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「なるほどついに俺の番ってわけね。

 俺の小さいときの話で、俺自身はもう余り記憶にないんだけど。


 親に聞いたんだ。俺、昔、いわゆる多重人格というやつだったらしい。主人格、つまり今の俺以外に七人いたと言っていたかな。ああいうのは基本的に心的ストレスを肩代わりさせるために生むんだけど、俺のはちょっと違った。


 今思えばあれは、俺がそういう体質だったという話なんだろうね。つまり俺は俺の身体に、七人の幽霊をかくまっていた」


「ちょっとちょっと、一ちゃん。その話はいいや」

「なんだよ、まだ始めたばかりじゃないか」

「なんかもう胡散臭い」朝野保彦は俺の目の前の蝋燭を吹き消してしまう。「終わりでいいよ」

「これから面白くなるのに」

「期待できない」


「まあ確かに」竹本浩二も批判的である。「神崎さんのは前提が作り話だとわかっていたから聞けたけど、俺が体験しましたって言われてもちょっとな。大体多重人格というのはね」長々と演説が始まりそうだったので、

「正樹のもそうだったろうよ」早々に打ち切る。


「なんだろう、毛色が違うじゃん。多重人格って」

「中途半端」上田亜里沙が一刀両断。「藤本くんのは仮にも鈴木くんという証人がいたからまだしも、自分の経験で記憶も薄く、親から聞いたって言われても、リアリティに乏しい。創作にしてももう少し現実味があったほうがいいわ」


「酷い言われようだな。奈美以外は皆似たようなもんだと思うけど」

「まあ仕方ないよ。酔っ払いの、ましてや酒の弱い人間の語る体験談ほど胡散臭いものはないから」

「本当だぞ」

「本当かどうかを判断するのはこの場合本人じゃないからさ。本当だとしたら、という話なわけだから。一のはそういう想像もちょっと出来ないなあ」


 あんなフォローを入れるのではなかった。藤本正樹は楽しそうにしている。

「じゃあ次はお前が話せよ。ここまで散々他人を批判しているんだから、さぞかし怖い話をしてくれるんだろうな」

「任せてよ」ばん、と薄い胸板を叩く。「恐ろしい話だぜ」

「期待しちゃうなあ」


「今のうちに言ってろよ。聞き終わったときには背筋が凍って物も言えないから。


 それは最初のうち、女子高生の間で広まった一つの噂に過ぎなかった。夜中の二時を過ぎたとき、新宿のとある踏み切りの前に蝋燭を灯して立っていると、というお化けが出てくる。そのサカヅリさんに向けて憎い人間の名前を三回告げ蝋燭の明かりを消すと、一週間以内に呪った相手が死ぬ、というんだな。こういう都市伝説のような話自体は昔からずっとあるものだけど、サカヅリさんが前例と違うことは、自分がやったという痕跡をそこに残していくことなんだ。これが名前の由来にもなっているんだけど、サカヅリさんの標的になった人間は、鎖骨と肩に糸を通され、天井に吊るされているんだって。鎖骨のサと肩のカ、それらを吊るすからサカヅリさん、と呼ばれるようになった。


 それだけで女子高生たちは恐怖していたけど、実はこの噂は、正確ではない。


 つまり、女子高生たちがサカヅリさんとして信じていたものは、お化けでもなんでもなく、人間だった。鎖骨と肩を吊るす猟奇殺人の犯人として、一人の男が捕まったんだよ。夜中の新宿、踏み切りで聞き耳を立てて、自分を神か何かだと勘違いしていたらしいね。


 そしてここからが本題なんだが、このサカヅリさんの話を聞いた人のもとに、その夜のうちに本物のサカヅリさんがやってくる。そして、私の名前の本当の由来を教えてあげるよ、とささやくんだ」


 朝野保彦がフッと蝋燭を消すので、

「本当の由来はなんなんだよ」

「さあね。それは体験した人のみぞ知る、ということさ」

「これこそ胡散臭いだろ」


「一のよりはましだと思うなあ」そう言って笑う。「単純だけどどうやら逆さ吊りが有力らしいよ」

「面白いね」神崎奈美は確かに、こういう話が好きそうだ。「いつくらいの話なのかな」


「さあ、戦後間もなくとも聞いたことがあるし、最近だと言う人もいるね。最近だとしたら、作り話なんだろうけど。鎖骨と肩を吊るす事件なんて聞いたことないし」

「聞いたことがないからと言って、それ自体がないことにはならないと思うけど」上田亜里沙である。「自分の知っている情報がこの世の全てだと思うのは、浅はかだと思う」


「まあ類似犯が出るのを防ぐために情報規制するなんて話も、聞いたことがないわけでもない」竹本浩二も激しく頭を上下させ賛同する。「警察が百パーセントの情報を報道各社に渡しているわけではないらしいからな」


