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 ぐぐっと身体が軋む音が聞こえてきそうなほど身体を広げると、

「やったよ、悪いかよ」朝野保彦が叫ぶ。「お前ら皆おかしいだろ。なあ。何で僕だけこんな報われない立場でいなきゃならないんだ? おかしい。そんなのおかしいだろ。クスリに逃げて何が悪いんだ? 昨日場をしずめたのは誰だよ。僕だろ? 今だって電話を見に行ったのは僕だ。なあ。皆して押し付けてきやがって。おかしいに決まってる」

「わかった。俺が行く」


 言下に名乗りを上げたのは、藤本正樹だった。

 目が、あらぬほうを見ている。眼鏡がないせいでそれが露骨なほどわかった。


「おい、誰だよ。置きっ放しにしてたのは」藤本正樹の手に、紙片が見える。覚醒状態にあるらしい。「おい」

「俺が行く」藤本正樹はそう呟きながら玄関口のほうへ歩みを進める。「俺が助ける」

「待てよお前どこ行くつもりだよ」竹本浩二が彼の服を引っ張り、制止させようとするが、止まらない。「逃げんのかよ」


 その言葉に反応したのか、竹本浩二を突き飛ばすと、怒号を放つ。


「俺が逃げるだと。いい加減にしろ糞が。お前らの誰が桃子をあんな風にしたんだか知らないけどな、俺は一生そいつを許さない。俺がここまで警察を連れてきてやるよ。せいぜい怯えてろ」


 そしてそのまま、出て行ってしまった。

 外のひどい豪雨が、不規則な音で部屋に伝わる。

 それも一瞬のことだった。

 静けさが戻る。


「首を」神崎奈美の声がふわりと落ちる。「首を捜さなくちゃ」

「捜す?」竹本浩二が上ずった声を出す。「鷲見さんの頭をか?」

「確かに」俺は神崎奈美の手を握り締めながら、「死んだのが鷲見桃子である証明は今のところどこにもない」


「ないって、そりゃないかもしれないけど、どう考えたって桃子ちゃんだろ。皆で確認したし、お前自身さっきそう認めたばかりじゃないか」

「八人のグループで来て、今のところ桃子だけが現れない。だからそうなのかもしれないと思ったけど、よく考えればそれだけじゃ死んだのが鷲見桃子であるという証明にはならない」

「おいはじめ、お前狂ったのか。どう考えたって鷲見さんだったろ」


 馬鹿を言うな。

 俺の頭は今、異常なほどクリアだというのに。


「最初にあれは桃子なのかと言い出したのはお前だろ、浩二。案外、桃子がどこかで殺した人間を自分に見立てただけかもしれない」

「馬鹿なこと言わないでよ。桃子は被害者なのよ」

「鈴木くんおかしいよ」

「確かめる必要は、ある。正樹が本当に警察を連れてくるのかはわからない。けど、その前に調べられることは調べなくちゃ」

「何言ってんだよ。現場は荒らすなが基本だろ」

「桃子」

「桃子ちゃんは死んだんだ。誰かに殺された。一、本当に狂ったのか」


「狂っちゃ居ないさ。俺は冷静だよ」全員の顔を、ゆっくりと見据える。「正樹が本当に警察を連れてくるのかわからない。それはつまり浩二が言ったように、あいつが逃げていったという可能性もあるという意味だ。そうだとしたら、当たり前だがいくら待っても警察は来ない。みすみす犯人を逃したことになる。なあ、俺たちはあの遺体が桃子かどうかも確証が持てないまま、びくびく怯えているしかないのか」


「言いたいことはわからなくはないけど、僕、二階へはやっぱり行きたくない。頭部があろうがなかろうが、あれは桃子ちゃんだった。それはわかる」

「ちゃんと見たのか?」


 想像でもしたのか、ぐっと喉が鳴る。


「見たよ」それを懸命に堪えると、朝野保彦はこちらを見つめて返す。「あれは桃子ちゃんだった」

「首」

「でも、桃子の頭がどこにあるのかわからないのも、確かに気味が悪い」上田亜里沙が深呼吸をしてから呟く。「何の意図があって隠したのか。それは確かに知る必要があるかもしれない。私も、桃子だとは思うけど、頭部がないこと自体は事実なんだから。捜す必要はあるかもしれない」

「おいおいどうしてだよ」

「現場から居なくなったのは正樹だけだ。犯人なら逃げたい気持ちは持つものだろう」

「正樹が本当に逃げたんだと思ってるの?」朝野保彦が情けない声を出す。「短絡的過ぎやしないか。それにどうして正樹が」


 そしてその疑問に全員が同一の答えを導く。

 それは竹本浩二が昨夜言ったとおり、未だ詳細を知らない喧嘩の件が発端だったのではないか、というものだ。


「亜里沙ちゃんも二人が何で喧嘩してたのか、知らないの?」

「私は……」

「知ってるって顔だな」

 竹本浩二が言うのに、

「知ってるなら教えてほしい。それが殺すに値する理由だったのかどうか」

 俺が重ねる。


「殺すなんて馬鹿な」

 上田亜里沙は視線を泳がせ、狼狽している。

「でも喧嘩の要因なんだ、そのまま殺意に発展してもおかしくはないだろ」

「それは」

「ねえ亜里沙ちゃん、教えてくれよ」

「そうだ、頼む」


 一瞬の間を持ってから、

「桃子は」上田亜里沙は顔を伏せ、今にも泣き喚いてしまいそうに顔を歪める。


「桃子は、妊娠してたの」

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