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 何度嘔吐してからかわからない。一階に居た竹本浩二と中村梢の二人にも状況を説明し、全員で彼女の身体を確認した。男も女も関係なく誰もが一様に吐き散らし、二階はひどい臭いで満たされた。


 藤本正樹の雄叫びが、反響して幾重にもなって耳に届く。


 一階ホールに移動しても尚、誰も口を利かない。口を開くとそのまま吐いてしまいそうで、とても冷静ではいられなかった。

 代わる代わる洗面所に向かい、ペットボトルの水を何本も消費し、胃の中のものをあらかた吐き終えると、

「あれは、鷲見さんなのか」

 竹本浩二が言った。


 反応を見せるものが居なかったので、代表して俺が答える。

「たぶん」


「本当にそうなのか?」

「何が言いたいんだよ」

「だって頭がなかったんだぜ」そう言ってから、鷲見桃子の遺体を思い出してしまったらしく、ぐっと苦しそうな表情に変化する。「おかしいだろ」


「切り落としたんだろ」まだ現実味がない言葉である。「誰かが、切り落としたんだ」

「誰かって誰だよ」朝野保彦が無気力に口を挟む。「一体誰が、何で桃子ちゃんを……」


 藤本正樹を気遣ってか、最後まで言葉が続かなかった。

 彼は放心状態で、部屋の隅にうずくまったまま動かない。かと思うと眼鏡を放り投げ、両手で顔を覆った。


 上田亜里沙、中村梢、神崎奈美の泣き声が木霊する。


「この中に居るのか」竹本浩二が猜疑さいぎの目を光らせる。「誰かが、鷲見さんを」

「そんな馬鹿なことがあるか」堪らず、半ば叫んでしまう。「きっと外から誰かが来て」

「こんな山の中にか。戸締りもして、人が通れるような窓なんか一つたりともない、この場所にか」竹本浩二の声も荒くなる。「そんなわけないだろ。この中の誰かが、鷲見さんを、殺したんだ」


 叫び声で、ぴたりと空気が止まった。

 誰かが、鷲見桃子を殺した。


「警察……」

 中村梢の小さな声が聞こえる。

「そうだ、警察だよ」竹本浩二が賛同する。「電話、携帯」

 だが、この建物内は圏外である。


「玄関口に」上田亜里沙がつかえながら言う。「電話があるって」

 竹本浩二はすっくと立ち上がったが、

「駄目だろ」朝野保彦が制止する。「警察に電話してどうするんだよ」

「どうするも何も、来て、調べてもらうんだ」

「簡単に言うけどな、僕たちはそもそもここへは誰にも知らせずに来てるんだぞ。鷲見連太郎の別荘だ。そこで娘があんな殺され方して、どう説明するんだよ。それに、クスリやったやつもいるんだぞ」

 怒号というよりも、悲鳴に近かった。


「それは」

「僕は反対だ。警察を呼ぶのなんて反対だ」

「そんなこと言ってられないだろ。お前状況わかってんのかよ。人一人死んでるんだぞ。しかもどう考えたって誰かが殺したに決まってるんだ。そんなやつと一分でも長く居たくない」


「あれは桃子じゃない。そうだ、桃子のわけねえよ」

 藤本正樹の声が、またしても場を凍らせる。


 そろりと、視線が集まる。

「桃子のわけがねえよ。そうだろ、おかしいだろ。絶対。おかしい」

「落ち着け正樹」声を掛けるが、聞こえている様子はない。「落ち着け」

「だって桃子が死ぬわけねえよ。桃子がさ」


「怪しいって言ったら、お前が一番怪しい」竹本浩二が藤本正樹に詰め寄る。「なんだか知らないが喧嘩してたんだろ。あの後お前らだけで何か話し合って、揉めたのかもしれない」

「いいから警察に」中村梢が口を挟む。「警察に連絡してよ」

「わかった、僕が行く。僕が行くから待っててくれ」


 朝野保彦は有無を言わさず、立ち上がるとそそくさと玄関口のほうへ消えた。

 しかし、すぐに大声を出す。


「どこだよ」

「花瓶の裏に」

 俺が答えると、またしばらくして、

「ない」

「何が?」引き続き代表して答える。「電話か? それとも線か?」

「電話線がないんだよ」


 朝野保彦は電話機を両手に持って戻ってきた。

 その姿たるや、滑稽を極める。


「そんな馬鹿な話ないだろ」竹本浩二が叫ぶ。「お前がまさに今隠したに違いない」

「僕じゃない。本当に最初からなかったんだ」

「ふざけるなよ」

「待て、とりあえずないものはないんだから揉めても仕方ないだろ」

「おい、お前なんかさっきから妙に冷静じゃないか」丸眼鏡を押し上げる。「お前がやったのか、はじめ


「馬鹿なこと言うな。俺は殺してない。ただ、別に携帯だって外に出れば通じるはずなんだから今電話線があるとかないとか話したって仕方ないって、そう言ってるんだ」

「そうだ、外に出ればいいんだ。携帯」

 朝野保彦は階段室のほうへ近寄ったが、足を止めた。


「何してんだよ、取りに行けよ」

「誰か今持ってないのかよ」

 誰も答えない。

「僕、二階に行きたくない」


「そんなこと言ってる場合かよ」

「じゃあ浩二が行って取って来いよ」

「俺の部屋のほうが鷲見さんの部屋に近いだろ。お前が行けよ」


「本当に下らない。ねえ、状況わかってるの。桃子が、殺されたのよ。怖くても、行ってよ」上田亜里沙はやや高圧的な声音で言った。彼女にしては珍しいことである。少なからず平常ではない。「朝野くん、警察に連絡したくなくてわざと電話線隠したりしてるなら、そういうのいいから。私は、クスリに手を出した段階で覚悟してる。そんなことより桃子の無念を晴らしてあげるほうがよっぽど大事」


「ちょっと待ってよ、僕は本当に隠してない」

「じゃあ何で反対していたのに電話を見に行ったんだよ」竹本浩二が加勢する。「おかしいだろ」

「だって浩二も正樹も一も、冷静じゃないだろ。この中なら僕が一番的確に報告できると思ったから、だから」

「一は冷静だろ。変なくらいな」

「お前いい加減にしろよ」

「ほら、おかしいだろお前ら。だから」


「もういいから早く携帯取って来て」

「私も」中村梢が半ば泣きながら訴える。「クスリに頼ったのは間違いだったってわかってる。だから警察に電話して」

「僕は行かない。電話線を隠したのも僕じゃない。これで上に行って、何か細工をしてきたんだろなんて言われたら堪ったものじゃない」

「いい加減にしてよ」

「亜里沙ちゃんは良いかも知れないさ。勝手に覚悟決めましたとか言って楽になってるんだから。じゃあ僕はどうなるわけ?」

「ここに居ようと捕まろうと、朝野くんの期待には応えられないって」


 そうじゃない。

「なあお前やっぱり昨日やったんだろ」

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