「何かしらの事件にカモフラージュされて報道されているということ?」酔いの回る頭では正確に話の芯を捉えられないのか、神崎奈美はやや見当はずれなことを言った。「捕まった人に対して、詳細は述べられないけどこの殺しも背負ってくれれば逆に減刑するよとかって」


「そもそも扱っていないことだってありうる。保彦が言っていた通り、結局は情報戦だからな。この場合犯人特定のためにいくつか手を隠しておいたり。多くの情報を持っている人間は当然な話だが優位にある」

「朝野くんそんな話したんだ。特に情報を持っているようにも、秘密の多そうな人にも見えないけど」

「亜里沙ちゃん、僕もこう見えて秘密の多い男なんだぜ」


「ふうん」中村梢が怪訝そうに見る。「そうなんだ」

「どうだか」上田亜里沙は動じない。「あと話してないのは桃子と竹本くんか。もう終わりでも良くない? なんだか疲れた」


「まあ思いのほか皆酔ってて取りとめがないしね」朝野保彦が笑う。「それより僕、話してて思ったのは、幽霊って本当に居るのかってことなんだけど」

「ああ、俺も特別怖い話持ってないし、そういう議題のほうが助かるわ」丸眼鏡を上げて、竹本浩二が言った。「居ると思う?」

「俺は居ると思うけど」

「一はちょっと参考にならないな。匿ってたとか言い出すから」

「じゃあ黙る」


「私は居たらいいなとは思う」鷲見桃子である。「怖い経験は嫌だけど、好きだった人とか懐かしい人とか、とにかく大切な人たちが、どこかにはまだ居るんだと思えるゆとりと言うのかな、そういうのは大事だと思う」

「ロマンティックだね」


「幽霊が居るとしたら、髪を長くして白いワンピースを着るのが流行ってるんだね」朝野保彦が茶化す。「居ようが居まいが、バリエーションが少ないのはどうにかならないのかね。なぜか皆びっしょり濡れていたりする」


「幽霊は居ないよ」断言するのは上田亜里沙である。「私はそれっぽいものを見たこともあるけど、あれは幽霊ではないと自分で思った」


「おや、見ていてなおかつ否定的という立場はなんだか新鮮だね。というか、その話をしてくれたらよかったのに」

「その話は別に怖くもなんともないから。そうあってほしいという私の幻想に過ぎなかったんだと思う」


 鷲見桃子はどこか訳知り顔をしていたが、これは余り詮索しないほうが良さそうに感じる。軽口が代名詞の朝野保彦も、ここは空気を読んでその話題については言及しなかった。


 代わりに、

「じゃあ僕が死んだら亜里沙ちゃんのところに出るよ。幽霊は居るんだぞって証明してあげる」

「ありがとう。でもなんだかそれ、私が朝野くんを殺したみたいで、ちょっと遠慮したい状況ね」


「亜里沙ちゃんになら」にこにこしているが、余り冗談にも聞こえないのが恐ろしかった。酔いのせいだろうか。「別にいいけど。殺されてもね」


「私は何かあっても朝野くんを殺しはしないよ」その台詞の真意はわからない。朝野保彦がそれをどう受け取るのかも。「鈴木くんならわからないけど」


 二人の間に視線を彷徨わせていた俺は急に矛先を向けられたものだから、思わず口に含んでいたビールを吹き出してしまった。


「俺?」濡れた口元を服で拭いながら、「さっきも思ったけど、俺、上田さんに嫌われるようなこと何かしたか?」


「してないよ。直接的にはね。それでも、殺される理由なんてそこら中に転がっているのよ。あなたが認識しないところで、それは沸々と煮えたぎっていたりする。殺人の動機なんて大半はそんなものなのよ。恐ろしい話ね」


「上田さんに言われると本気っぽくて怖いな」

「半分は冗談よ。半分はね」


「一くんは何があっても私が守るよ」神崎奈美だ。先ほどまでへらへらと話を聞いていたはずだが、顔は真剣そのものだ。


「もし亜里沙ちゃんが一くんを殺すって言うなら、私は亜里沙ちゃんを殺す」


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