっていうことを保障してくれる何かがあるのか? あるほうが怪しいと思うね」誰も何も言わない。「大体、現場をちゃんと調べもしていない段階で証拠も糞もないだろ。殺された時間だって、どうやって殺されたかだって、俺たちにはわからないんだから」


「そのあたりは実際に警察に調べてもらわないとわからないだろうね」朝野保彦が補足する。「少なからず頭部を隠した意図さえ推理出来れば、犯人を絞れるとは思う」

「推理」竹本浩二がにやりと笑った。「どうして頭部を隠したのかがわかれば犯人がわかると、そう言ってるのか。本当に現実でそんなことがあると思うのか?」

「何が言いたい?」


「現実の事件の大半は、意味もなく複雑になっていたりするんだよ。奇行はただの奇行でしかない、そういう可能性は十分にある。そうだろ? 頭がないけど、それに意味があるとどうして言いきれる。それを推理するって?」

「意味がなければないでもいいんじゃないのか。なんにせよ俺たちはここから出られないんだ、誰が犯人かも推測が付けられないんじゃおちおち寝られもしない」


「待て、って?」一転慌てたように言うので、

「考えてみろよ。八人で二台の車に分かれてきた。きっとあの雨じゃ正樹は車を使ったに違いない。つまりここには一台しか残ってない。今ここに居るのは六人だけど、あの軽じゃ、六人一度には帰れない。誰かが残るとして、誰が率先してそんな自己犠牲をしてくれるんだ。誰だってこんなところからは早く出たいわけだから、揉めるのは想像に難くない。そうだろ」

「ああ」

「最低」


「かといってここで誰かが残る一台を使って逃亡を図ったら、そいつこそ犯人だってことに意見がまとまりかねない。だからこの中に犯人が居たとしても、うかつには動かないだろうとも推測できる。正樹はまあ、立場上ああいう風に怒ったように見せれば逃げられもするけど。俺たちには難しい」

「やっぱり一はさっきから正樹を犯人にしたがってないか?」


 足元に落ちたままの銀縁眼鏡に視線を払いながら、

「したがっている、というわけではないけど、もしかしたらと思うことが、ひとつある」

「なんだよ」


「さっき上田さんの話を聞いて思ったことなんだ。それの確認と、あの遺体が本当に桃子だったのかという確認をしたい」

「まだ鷲見さんかどうかって話をしてるのかよ。頭を見つけなくたって、もはやあれは鷲見さんに間違いないだろ。一番鷲見さん知ってるはずの正樹がああいう風に怒鳴って出て行くって事はそういうことなんだろ」


 呆れた口調で言われるので、俺は微笑んで見せた。

「俺、やっぱりさっきはおかしかった。でも普通に考えてみろよ。友達が死んだんだぜ。いつまでも顔がないまま置いておけるかよ。可哀想だろ。それに頭部を隠した理由を考えるにしても、それがどこに隠されていたのかもわからないのでは話にならない。だから、なんにしても桃子の頭は探したい」


「私は行かないよ」中村梢の声がした。「私は行かない」

「別に良いよ。どうせここからは逃げられない。二階に上がってこないからってすぐに犯人だなんて言いはしないよ」


 そうして話の方向がある程度定まると、中村梢とその付き添いに神崎奈美を残し、俺たちは二階に移動した。上田亜里沙も付いてきたことには驚いたが、彼女もある程度落ち着いたと見える。


 吐瀉としゃ物があちらこちらに散らかっていて、臭いもひどい。うっかりするとまた吐きそうになる。点在するそれらを踏まないように気を付けながら鷲見桃子の部屋を目指す。


 彼女の部屋への扉は重かった。

 もちろん物理的な話ではない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る