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「怖いね」上田亜里沙の口調だと微塵もそうは思えない。「どういう意味なんだろう」
「さあ。幽霊と話をしたわけではないから、そのお辞儀にどんな意味があったのかは本当にわからないんだって。確かにお姉ちゃんはその患者さんによく悪戯に呼ばれていたそうだけど、いつも説教臭いことを言って叱られてばかりで、別に仲が良かったわけでもないみたいだし。ごめんね、とも違うんじゃないかと思うって」
「お辞儀の意味か」竹本浩二が胡散臭いポーズを取り「むむう」などという唸り声を上げながら思考に
「そうね。そういうことになるのかしら」
「そして謝罪でもなさそう。ふうん。その意味を考察すると、確かに怖いかも。もしかしたらお辞儀だと好意的解釈をしているだけの可能性もあるわけで」
「皆、幽霊が出たこと自体に怖がりなよ」神崎奈美が大きく笑う。「じゃあ次私でいい?」
「奈美ちゃんは色々話知っていそうだから期待できるな」
「これは怪談というか、童話みたいな話。何かの本で読んだ話の、概要だけど。
両腕を欠損したテディベアが捨てられた。彼はゴミ捨て場で同じ型のテディベア三体と出会う。彼らは自分と同じでどこかに欠陥があった。ひとつは両足を失い、ひとつは両目を失い、ひとつは両耳を失っていたのね。同じ型の彼らがこうしてゴミ捨て場に集ったのは、テディベアの腹部にカッターが仕込まれていて事件になったという背景がある、とかいう話だったかな。
ともかくどこかを失っている彼らは同じ痛みを分かち合うの。自分は可愛がられていたが、その子どもが大人に近づくにつれ残虐性を増し、両腕をもがれた。そこに来てカッターの事件が起きて、呆気なく捨てられた。というような身の上話をするわけね。
彼らはそれぞれ、愛されていた頃のことを情報としては持ってはいるけど、そこには感情が伴わなかった。事実として知っているけど、思い出ではないわけね。それが、腕をもがれたり足を引っこ抜かれたり目や耳を引きちぎられてからは、思考する能力を授かって、こうして会話が出来るようになった。
彼らは当然、もう一度愛されたいと思うようになった。自分の腹部にカッターが仕込まれていないことは、彼ら自身が知っているから。
そしてゴミ捨て場の中を協力して漁って、五体満足のテディベアを発見するの。
彼らは苦心しながら何とかして糸と針も見つける。ただ、その五体満足のテディベアを解体してそれぞれの足りない部分を補って、さあ脱出しよう、というところで意識が途絶えた。
後に残ったのは四体の完成したテディベアと、腕も足も耳も目もなく、意識だけが存在するテディベアが一体だけ」
蝋燭を吹き消す。
「なるほど。怖いというか、面白い話だね」やはりと言おうか、興味を示したのは竹本浩二だった。「教訓めいた部分はあるけど。要はないものねだりということかな」
「説明が下手でごめんね」誤魔化しに、サワーを飲む。もうかなりの量を飲んでいるように思うが。「作者がどういう意図で書いた話かはわからないけど、多分、ないものねだりというよりは、これは人間に例えた話なんだと思う」
「人間に?」
「そう。私たち人間は当たり前に意識を持っているけど、それは実は、どこかが足りないからこそ存在するのかもしれない。完璧な人間は感情も思考も持たない。足りないからこそ、考える力があるんだ。というような?」
「そう考えると面白いかも」
「二人で盛り上がってないでこっちにもわかるように説明してくれよ」朝野保彦は目をしょぼつかせて
「そういう疑問を抱いたりすること自体、実は
「ええ、わからないよ」
「朝野くんはずっと考えていたらいいわ」いかにも感情のなさそうな声音は、上田亜里沙のものだ。完璧ゆえに、というのなら、確かに少しは頷ける部分もある。「奈美の話は私は抜群に好みだけど、何より怖いのは、幻覚でも、幽霊でも、テディベアでもなく、人間よ、という話をひとつ」
「そういうの俺、好きだよ」
「鈴木くんに言われても嬉しくないけど。
これはモデル仲間の体験した話。
彼女、その雑誌では
彼女はすぐに電話を返してきてくれて、次のように説明してくれた。
ある日彼女が撮影スタジオに行くと、スタッフ全員が冷めた目で彼女を見ている。それまでメイクさんは当然、カメラさんやアシスタントさんとも
おかしい、とは当然思ったんだけど、何より早くその場を離れたくて、さっさと撮影を済ませてその日は帰った。
それから毎日のように、彼女の載った雑誌をずたずたに引き裂いたものや、ゴキブリの死骸が入った弁当なんかが郵便受けに突っ込まれるようになった。オートロックなのに、ドアポストにね。
だから仕事に行けなくなって、今でも週一でカウンセリングを受けているらしいわ。
終わり」
「いやあぞっとするね。簡潔ですばらしいね」
「おいおい、これも尻切れトンボだろうが」藤本正樹が突っ込みを入れる。というか、怒ったように口を挟む。「理由がわかんねえよ」
「理由を求めるなんてナンセンスだよ。本当だったら怖いね、という話だろ?」
「理由はわかってるわ」上田亜里沙が蝋燭を吹き消してから呟いた。「想像通りのね」
「人気争いで嫌がらせ?」周りに比べて飲酒量が少ないためテンションが合わないのか、鷲見桃子が酷く久しぶりに口を利く。「本当にそういう世界なの? もしかして亜里沙もそういういざこざに巻き込まれてる? そうだとしたら私」
「私は巻き込まれてないから平気。巻き込まれたとしても桃子に責任はないよ。結局は嫌われる要因が私にあるだけという話で。この友達に関しては、自分の人気を維持しようとちょっと色々出過ぎた真似をしたから、因果応報というやつね」
「上田さんがそれを淡々と語っているのが怖いよ」竹本浩二が呟く。「凄みを利かせる人とか要るけど、平坦に語られたほうがぞっとするね。俺は大きい音で怖がらせるやつなんか嫌いだ。最低だと思うね」
「それは褒めてくれているの? だとしたらありがとう」
「上田さんって酒飲んでも変わらないね」ふいに気になって質問をしてみる。「皆結構べろべろだぜ。俺が酔いつぶれるまでに、テンションの高い上田さんを拝んでみたいよ」
「鈴木くんは弱いね」きっぱりと言い切ってから、「私基本的に酔ってもテンション上がらないよ。むしろ下がってくる。人間、どんな状況でも冷めた部分って言うものは抱えていると思うのね。私はそれの比重がでかいの。ごめんなさいねテンションが高くなくて」
「鈴木くんってさらっと失礼なこと言うよね。亜里沙大丈夫だからね。私も余り飲んでないし、私は、わかってるから」鷲見桃子が言うと、
「一ちゃんは乙女心がわかってないんだから」朝野保彦が言葉を重ねる。「ここは最低さを挽回するためにひとつ面白い話をするんだ」
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