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 話題が不穏当な方向へ移行していくのを誰しもが感じていたはずだが、誰もそれを止めることが出来なかった。それは酒のせいであったかもしれないし、先ほどまで怪談話に耽っていたという場の空気のせいだったかもしれない。もしくはコンクリートに囲まれたこの異常空間が、そうさせるのかもしれない。まさか百物語それ自体のせいとは思わないが。


 それらの全てがまるで歯車のようにかちりと、かみ合ってしまったのかもしれない。


 とにかくこのときは誰も冷静ではなかった。

 それだけは確かなことだと思う。


「奈美になら殺されてもいいよ」上田亜里沙はにこりと微笑んだ、ように思えた。「私が鈴木くんを殺すならば、その理由は奈美だから」

「どういうこと?」聞いたのは朝野保彦だ。


 今度こそはっきりと微笑を浮かべ全員に視線を巡らせると、


「私は奈美が好きなのよ。それだけの話。奈美を独占している鈴木くんは、だから嫌いだし、多分一生許しもしないわ」


 上田亜里沙はいつもの、平坦な口調で告げる。


「好きって、その、つまり、そういう意味で?」狼狽しながら竹本浩二が聞く。「一を嫌っているって言うからには、そういうことなんだよな」


「そうよ。桃子には話したけど。人間的にとか、友達としてではなく、恋愛感情を含んだ意味での、好き」上田亜里沙は俺と神崎奈美のほうに身体を向けると、「私は奈美が大好きなのよ。だからその大好きな奈美の身体を陵辱りょうじょくしている鈴木くんは、心の底から大嫌い」


 神崎奈美は閉口する。

 こんなことになるなら俺を嫌いな理由なんて聞かなければよかった。

 そう思っても遅いし、もはや誰もそこを気にしてなどいない。

 それほど衝撃的な告白だった。


「ちょっと待ってよ。そんな話ってあり?」上田亜里沙に気を向けていた朝野保彦としては聞き逃せない話題だろう。きっと上田亜里沙がこのグループに居るのは俺を監視するとか、そういった意味しかないのだろうから。本来的に彼女が近づきたかったのは神崎奈美その人なのだから。「待って待って、全然整理できない」


「どうしたのそんなに慌てて。もしかして朝野くんって亜里沙のこと好きだったんだ?」中村梢のその言い草からして、やはり大方の予想通り朝野保彦に好意を抱いていたらしい。「そっか」


「好きかどうかなんてわかんないよ。でも相手が相手だろ。これじゃあ好きになるなって言われたようなもんじゃん」

「そう言うってことは、少なからず意識はしていたんだよね」中村梢はどんどん小さくなっていくように見える。「まあ私、こんなんだしね。亜里沙には勝てないか」


「梢には梢のいいところがちゃんとあるよ。それは私の持っていない部分であったりする。比べる必要なんてないんだよ、そもそも。私が朝野くんの期待に応えることも絶対にないから」

「亜里沙はいつもそうやって上から物を言う。いいよね、自分はなんだって持ってるんだから。私にあって亜里沙にないところってどこ? そんな慰め要らない」


「おいおい喧嘩すんなよ」藤本正樹が煙草をくゆらせる。「楽しく飲んでたろうが。殺すとかどうとか意味わかんねえよ」


「無関係な顔してるけど、お前だって誰かに怒ったり、誰かを憎んだりするだろ?」珍しく竹本浩二が歯向かった。酒で気が大きくなっているのかもしれない。「人の、好きとか嫌いって感情をないがしろにするなよ」道中でも思ったが、彼はそういった話題に、何か抱えるところがあるのだろうか。そしてにやりと笑うと、「余計なことなのは百も承知だけど、お前、鷲見さんと喧嘩してるんだろ?」


 やはり、大抵のことは予想できるものだ。喫茶店で話をしている段階で、このくらいのことには気付いていたんだろう。そもそもほかに、藤本正樹が機嫌を悪くする要因に心当たりがないのも確かだ。

 藤本正樹は露骨に顔を歪めた。


「お前には関係ないだろうが」

「俺にはな。でも鷲見さんには関係あるだろ。鷲見さんはお前のこと好きなんだからよ。その喧嘩にたんを発して、お前が鷲見さんを殺さないと言い切れるのかよ。誰かを殺したいほど憎むっていうその感情自体、どうして否定できるんだよ」

「やめてよ」もちろん自分が話題に上がれば鷲見桃子としても黙っておけない。「正樹はそんなことしない。それに、そのことは竹本くんには関係ない」


「まあね。俺は鷲見さんにこうして別荘に誘ってもらえるだけで満足さ。端役に過ぎないのは十分わかってる。ただ」ここで竹本浩二は嬉しそうに笑った。「喧嘩の原因が実朝さねとも組のことじゃないといいなと思うだけさ」

「お前、なんでそれ」


 思わず呟いてしまった一方で、彼の言った「多くの情報を持っている人間は当然な話だが優位にある」という言葉が頭の中にふわりと浮かぶ。


「一回だけ後をつけたことがあるんだよ。たまたま帰りがけに見かけて、面白そうだなと思って。好奇心には従っておくものだな」

「ちょっと待ってそれ何の話?」

「ああわかった」藤本正樹は煙草を灰皿に押し付ける。「おい浩二、殺されたいみたいだな」


「それだよ、その感情。意味わかんなくないだろ? 誰だって誰かに殺意を抱いてるんだよ。好きや嫌いと同じだ。俺だって殺したいやつの一人や二人居るさ。ただ人間皆それを隠して生きてる。俺はくだらないことだと思うねそんなの。上田さんが身の内をさらしたんだ、お前らも素直になれよ」


 ただの演説にしても度が過ぎている。

「浩二落ち着け。しゃべるな」

「こっちに来いよ」藤本正樹が立ち上がり竹本浩二の襟元を引っ張った。「殺してやるから」


「おいはじめ」ずるずると無理やり立ち上がらせられながら、竹本浩二がこちらに向かって言った。「俺はどっちかというとお前の方が、前からむかついてたんだ。お前、俺のこと見下してるだろ。馬鹿にしてんだろ。そういう態度苛々すんだよ」


「ねえ朝野くん。私としたのは、気まぐれだったの?」

 中村梢は虚ろな表情で朝野保彦を見ていた。

 朝野保彦は額に手をやる。

「言うなよ……」


 俺は藤本正樹に連れて行かれる竹本浩二からも目が離せず、一方で中村梢からも注意を逸らせなかった。人間たがが外れればどれだけの力を出せるか知れたものでもない。凶器なんて、普段から使っているものが主だ。この両手とて例外ではないし、ガラスの灰皿なんていかにもじゃないか。小さい身体の中村梢でも、十分事足りるだろう。


 安っぽく言えば、場は地獄絵図のようだった。

 誰も彼もが感情を爆発させていて、取りとめもない。


「ねえ奈美、一回でいいから私とキスをして。じゃないと鈴木くん殺しちゃうよ?」

「正樹、実朝組って何の話なの?」

「ぶっ殺してやる」

「朝野くん、一緒に死のう」

「一くん助けて」

「最低だよ、ふざけんなよ。何で言うんだよ……」


「いつもいつも達観したようなふりしやがって。今だって俺だけは違うと思ってるんだろ。その態度がむかつくんだ。

 なあおい、お前も素直になれよ、一。汚いところ見せてみろよ!」


「ああもうどいつもこいつもうるせえな!」

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