七
1
翌朝一階に下りてみると、朝野保彦がホールの中央で一人、煙草を吹かしてソファに腰掛けている。こちらに気付くと、グロッキーな表情に無理やり笑みを貼り付けて片手を挙げた。
缶やビンが、おもちゃ箱をひっくり返したかのような乱雑さを持って、あちらこちらに転がっていた。誰も片付けなかったというよりは、片付けられるような状態に誰もなかったと思うべきだろう。早々に離脱した俺が文句を言えるわけもない。
ソファに座り、煙草に火を点けながら、
「あれから、どうなったんだ」
寝起きのせいか痰が絡む。許容量を大幅に超えた飲酒で、頭痛はまともな思考を邪魔する。言葉を発するのさえ億劫で、苦痛だった。
「どうもなにもないよ」
無気力に笑う。
朝野保彦の語るところ曰く、俺が二階に引き上げてからの方がひどかったという。
藤本正樹は俺の威嚇行為とも言うべき離脱の後も、まるで動じずに竹本浩二を部屋の隅に引っ張っていくと、そこで彼の気が飛んでしまうまで殴り続けた。もちろん、竹本浩二とて抵抗しなかったわけではなく、何度かは反撃も繰り出したが、ライオンと子猫が戦っているような力の差で、藤本正樹の攻撃を一瞬でも止めることは出来なかった。
そうなると周囲のほうが大変である。
鷲見桃子は藤本正樹から実朝組の話を聞こうとすがり付いていたが凶暴性を発揮した彼の前にはもはや存在すらしていないかのような扱いで、五分もしないうちに諦めた。それから例の豪奢な洗面所に篭もり、時折泣き笑いのような声を挙げていたという。
上田亜里沙はそれを見に行ったりもしていたが、次第に寄り付かなくなった。諦めたのか呆れたのかはわからないが、彼女も感情の
朝野保彦は本人曰くいち早く冷静になったらしく、とにかく藤本正樹を止めねばと、中村梢から奪い取った灰皿で、背後から彼の腹部へ一撃。それでどうにか藤本正樹を竹本浩二から引き離すことに成功したが、怒りの矛先が見事に自分に向いた。
「仕方なく頭をぶん殴って気絶させた。血は出なかったからセーフでしょ」
と彼は言うが、それが本当に仕方のない手段だったのかは分からない。
「奈美ちゃんは怖くなったのかすぐに見えなくなったね」
恐らくは俺の部屋に居たのだろう。
それから中村梢の様子がおかしくなった。
鷲見桃子のいる洗面所に行ってからだと気付いて朝野保彦が中を見ると、
「あれはLSDか何かだと思うよ。桃子ちゃんが持ってきていたらしい」
鷲見桃子が紙片を口に含んでいる場面だったらしい。
「多分亜里沙ちゃんも梢ちゃんもやったんだろうと思う。それで妙に興奮した感じになったんだ」
上田亜里沙は初めてではなかったのかもしれないとふいに思う。そうすると鷲見桃子が言った「私はわかってるから」という台詞にも妙な説得力が出てくる。二人はしばしばドラッグの摂取を行っていたのかもしれない。
もちろんこれらは全て想像でしかない。真実の部分など、俺にはわからない。
「それから浩二が目を覚ましたから、二人でまず正樹を部屋に連れて行った。伸びてるのはあいつだけだったから。一番面倒な作業だったね。よく死体は重いって言うけど、確かに意識のない人間は重かったよ」煙草を灰皿に押し付けて、すぐに次に火を点ける。「後の女三人は一応意識はあるから、部屋に戻るよと言って補助してやれば、面倒は面倒だったけど労力の面からすればすんなり片付いたと言っていいね。そこから僕も寝ようと思ったんだけど、浩二がごめんと言ってくるから、一発だけ殴っておいた。全部あいつのせいだよ」
「誰のせいも何もないだろ。なんか皆おかしかったんだ。俺も含めて」
「よく言うよ。そんなこと言っておいて、やっぱり浩二の言うように自分だけは関係ないと思ってんだろ。だから早々に場を離れられたし、離れた後のことをわざわざ僕から聞いているんだ」何かぶつくさ言っていたが俺が無関心なのに気付いたらしくため息をひとつ漏らし、「まあ別に良いけど。もう何を言っても仕方ないし、浩二ほど一のことをどうこう思ったこともない。それより、どうするよ。軽井沢観光なんて言ってられなくなったけど」
「ドラッグが出てきたのはまずいな」
「まあね」
「なあ」視線を投げて、間を取った。「朝野はやってないんだよな」
「まさかまさか」両手を振って否定する。右手の煙草から灰がぽろぽろ落ちる。「僕はやってないよ。でも気持ちはわかる。浩二じゃないけど、生きてると色々我慢することのほうが多いだろ。そういうのから開放されるための手段として、間違ってはいるけど、そういう方向に進んでしまう気持ちはわからないでもない。案外、ぽろっとやっちゃうかもと思わなくもないけど、昨日はやってない」
目を逸らす。
本当か?
「通報するべきか」
「してどうするの」
「どうするも何も、それで今回の旅行は終わりだよ」
「友達だろ? それに僕たちも疑われない保証なんてないぜ」
「そんなもの、検査すれば終わりだろ。やってなければ何もでないんだから」
「そうも言ってられないだろ」
「なあ、本当にやってないのか?」
押し問答を続けていると、竹本浩二が下りてきた。顔面の至る所に痣が出来ていて、見ていて痛々しいことこの上ない。全身を労わりながらよたよたとソファに近づいてくると、それが
「散々だったらしいな」
声を掛けると、これでもかと顔を歪める。
「散々どころじゃない。俺もだけど、お前も、よくあんな化け物みたいなやつと仲良くしてるな」藤本正樹のことだろう。それより、案外普通に会話がなされたことに内心驚いた。「起きたらベッドの上はゲロまみれだし、あちこち痛くてたまらねえよ」
「なんだ、昨日は僕に謝ってきたくせに、すっかり強気だな」朝野保彦が皮肉っぽく言う。「正樹が聞いたらどうなるかな」
「勘弁してくれよ。本当に、反省はしてるんだ。飲みすぎたよ。ほとんど覚えてないけど、俺が余計なこと言ったのは良く覚えてる」自らが忌避していたはずの「余計なこと」をあえて暴露したせいで痛い目を見たのだから、自業自得だ。「正樹は多分許さないだろうな。本当に、殺されるかもしれない」
「僕は守らないよ。悪いけど、浩二が自分で蒔いた種だろ。お前のせいで僕だってあいつに手を出しちゃったんだから、どうなるかわかったものじゃない」
「俺のせいって。別に守ってくれなんて頼んではないけどな」
「お前、あのままだったら死んでたかもよ? 恩着せがましく言うつもりはないけどさ、礼のひとつくらいくれてもいいと思うよ。謝罪じゃなくてさ。浩二が悪いのなんて百も承知なんだから」
ピリッと、空気が張り詰めた気がして、俺は思わず口を挟む。
「もともと」二人がこちらを向くのがわかる。「もともとさ、正樹と桃子の喧嘩をすっきりさせようって、そのための企画だったんだよな、わかってると思うけど。何で喧嘩してるのかは知らないけどさ。二人じゃ気まずいって言うから、俺やお前らも合わせてこうして軽井沢に来た。なのに、余計に全員の歯車がずれたな。いっそ、来ないほうが良かった。正樹にも桃子にも、それぞれ話を聞いて、一緒に解決してやれば、こんなひどいことにはならなかった」
そして、沈黙が降りる。
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