六
1
「一くん」
部屋のベッドに身を投げ出して、暗闇を一心に見つめていた。
ドアのほうに視線を投げると神崎奈美が立っている。階段を上ってくる音も、扉を開く音にも気が付かなかった。建物全体がコンクリートで出来ており、なおかつデッドスペースにもぎっちり詰められていると見え、通常の家屋よりも遮音性が高いのだろう。下が今どのような状況にあるのかもわからない。
あの後、俺は怒りに任せて自分の飲んでいた缶ビールを壁に投げつけた。人に手を出さなかった事に関して、よく出来たと褒めてやりたい。場は一瞬しんと静まり、それを背に二階に引き上げてしまった。
あれからどのようなことが下で行われ、そして今どれくらいの時間が経ったのかわからない。
神崎奈美はベッドの端に腰掛けると、そっと頭に手を載せてきた。
あんなことがあったのに、まだ自分が酔っているのがわかる。僅かな嘔吐感と、それを覆うに十分な高揚感があることを、否定できなかった。
感情をあそこまで露骨に発現させたのは、久しぶりだった。理性に乏しい小学生の頃には何度もあったことのようなのに、年を経るにつれて格段に減った。大人になるとはこういうことなのだろうか。爆発寸前の風船をどうにかしてしぼませることに気を注いで、周りとの調和を崩さないように努める。いっそ割ってしまったほうが楽になることも知っているのに。
竹本浩二は、もしかするとそうした本能的な部分、ここでいう風船を割ってしまいたい願望でもあったのかもしれない。他人の目を気にし、そうして好きや嫌い、憎いや悲しいといった諸々を隠して生きている自分にこそ、常に疑問があったのかもしれない。彼と、彼本人に関するそうした会話を、したことがあっただろうか。
俺たちのつながりとは、その程度だったのか。
身体を起こして、鞄の中を漁った。
神崎奈美に向き直り、
「俺、奈美のことが好きだよ。誰よりも。これからも一緒に居てほしい」
指輪は、彼女の指にぴたりと嵌った。
隙間もない。
完璧な愛だ。
「これは」微笑んだ彼女はポケットから、小さな袋を取り出す。「約束の、お返し」
そこには、銀の指輪が入っていた。
「私も、一くんが好き」
狂ってる。
そう思った。
まだあの地獄から、何時間と経っていないだろうに。
何を二人で、浮かれているのだろう。
キスをして、セックスをして、裸のまま、抱き合って眠った。
彼女が幸せそうな顔をしてこちらを見ているのが、ぼんやりとわかる。
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